レダの口にした『アデル』というのは、人名である。
 この家を訪れるひとたちの中でも、その頻度が高い方に分類される、赤毛の美丈夫さんだ。レダとは種類が違う、体格がいいタイプの美形さんである。
 レダとはけっこう古い付き合いらしいというのはちょっと聞いたことがある。その時点で、ふつうのひとではない(・・・・・・・・・・)ことはわかっていたのだけど――。

「えっ、アデルさんって王様なんですか?」
『おう。言ってなかったか? ちょっくら人間踏み外すくらいに魔術をおさめたんで、長く王様家業やらせてもらってんぜ。俺のこともあって魔術に親和性の高い国だし、まあダリウス連れてくるんなら一番どうとでもなる国ではあるから、カーラの最初の冒険にはいいんじゃねぇの?』

 宙に浮かんだ水鏡の向こうで、アデルさんが笑う。
 近所(?)のおに……おじ……おに……いや、やっぱりおじさんだろうか。見た目が若いのでおじさんと呼ぶには微妙なのだけど、当てはまるとしたらやっぱり近所(?)のおじさんかなと思う。そういう立ち位置だった人が一国の王様でしたというのは寝耳に水で、さすがに私はびっくりした。本日のびっくりポイントその一である。
 ちなみにちょっと人間踏み外している件については特に驚きはない。レダと古い顔見知りで、十年前から姿が変わらない時点で大体察していた。

 そんな私にとってのびっくりポイントも、レダにとっては当然知っている事柄なので、レダは淡々とアデルさんに要望する。

「今の……おまえの国については詳しくない。地図と情報をよこせ。カーラに万が一があったら困る」
『へーへー、仰せのままに、魔術王(・・・)サマ。確かに、どこもかしこも治安がいいとはさすがに言えないからなぁ。どっかで待ち合わせようぜ。俺も久々に市井見ときたいし。ダリウスの名前出せばうるせーやつらも黙るからちょうどいい』
「おまえの都合は知らない。カーラの冒険心が満たされればそれでいい」

 なんというか色々つっけんどんな感じだけど、古い付き合いだからか、レダはアデルさんに対してはいつもこんな感じだ。家に訪れる人たちの中では比較的、「親しそうだな」という感じがする。
 他の人に対しては、たいてい、もっと、なんというか……『魔術王』の二つ名に納得がいくような、そんな態度をとるので。

「おまえの中の情報を読み取る。抵抗はするな」
『する気はねぇけど、してもぶち破るのがお前だろうが』
「おまえを廃人にすると、カーラがかなしむ。できればやりたくない」
『気にするのそこだけか? おまえがカーラ大事なのは知ってるけどよぉ……』
「他に、問題が?」
『これだもんなぁ……』

 魔術を扱う同士だから、よくわからないけど魔術で脳内情報を読み取れたりするらしい。……たぶん魔術を扱わない相手でもレダはそういうことができそうだけど。
 若干こわいこと言ってる気がするけど、最終的にそうならないなら私に関わることじゃないので気にしないことにした。

 情報のやりとりは、なんか綺麗な魔法陣みたいなものを介して行われた、らしかった。私に情報は与えられなかったので、らしいとしか言えない。レダが「なるほど……」と頷いていたので、情報のやりとりは成功したんだろうと思うだけだ。

 アデルさんとの通信を終わらせてから、レダは紙に地図を転写してくれた。
 どうやらアデルさんが治める国の都は、円形であるらしい。外壁でぐるっと囲まれているようだ。こういうの、『城郭都市』とか言うんだっけ?

 こんなふうに、ふいにうたかたのように思い出される元の世界の知識を脳内でもてあそびながら、私はレダに問いかける。

「それで、ここからアデルさんのいるところに行くには、どうしたらいいんですか?」

 この家には、外へ繋がる扉もない。そして私には、この家の外の知識もない。なんかレダのために世界がつくった不思議空間にこの家があることくらいは知っているけれど、それがアデルさんの治める国と近いのか遠いのか、そういう概念がないやつなのか、それすらわからない。

「そうだね……。アデルの国は強力な魔術防御結界ががあるはずだから、まずそれを壊すなりして中に入って――」
「もうちょっと穏便な方法でお願いします」

 国の防御をぶち壊したら大変なことになるだろうことは、何も知らない私でもわかる。ひとまず止めると、レダは「なんでだめなの?」みたいな顔をしつつ、第二案を出してくれた。

「じゃあ、アデルに結界の通行許可をもらおう。おれが魔術結界を解くのはだめなんだよね?」
「たぶんとっても大変なことになるような気がするので、後者の案はやめておいてください。アデルさんの管理下で結界を行き来することができるなら、それが一番いいんじゃないかと思います」

 というか情報をやりとりしたときにそういうところも詰めておくものじゃないだろうか。……まあ、十年と言わず引きこもり生活をしているレダに、外出の計画性というものを期待してはいけない気はするけど。

 またも水鏡で連絡をとったアデルさんは、結界を壊さないために通行許可をくれとレダに言われて、「ダリウスに結界のこと気にかけるような心があったのか!」と驚いたあと、「いや、カーラか。カーラがやめとけって言ったんだな?」と正解に辿り着いていた。
 アデルさんが結界のことを考えなかったわけはないので、壊されても致し方ないと思っていたのかもしれない。国防の危機だから諦めないでほしい。

 ともかくも、結界の一部を一時解除するための魔法陣をもらったので、アデルさんの治める国に入る準備は万端――と言うにはまだ早い。
 お金とかはとりあえず置いておこう。レダにそれが必要だったとも思えないし、この家の中で見かけたこともないし、レダがそういうものを持っていない可能性の方が高い。
 念のため、「この世界って貨幣制度がありましたよね?」と来訪者たちから聞きかじった知識を確認すると、レダは頷いたものの、じゃあ持っていかないと、というふうにはならなかった。

 となると、待ち合わせするアデルさんの懐に頼るしかない。だけど、ただたかるわけにもいかない、というか、私がいやなので、アデルさんにお金を出してもらう前提で、そのお返しになるものを考える。

 アデルさんがこの家を訪れた時の記憶を思い返す。
 ……そういえば、日本食をけっこう気に入ってたな。
 この世界にはコメも醤油も味噌もその他諸々日本食に関係するものがある。私が恋しがって、アデルがそれをどうにかしたいと思ったので、存在するようになった(・・・・・・・・・・)
 それらを活用して、私は食べたいな~と思ったときに、適当にご飯をつくったりしているのだけど(何せレダは食事をしなくても生きていける存在なので、必要に駆られた私がつくるしかないのである)、あるとき、たまたまご飯時にやってきたアデルさんが、興味を示したのだ。ちなみにその時作っていたのは焼きおにぎりである。味噌と醤油の二種類でつくったそれをいたく気に入ったアデルさんは、私のつくる適当日本料理を何回か食べて、そのたびに絶賛してくれていた。

 ……よし、おにぎりを持っていこう。具は……鮭と昆布と、あとはまた焼きおにぎりにしておこうかな。

「レダ。お出かけの前に、ちょっとおにぎりつくりますね」
「……? ご飯はさっき食べたよ?」
「私たちのじゃありません。アデルさん用です。いろいろ便宜をはかってもらう予定なので、賄賂です」
「賄賂……?」

 レダはよくわかってない顔をしたものの、『アデルさん用』というのがひっかかったらしい。そのうつくしい唇をへの字に曲げて、主張してきた。

「カーラの手料理を、おれがひとくちも食べられないなんて、おかしい」
「味見はさせてあげますから、それでゆるしてください」
「それなら、まあ……」

 おにぎりひとつで大げさな、と思わないでもないけど、とりあえずレダが納得したので、材料を出してもらう。
 炊きたてのごはんと、いい感じに身をほぐされた鮭と、つやつやとおいしそうな昆布と、香ばしい味噌と醤油だ。……おっと、海苔を忘れていた。レダに追加で頼む。
 料理に使う材料全般、レダ経由でないと私は手に入れられない。これもなんとかしたいところである。

 ともかくも、おにぎりづくりを開始した私は、適宜小さいおにぎりをつくってはレダに味見をさせつつ、合計四つのおにぎりを完成させ、これまたレダに出してもらったいい感じの容れ物に詰めて、アデルさんへの手土産とすることにしたのだった。