控室のドアがノックされ、優香と大地はほとんど同時にそちらを見た。

 開いた扉の向こうに、スーツ姿の三島が立っている。
 その鋭い瞳が、二人の間を一瞥した。

「……次の打ち合わせの準備をしろ。時間は限られている」

 低く抑えた声が、部屋の空気を一瞬で引き締めた。
 さっきまで穏やかだった大地の横顔が、ぴたりと凍りつく。
 優香はその変化を、思わず息を呑んで見ていた。

 大地はゆっくりと立ち上がる。
 鏡の前を通り過ぎるとき、一瞬だけ映った自分の顔を見て、心の奥がひやりとした。

(……誰だよ、これ)

 口角の角度も、まぶたの緩め方も、全部“教わった通り”。
 これが「自分」だと教えられて、そうするしかなくて。
 気づけば、何も感じない仮面だけが残っていた。

 けれど次の瞬間には、もう完璧な笑顔が貼りついていた。

「はい、すぐに向かいます」

 滑らかで柔らかな声。
 さっき優香に向けて見せた、素の表情などなかったかのように。

 ――その瞬間、仮面をかぶる音が、確かにした。

 三島はわずかに頷き、その背を向けて廊下へと歩き出す。
 大地はその後を静かに追う。
 扉を出る直前、ほんの一瞬だけ振り返り、優香と視線がぶつかった。

 その瞳には、もうさっきまでの揺らぎはなかった。
 ただ、完璧に整えられた、“宅麻大地”という虚像がそこにいた。

(……さっきの人は、どこに行ったんだろう)

 優香は、胸の奥に静かな痛みを抱えたまま、閉じていくドアを見つめていた。

 廊下の奥からは、二人の足音だけが一定のリズムで響いている。
 それはまるで、演出された舞台の幕間のようで――どこか冷たかった。

 残された控室には、蛍光灯の光と、彼が残したあたたかさだけが、ぽつんと取り残されていた。