ともかくも私は目を覚まし、レダの気持ちも落ち着いた。
 となれば、冒険の続きをしなければなるまい。続きというか、一歩目から躓いた感だけど、それはともかく。

 渋るレダを説き伏せ、アデルさんに賄賂を渡し、陣のためだけにアデルさんが所有しているという目隠しをされた屋敷から出て。
 今度こそ真っ当な、外の世界へと足を踏み入れた私は――。

「わあ……人っ子ひとりいませんね……」
「まあ……天変地異があったばっかりだからな……」

 レダの感情の揺れによる天変地異の影響で、人っ子一人いない広場に、遠い目になっていた。

「もうちっとしたら多少は人が戻るかもしれねぇが……」
「それを待つというのは確実性がありませんね……。この世界での買い物というのをやってみたかったんですが」
「買い物? ほしいものがあるなら、ダリウスからもらえばいいだろう?」
「そう、それです! それに問題を感じているんです!」
「お、おお……?」

 私の勢いに、アデルさんがちょっと及び腰になる。
 ちなみにレダは、私を外界から守るという意思なのか、背中にぴったりくっついている。おんぶおばけみたいな感じだ。あるいは背後霊?

「確かに、私がほしいと思ったものは、レダに言えばなんでも手に入ります。でも、それってふつうじゃないじゃないですか」
「ふつうかふつうじゃないかって言われれば、まあふつうじゃねぇわな」
「これから冒険をちょくちょくする予定なので、流通している貨幣についてとか、買い物の仕方とか、学んでおきたかったんです」
「え、冒険って……これっきりじゃねぇの?」

 なんということでしょう。アデルさんまでそんなことを言い出した。水鏡でお話ししたときには、『カーラの最初の冒険にはいいんじゃねぇの?』とか言っていたというのに。

 私にくっついて外界に出るだろうレダがまた天変地異を起こす可能性を考えてなんだろうけど、それくらいで私の冒険心は折れませんので。むしろ、必要性(・・・)をますます感じている。

「私の冒険心と好奇心は、こんな外出で満たされるものではないのです! せっかくの異世界なら探訪したいし、この世界をもっと知りたいし――あと、常識も知りたいです!」

 なにせ私のそばには非常識の塊でしかないレダしかいないし、それ以外の知り合いだってアデルさんみたいなレダと関わりを持つひとしかいないのだ。この世界の標準的なひとというのは、見たことも聞いたこともない状態だ。
 なので、ふつうにこの世界で生活を営んでいるひとと関わって、世界を知り、常識を知りたいのである。それがないと、いつか迎えるかもしれない二つの未来のうち片方で、かなり困ったことになると思うので。

「そんなもん、知らなくてもレダがいれば困らないと思うがなぁ……」
「引きこもっている分には、でしょう? 私は外に! 出たいんです!!」

 熱をこめて主張していると、なんだなんだという感じで、近くの路地から人が出てきた。 おお、第一異世界人(ふつうの範囲内)発見!

「こんにちは!」

 何にしても挨拶は大事だということで大きな声で挨拶すると、その人――私よりもちょっと下だろう年齢の男の子は、びくっと肩を震わせた。だけど、それを恥じるかのように、きっと私を睨み付ける。おお、この世界に来て初めてひとに睨まれたような気がしますね。
 背中にくっついているレダの気配が尖ったので、前に回っている腕をぽんぽんと叩いてあやしておく。ちょっと尖った気配を引っ込めたので、これでいいだろう。

「アンタ、さっきの真っ暗な空と雷、見てなかったのかよ。今は元に戻ったからって、すぐ外に出るなんて、頭おかしいのか?」
「はあ、家の中にいたので見てなかったんですよ。そういうあなたは、じゃあなんで外にいるんですか?」
「それは、こんだけひとがいなけりゃやれることがたくさん――……。じゃねぇ、おまえには関係ねぇだろ!」

 ほうほう、ちょっと眉を顰めてしまいそうな身なりからして、もしかしてストレートチルドレン的なやつ? 店先に商品が残ったまま人がいなくなっている露天とかもあるし、そういうのから何かかすめ取ろうとしていたやつ?
 うーん、初遭遇の異世界事情、世知辛い。

 ……と思っただけの私と違って、アデルさんはこの国の王様である。
 怪訝そうに眉をひそめて、小さく呟く。

「こんなこどもが犯罪を犯さなくても暮らしていけるような国にしたはずなんだがな……? 行政機能が行き届いていないのか……?」

 アデルさんは「ちょっとこっち来い」と男の子を離れたところに連れて行ってしまう。
 私とレダはぽつんと残された。

 初異世界人接触、完。
 早すぎる。とりあえず、アデルさんの治める国で、たぶんすごい大国の都でも、食うに困って犯罪を犯す感じのひとはいるらしい。治安についてはあんまり期待しない方が良さそうだ。

「……そういえば、この世界で同年代のひとを見たの、初めてでしたね……」

 身体年齢的に、と注釈はつくけれど。私は私の元の世界での個人的な情報がぜんぶ抜け落ちているので、正確なところはぜんぜんわからないのだけど、中身が今の身体通りの年齢じゃないことは確かなので。

「……カーラは、同年代の……ともだちが、ほしい?」

 ぽつりと頭上から落ちてきた問いに、黙考する。
 ともだち……ともだちかぁ……。

「いや、別にほしくはないですね」
「……そうなの?」
「泣き虫レダがいますので。レダのこと、この世界での保護者だと思ってはいますが、わりと、手のかかる弟のようにも思っているんですよ」
「……おとうと……」
「レダは私の育ての親みたいなものでもあるし、弟みたいなものでもあるってことですよ。二つの関係性を築けて、お得ですね」
「お得……」

 自分で言っておきながら、お得はなんか違ったかなと思ったけれど、見上げたレダの顔がちょっとうれしそうに緩んでいたので、まあいいかと思い直した。

 そうしているうちに、話を聞き終わったのか、アデルさんが少年を連れて戻ってくる。

「俺はこいつを行政に繋げに行くが――どうする?」

 私は、うーんと悩んで、ついていっても邪魔にしかならなさそう、という理由で別行動を選択した。アデルさんがいないと買い物はできないだろうけど、なんかちらほらと人影が見えるようになってきたので、眺めているのでも好奇心が満たされるかも、と思ったのだ。

 そうして、広場の噴水近くにある長椅子にレダと座ることにする。

「あの噴水の上にある像、誰なんですか?」
「アデルだよ」
「……似てませんよね? というか、年齢的に別人では?」

 視線の先の像は、アデルさんだとすると、私の知る姿からは何十年かは歳を重ねているように見える。

「よく知らないけど……。見た目が若すぎても面倒があるんだって。ジジイの方が都合がいいって言ってた」
「そういうものなんですか……アデルさんもたいへんなんですね」

 確かに、私の知るアデルさんは、威厳という言葉からは遠いかもしれない。そういうことだろう。

 そんな会話をしていると、ふと頭上に影が差した。誰かが近づいてきたのだ。

「宙に向かって独り言なんて言って、この女、気が触れてるんじゃないか?」
「偉大なる大王の名を気軽に口にしやがって……不敬な」

 ふつうっぽい異世界人エンカウント・ツー。
 騎士っぽい格好のひとと、魔法使いっぽいローブを着たひとの二人組だ。ある程度の地位を持ってそうな感じがすごいする。
 というか、さっき男の子がレダに反応しなかったことからしてそうかもと思ってたけど、レダ、他の人に見えてないっぽい。レダがやってるのか、世界がやってるのか、どっちだろう。

 そんなことをぼんやり考えていた私は、だから、その人たちの行動に対応するのが遅れた。

「立て。普段のここならともかく、ひとの少ない状態のここに若い女がいるのはよくない」

 内容は私のことを心配(?)してのものだったけど、動作が悪かった。
 騎士のようなひとが、私の手を引っ張って立たせようとしたのだ。
 途端、私の隣から噴出するのは――敵意、を通り越した殺気。

「な……っ、――は……?」
「……っ!」

 まるで影を縫い付けられたかのように動けなくなってしまった騎士のようなひとの隣で、魔法使いっぽいひとが驚愕の顔で杖らしきものを構える。何か呪文っぽいものを唱えようとした口が、途中で何の音も発さなくなった。声が出ないようにされたのだ。

「――かよわいカーラの腕に、乱暴に触れるなんて……」

 そのまま、なんらかの陣を展開したレダに、私は慌てて飛びついた。

「待ってくださいレダ! とりあえずその物騒な気配と陣をおさめてください!」
「でも、この男はきみに許可なく触れた。それも乱暴に」
「それは確かにそうですが、レダがそこまで怒るほどのことじゃないです! 言ってることも、レダのことが見えてなかったなら当然のことでしたし!」
「……だけど……」
「だけどもでももありません! 私は何も傷ついてないし、損なわれていません! レダがこのひとたちに敵意を向ける理由はありません!」

 私が言い切ると、レダは渋々といった様子ながら、物騒な気配と陣をおさめてくれた。

 さて、どんな言い訳をしようか――と振り向いた先には、気絶したらしき二人の姿が。

「わあ……」

 私は素早く辺りを見回した。少ないながら、ひとがこちらに注目しているのを感じる。このままでは騒ぎになるかもしれない。

「最初から大失敗です……」

 しょんぼりと肩を落とす。穏当に、ちょっとそこらを見て回れたらいいなぁと思っていたのにどうしてこんなことに。

 と、目の前にパッと陣が閃いて、そこからアデルさんが現れた。

「レダの魔術の気配がしたが、何が――! ……ああ……」

 アデルさんは、レダがぴったりくっついた私と、地面に倒れ込んでいる二人組を見て、いろいろと察してくれたらしい。「うちのが悪かったな……」と二人組を陣で移動させながら謝ってくれた。
 しかし、謝るべきはこちらである。ただ職務遂行を果たそうとしただけだろう二人組を行動不能に陥らせてしまったのだから。

 だけど、悠長に謝っている暇もなかった。アデルさんの登場で、さすがに騒ぎになり始めていたからだ。
 アデルさんはぐるりと辺りを見回して、「騒がせたな!」とだけ言って――私たちの下に陣を展開した。

「ダリウス。もしカーラが気絶しても、今度は天変地異を起こすなよ」
「……確約はできない……」

 ぎゅうう、とレダが私を抱きしめる腕に力がこもる。

「そこは確約してください。私は大丈夫ですから!」
「カーラが、そう言うなら……」

 そうして、私たちは魔術転移でアデルさんの屋敷に戻ることになったのだった。