仮面のアイドルの正体は、記憶を失った少年だった 「記憶を失った少年が、“仮面のアイドル”として生きる運命とは――?」

 撮影が終わり、現場は機材を運び出すスタッフたちの掛け声でざわついていた。
 しかし控え室の中はもう誰もおらず、カーテン越しの夕陽だけが淡く差し込んでいる。
 優香はバッグを肩にかけようとしたところで、ふと足を止めた。

「……なあ」

 不意に背後からかけられた低い声。
 振り返ると、逆光の中に立っていたのは蓮――いや、“宅麻大地”。
 撮影用のジャケットを羽織ったまま、明るいブラウンの髪が光を受けて柔らかく揺れていた。
 だがその目には、いつもの笑顔はなく、まっすぐな苛立ちが宿っていた。

「さっきのこと、まだ黙ってるつもりかよ」

 静かな問いに、優香はわずかにまばたきし、視線を落とした。

「……うん。私が怒られて当然だったと思ってるから」

 バッグの肩紐を握る手が、ぎゅっと白くなる。
 蓮は眉をわずかに寄せ、短く息を吐いた。

「はあ? なんでだよ。俺が悪いって、わかってただろ」

「……うん。でも、あなたが……つらそうだったから」

 その一言に、蓮の瞳がかすかに揺れる。
 けれど、すぐに吐き捨てるような声が返ってきた。

「……ったく、あんたってさ――」

 一度目を伏せ、何かを飲み込んだあとで、刺すような言葉を投げつける。

「いつまで“いい子ちゃん”やってるつもりなんだよ」

 優香の肩がぴくりと震えた。
 手にしていたバッグが滑り落ちそうになり、慌てて持ち直す。

「誰にでもニコニコして、怒られても黙ってて、
 “私が悪いです”って顔して――それで、何が守れるんだよ」

 静まり返った控え室に、彼の声だけが刺さるように響いた。
 優香は唇を噛んで黙りこむ。
 伏せたまつげの奥、目にはわずかな光が揺れていた。

(……“いい子”でいることが、私にとっての唯一の武器だったんだよ)

 でも、それを彼にぶつけることはできなかった。
 代わりに、蓮がふっと息を吐く音だけが聞こえた。

「……もういいよ。どうせ言っても、あんたは“優しいマネージャー”のままだろ」

 そう言って、優香の脇を通り抜けるようにして歩き出す。
 扉の前で手を伸ばし、ノブを回そうとしたそのとき――

「……それでも」

 か細い声が背後から届いた。
 蓮の手が止まる。

「あなたが“本当のあなた”でいられるなら、私はそれでいい」

 返事はなかった。
 ただ、沈黙が一拍。
 それから、扉が静かに開かれ、蓮の背中は音もなく控え室を後にした。

 廊下を歩きながら、彼はぽつりと独りごちる。

「……は? “本当のオレ”って、誰のことだよ」

 唇の端が皮肉に歪む。

「オレが誰かなんて、オレにだってわかんねぇのに……勝手なこと言いやがって。ああ、もう……ほんっと、ムカつく」

 吐き捨てるような言葉とは裏腹に、歩くたび胸の奥で何かがざわついていた。
 言葉にならない熱のような、それでいて触れられたくない何か。

(……でも、俺は……何に苛ついてるんだ?)

 問いかけは自分自身に向けたものだった。
 ただ、あの目だけが――
 あのまっすぐな瞳だけが、どうしても頭から離れなかった。