仮面のアイドルの正体は、記憶を失った少年だった 「記憶を失った少年が、“仮面のアイドル”として生きる運命とは――?」

 朝の光が、カーテン越しにやわらかく差し込んでいた。
 優香の部屋の床やテーブルが、その淡い色に染められていく。
 キッチンからは小さな音が響き、だしの香りがゆるやかに部屋中へと広がっていた。

 ソファの上で毛布にくるまっていた蓮が、ゆっくりと目を開けた。
 しばらく天井を見つめたまま、ぼんやりと息を吐く。
 昨日の出来事が、少しずつ頭の中に戻ってくる。
 ――優香の手料理。静かな会話。
 そして、心の奥に小さな温もりを宿したまま眠りに落ちた夜。

「……ここ、どこだっけ……」
 寝ぼけた声に、キッチンから優香のやさしい声が返ってくる。

「おはよう、大地くん。よく眠れた?」

 毛布を払いながら体を起こすと、空気の重さが少し軽くなっている気がした。
 夢は変だった。けれど、こんなふうにすっきり目覚めたのは、いつぶりだろう。

「……ああ。変な夢は見たけど……久しぶりに、ぐっすり寝たかも」

 優香はふっと笑みを浮かべながら、トレイを運んできた。
 湯気の立つご飯、色鮮やかな卵焼き、具沢山の味噌汁。
 その温かな風景に、蓮の心がふっと緩んだ。

「……なんか、実家にいるみたいだな」

 その言葉に、優香の手がほんの一瞬だけ止まる。
 けれど、すぐにやわらかな笑顔が戻る。
「……そう。だったら、嬉しいな。」

「……ありがとな。いろいろ」

 気恥ずかしさを隠すようにうつむくと、優香は冷たい麦茶をそっと置いた。
 朝の光を受けて、琥珀色の液面が静かにきらめく。

「今日、無理しないで。もし事務所に行くのがつらかったら、私、代わりに説明してくる」

 その申し出に、蓮はしばらく黙って考え込む。
 そして、小さく首を振った。

「……大丈夫。行くよ。逃げてたら、何も変わらない気がする」

 言葉にしてみて、ようやく自分の中にあるものが少し見えた気がした。
 不安もある。でも、それ以上に――今ここにある、あたたかさが背中を押していた。

「……そうだね」

 優香の言葉が、ふわりと優しく響いた。
 ふたりの間に流れる空気が、少しずつ確かな信頼へと変わっていく。

 湯気の向こうで揺れる味噌汁を見つめながら、蓮の胸の奥に小さな想いが芽生えていた。
 こんな朝ごはんの匂いすら、懐かしいと感じる自分に気づく。
 昨日まで世界が全部冷たく見えていたのに、今は少し違って見えた。

 優香は何も聞いてこない。ただ隣にいて、こんな朝を用意してくれる。
 押しつけじゃない。そっと包み込んでくれる――そんな優しさが、静かに心に沁みていく。

 優香は、昨夜の蓮の寝顔を思い出していた。
 眠っている彼は、まるで子どものようで。
 その無防備さに、不意に胸が熱くなる。

 きっと彼は、ずっとひとりで戦ってきた。
 誰にも頼らず、甘えず、「宅麻大地」という仮面をかぶったまま。
 けれど、それだけじゃない。
 ふと見せる素の表情。時折こぼれる苛立ち。隠しきれない寂しさ。

 その奥に、もうひとりの“彼”がいる――そう確信していた。
 でも、怖がらなくていい。
 誰であっても、大地くんのそばにいると決めたのだから。
 もう、目をそらすことはできない。

 朝の光が、静かにふたりを包み込む。
 その温もりの中で、新しい一日が、そっと動き出していた。