仮面のアイドルの正体は、記憶を失った少年だった 「記憶を失った少年が、“仮面のアイドル”として生きる運命とは――?」

 夜が深まり、砂浜の静寂が一層深く沈んでいく。
 遠くで砕ける波の音だけが、耳の奥にかすかに滲んでいた。

 ふいに、蓮が口を開く。

「……優香」

 不意に名前を呼ばれ、優香は小さく息をのむ。
 月明かりに照らされた蓮の瞳が、まっすぐに彼女を見つめていた。

「……もし優香がいなかったら……俺、たぶん、どこかで壊れてた」
 その声はかすかに震えていたが、確かな意志があった。

「誰にも見せたくなかった俺の弱さ……優香には、見せてしまった。
 でも……不思議と後悔はないんだ」

 蓮が一歩、彼女に近づく。肩が触れそうな距離。
 月の光が、ふたりの影をやさしく重ね合わせる。

「さっきのこと、頭から離れなくてさ……
 もし優香が俺を好きだって言ってくれたら……俺、もう逃げない」

「……蓮くん……」

 その名前を呼ぶと、蓮の唇がわずかに緩んだ。

「優香がそう呼んでくれるなら……俺は、その“蓮”になりたい」

 彼の手が、優香の手をそっと包み込む。
 もう、逃げる気配はどこにもない。

「俺からも……ちゃんと言わせてくれ」

 蓮は小さく息を吸い、言葉を選ぶように唇を動かした。
「優香……俺は、あんたが好きだ」

 その言葉が夜風に溶ける。
 ふたりの間に、静かでやさしい沈黙が降りてきた。

 蓮が、ゆっくりと顔を近づけてくる。
 けれど――唇が触れる寸前で、そっと動きを止めた。

 優香が受け止めてくれるのを確かめるように、ほんのわずかな間。
 その気持ちを感じ取って、優香はそっと微笑んだ。

 潮風がふたりの間をやさしくすり抜けていく。
 月の光が波に溶け、静かに揺れていた。

 重なるようで触れない距離のまま、ふたりは見つめ合う。
 胸の奥に生まれた温もりが、静かに夜の海へと溶けていった。