仮面のアイドルの正体は、記憶を失った少年だった 「記憶を失った少年が、“仮面のアイドル”として生きる運命とは――?」

 月明かりが静かに砂浜を照らしていた。
 寄せては返す波が、夜風とともにふたりの髪をやわらかく揺らす。

「ねえ、さっきのこと……まだ考えてたりする?」

 優香のからかうような声に、蓮の肩がわずかにぴくりと揺れた。

「うるせぇよ」
 目をそらして呟いたその声には、かすかな照れと――どこか柔らかさがにじんでいた。

 その顔を見て、優香の胸にあたたかい何かがふわりと広がっていく。
 こんな表情を見せてくれるなんて。こんなふうに一緒にいられるなんて。

「そっか。……私も、ちょっとドキドキしてたよ」

「……え?」

 驚いたように蓮が振り向く。
 月光がその瞳を淡く照らし、優香は思わず微笑んだ。

 スカートの裾を整えながら、彼女は砂浜に腰を下ろす。

「ここ、座ろ? 波の音、気持ちいいよ」

 蓮は一瞬ためらい、やがて静かにその隣に腰を下ろす。
 肩が触れるか触れないかの距離。潮の香りが、ふたりの間をすり抜けていった。

 しばらく、言葉のない時間が流れる。
 だけど、その沈黙は居心地が悪くなかった。

「……あのさ」
 蓮がふと声を落とす。
「さっき……手、握ったろ。……変じゃなかった?」

「ううん。すごく嬉しかったよ」

 優香の声は、月光のようにやわらかく、まっすぐだった。

「……なんでそんなふうに言えるんだよ」

 蓮は顔を少し赤くして、目を伏せる。
 その横顔に、優香はそっと笑いかけた。

「本当のことだから。大地くんが自分から何かしてくれたの、初めてだったから……嬉しかった」

 蓮のまつげがわずかに揺れる。
 そして、小さく息を吐いて、月を仰いだ。

「……こんな時間があるなんて、思ってなかった」
 ぽつりとこぼれたその言葉は、波の音にまぎれるほど静かだった。

「誰かの隣にいて、何も考えずに、ただ息をしてるだけで……幸せだって思えるなんてさ」

 優香は、そっと彼の手の甲に自分の手を重ねた。
 それは、言葉よりもやさしく、蓮の心を包み込んだ。

「私も、そう思ってるよ」

 月明かりの下で、ふたりの影が寄り添っていた。
 どちらからでもなく、自然と寄り添い合うように。

 ――心と心が、少しずつ溶け合っていく。

(……今が一番、幸せかもしれない)
 波音が静かに耳をくすぐる。
 蓮はそう思った。理由なんていらなかった。ただ、ここに優香がいる――それだけで。