仮面のアイドルの正体は、記憶を失った少年だった 「記憶を失った少年が、“仮面のアイドル”として生きる運命とは――?」

 執務室には、冷たい空気が張りつめていた。
 壁の時計が、午後九時を淡々と刻む音だけが響いている。

 優香と蓮は並んで立ち、三島は革張りのソファに腰掛けていた。腕を組んだまま、鋭い視線を二人に向ける。
 机の上のコーヒーは、まだ湯気を立てているはずなのに、その香りすら冷たく感じられた。

「最近、大地が現場から姿を消すことがある――スタッフから報告があった」

 抑えた声。その奥に、氷のような怒気が潜む。

 優香は息をのみ、一歩前へ出た。
「……はい。気づいていました。ですが、あの時は――」

「気づいていた?」
 三島の眉がわずかに動く。

「はい。彼はずっと張り詰めていて、少しくらいなら……と、思って……」

「マネージャーが感情で動くな」
 冷たい声が突き刺さる。「『管理』が仕事だろう」

 優香の胸にひやりと痛みが走る。それでも、下げた顔をゆっくりと上げた。
「……申し訳ありません。でも……!」

 三島の視線が鋭さを増すのも構わず、さらに一歩踏み出す。
「彼は……大地くんは、誰よりも頑張っています。だから私は――」

「もういい」

 その一言が、優香の言葉を断ち切った。
 しかし胸の奥の熱は消えない。

「でもっ……!」
 思わず食い下がる。拳を握り、必死に言葉を探す。
「彼は……! 彼だけは、私が――」

「出ていけ」

 冷たい命令。
 優香は息を詰めたまま、言葉を失う。

 それでも、目を伏せて深く頭を下げた。
「……失礼します」

 ゆっくりとドアへ向かう。
 閉まりかけたドアの隙間から、ほんの一瞬だけ振り返った。
 その視線が、蓮の瞳と交わる。

 ――その瞬間、蓮の胸の奥で何かが震えた。
(……本気で、俺をかばおうとしてくれた……?)
(……もしかしたら……何かが変わるのかもしれない)

 ドアが静かに閉まり、残されたのは蓮と三島だけだった。
 重い沈黙が落ちる。時計の音が、やけに大きく響く。

「……で、お前は、どういうつもりなんだ?」

 三島の静かな問いに、蓮はゆっくりと顔を上げる。
「……俺は……三島さんの言うとおり“宅麻大地”として頑張ってきたつもりです。でも……なんか、違うんです」

「違う?」

 三島が立ち上がり、ゆっくりと歩み寄ってくる。
 その足音が、執務室の静寂にひとつずつ響いた。

「……誰かの真似をしてるみたいで、自分が自分じゃないみたいで……何でかわかんないけど、苦しくて……」

 三島の目の奥が、冷たく光った。
「……お前な。わかってんのか?」

 その言葉と同時に、三島は壁に手をつき、蓮の身体を押し込んだ。
 強い力が肩に食い込み、思わず息が詰まる。

「“宅麻大地”は、お前に残された最後のカードなんだよ」

 蓮の瞳が揺れる。逃げようとしたが、三島の手が襟首を掴んで引き寄せた。

「過去も、家族も、存在すらも――何もないお前に、何の価値がある?」
 低い声が耳元を突き刺す。
「“宅麻大地”っていう名前がなきゃ、お前は誰にも見向きもされねぇんだよ!」

 蓮は息を飲んだ。胸の奥が強く締めつけられる。

「一度上がった舞台からは降りられない。お前がそれを手放したら、何も残らない。空っぽになるだけだ」

 三島の目は怒りと焦りで濁り、言葉はさらに鋭さを増した。

「――命を削ってでも演じろ。それがお前の全てだ」

 蓮は、壁に押しつけられたまま、何も言えなかった。
 ただ、唇を噛みしめて俯く。
 胸の奥で、小さく何かが軋む音がした。