仮面のアイドルの正体は、記憶を失った少年だった 「記憶を失った少年が、“仮面のアイドル”として生きる運命とは――?」

 ロケの終わった控室には、まだわずかに湿った空気が残っていた。
 さっきまで使われていた照明の熱がほんのりと室内にこもり、テーブルの上には使い終えた紙コップや台本が散らばっている。
 メイク道具の甘い匂いが、かすかに鼻をかすめた。

 スタッフたちの足音が遠ざかり、控え室に静けさが戻る。
 優香はひとり、忘れ物がないかとテーブルの上を見回していた。

 ――そのとき、椅子の下に目が留まる。
 小さな、黒いノートが落ちていた。

「……大地くんの?」

 拾い上げた表紙は無地で、名前も何も記されていない。
 けれど、角の丸くなった手触りから、何度も開かれ、大切にされてきたことがすぐに伝わってくる。

 そっとページをめくる。
 最初の数ページには、撮影スケジュールや番組の段取り。
 整った几帳面な文字が並び、彼らしさに思わず微笑みがこぼれる。

 けれど――その次のページを開いた瞬間、空気が変わった。

 走り書きのような言葉が、不規則に並んでいる。


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「泣くな」
「期待するな」
「裏切られる前に、裏切れ」
「笑っていれば、誰も触れてこない」
「……でも、本当は泣きたい」


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「……え……?」

 インクの跡はかすれていて、ところどころに小さな滲みがある。
 まるで、その紙に――涙が落ちたように。

 優香の手が、ふと止まった。

 整ったメモの合間に紛れ込む、ぽつんと置かれた誰にも言えない“叫び”。
 胸の奥が、きゅっと痛む。

(これ……本当に、大地くんが……?)

 けれど――どこかで、見たことがある。いや、感じたことがある。
 あの夜、楽屋で見せた表情。
 張りついたような笑顔の奥に、一瞬だけ覗いた“もうひとつの顔”。

 ――「今は……近寄らないでくれ」

 そう、かすれた声でつぶやいた、あのとき。

 ページをそっと閉じて、優香はノートを胸に抱きしめた。
 紙の質感とインクの匂いが、指先を通じて胸の奥を締めつける。

(私……あなたのこと、もっと知りたい)
(これ……誰かに見つけてほしかったんだよね)

 強がって、全部ひとりで抱えて、でも――本当は、助けを求めていた。

(その気持ち、少しだけわかるかもしれない)

 胸の奥が静かに震える。
 これはもう、マネージャーとしての責任ではない。
 もっと――自分自身の感情だった。

(もし、私がその“誰か”になれるなら……)
(私は、そばにいたい。何があっても、あなたの味方でいたい)

 小さな鼓動が、確かに鳴っていた。
 それは、彼に対する――優香自身の“決意”だった。