白を基調とした事務所の応接室に、岡崎優香は一歩足を踏み入れた。

 室内には、鮮やかなスポットライトを浴びた“宅麻大地”のポスターがいくつも貼られている。どこを見ても彼が笑っている。けれどその笑顔は――テレビで見たときと同じく、優香の胸をかすかに締めつけた。

(やっぱり……この人の笑顔、どこか空っぽに見える)

「岡崎さん、どうぞ」

 応接テーブルの奥に座っていたのは、スーツをきっちりと着こなした三島弘樹。穏やかな口調に反して、その瞳は冷たく、人を測るような光を宿していた。

「新プロジェクトの件、覚えているかな? 今日は君に、大事な話があって来てもらった」

「……はい。“特別枠”の……」

 優香は思わず、カレンダーアプリの記載を思い出した。

 “宅麻大地(特別枠)”

 その名前を見たときから、ずっと胸に小さなざわめきがあった。あの復帰会見の、完璧なのにどこか空虚な笑顔。その裏に何かがある気がして――確かめたくてたまらなかった。

「今日から宅麻大地の専属マネージャーの一人として、現場サポートに入ってもらう」

「え……私が、彼を……?」

「そう。まだ新人であることは分かっている。でも、君には“適性”があると感じてね」

 三島の言葉は柔らかく響いた。だが、その眼差しは計算高く、心の奥を見透かすようだった。

(……どうして、私なんだろう)

「君は空気を読む力があるし、人前で自己主張もしない。相手を優先して動ける人だ」

 褒められているのか、選別されているのか。優香は一瞬わからなくなった。

(“従順で、扱いやすい人材”。三島さんにとっては、そういう意味なのかも……)

「……私に、務まるでしょうか。宅麻さんみたいな方は……すごく繊細で、難しい方のようにお見受けして……」

 三島はわずかに笑みを深める。

「だからこそ君にお願いしたいんだよ。無理に踏み込まず、でも彼の隣にいてくれる人が必要なんだ。――それが君だと思った」

(“近すぎず、遠すぎず”の距離を保てる駒。それでいて、見守る役を演じられる。……ちょうどいい)

(君には、“あいつ”の代わりを務めてもらう)

 優香の胸に、ふわりと熱が広がった。

 小さな頃から、誰かに「お願い」と言われると、断れなかった。誰かの“役に立ちたい”という想いが、いつも自分を動かしてきた。その優しさが、自分の弱さと紙一重だと知りながらも――。

「……分かりました。やらせてください」

 三島は満足げに頷いた。

「ありがとう。彼は……少し特殊な状況にある。でも君なら、大丈夫だと思っている」

(“宅麻大地”は俺の最大のプロジェクトだ。成功すれば業界の頂点に立てる。――そのためには、従順で動かしやすい人材が一番だ)

 その言葉の裏に潜む“何か”に、優香はまだ気づけなかった。

 ――これが、彼女の未来を大きく変える始まりだった。