2章_番外編『耐寒の日』
大陸に夏を知らせる南の聖霊鳥が深い眠りに付き、北に住まう精霊獣が踊り舞う。
その風に乗り、冬の到来を知らせる精霊たちが世界を巡り、大地は寒々しい季節を迎える。それが本番を迎え、1年で最も昼が最も短く、気温が下がる日。旧科学文明時代が終わりを迎えてから、しばらく寒さは身を寄せて乗り越えてきたことから家族や恋人と共に過ごし、また数日で年を越すため1年の終わりを感じる節目でもある祭日、”耐寒の日"。
アルフレードは想い人と婚約してから初めて迎えた、この日のことを思い出していた。
3年前。
美しい自然現象を見ようとアンジュから誘われたアルフレードは、2日間ブルナー家で過ごすことになっていた。
『キラキラとガラス玉が散りばめられたみたいでね?光が当たると乱反射して…土地全体が飾られた舞台みたいになるんだ。触れようと輝きに伸ばすと、雪だから手には雫しかつかないんだ。当たり前だけど不思議で不思議で…。可笑しいから大好き』
キラキラと輝く様は子供の笑顔のように無邪気に見えるが、手も伸ばしても触れることのできない。ブルナー領では、耐寒の日に見れる景色を”幻影の笑み”と呼んでいるのだという。
頬を赤く染めながら楽しそうに話すアンジュから、景色の美しさと面白さを聞いていたアルフレード。久しぶりに最愛の婚約者と過ごせることもあり、冬の祭日をとても、とても楽しみにしていた。
だが前日、急遽エゼリオ班の出勤命令が下った。なにやら耐寒の日に事件が起こると情報が入ったようで、万が一の対応兵士としてエゼリオ班が選ばれたのだ。
『うわん!デートの予定だったのに』
『あぁ…すまないマーガレット、マリー…』
班室は阿鼻叫喚。仕事熱心なマーギッドでさえ顔を覆っている。予定が崩れがちなのは皆同じであった。
『アルフレードは、その…速達で連絡間に合うか?』
必死に班員をなだめるエゼリオは、硬直したまま動かないアルフレードに問う。
『…速達よりも連絡が早い人がいますので問題ないと思います。今、少し外れてもいいでしょうか』
『あぁ、許可する』
許可を得たアルフレードは、早速防衛局隣の建物、警察局の建物へと向かった。
速達よりも早く西に、アンジュに連絡を届けることができる人物。
つまり。
『…………何の用だ』
アンジュの2番目の兄である、セオドア以外に適任者はいない。
鬱屈な表情を浮かべ元気のない足取りで現れたアルフレードを見るなり、セオドアもアフも眉を顰めた。
『明日急遽出勤が決まり、耐寒の日にブルナー家に行けなくなりました。その旨、アンジュとご家族に伝えていただきたく参りました』
『………………………はぁ…』
『………………………ぎゅ…』
セオドアとアフの深いため息に、アルフレードはさらに表情を曇らせる。
『アンジュに…約束を破って本当に申し訳ない。とも伝えていただけますか…?』
『それは自分で伝えろ』
セオドアは制服の胸ポケットからメモ用紙とペンを取り出し、すはすらとペンを走らせる。書き終えたメモを破りアフに渡すと、任された相棒は姿を消した。他に用件がないと確かめたセオドアも立ち去った。
去るセオドアの背中に、アルフレードは頭を下げる。完全に姿が見えなくなってから、アルフレードは踵を返し、防衛局建物へと戻る。
((自分で、か))
一歩一歩、足が重い。思わず立ち止まり、窓の外を見れば、空は厚い雲に覆われている。まるで自分の憂鬱な気持ちを表しているような天気に、たまらず目を背けてしまった。
今頃アフからメッセージを受け取っているだろうアンジュ。彼女はどんな表情を浮かべているだろうか。
((突然予定を変えた恋人に、はたして会ってくれるのだろうか))
翌日。耐寒の日はただでさえ明るい時間が短いというのに、前日から変わらずの重たい曇り空。
正午を過ぎてからは雪が降り始めた。水分が多い、ぼったりとした雪。降り積もるそれが、建物や道路を真っ白に変えていく。
真っ白に変わっていく街の姿は美しいが、雪の水分が制服や靴に染みていく。先から冷たくなっていく感覚に、アルフレードは思わず眉間にしわを寄せた。
((…アンジュは今何をしているだろうか))
初めてブルナー家に足を踏み入れた日も雪が舞っていた。中央では見ない、厚くふっくらした雪が積もり、山も土地も輝く純白な景色は圧巻であった。初めて踏み入れたブルナー領を、アンジュは時間を削り案内してくれた。好きな人と1日中一緒に過ごせる幸せにアフルレードの胸はいっぱいになった。出掛ける際はもれなく彼女の兄たちや姉も一緒だったが、家族で外に出かける機会が少なかったアフルレードには賑やかで楽しい時間であった。
雪を眺めていると、どうしても考えてしまう。今夜一緒に過ごすはずだった時間を、見るはずだった景色を。アルフレードはたまらず息を吐いたが、ただただ消えてしまった。
業務は無事に終わった。何も起こらなかったのは嬉しいが、アルフレードの気分は晴れないままであった。
班長たちから誘われた飲み会も丁重に断り、アルフレードは退勤した。明日は朝一で西へ向かう。今から西行きの列車の券を購入しないといけない。アルフレードは中央駅に向かおうと足に力を込めた瞬間、『遅い!』と罵声が聞こえてきた。聞き覚えがありすぎる声に、アルフレードは思わず顔を顰める。と同時に疑問が浮かんだ。この声の主は今西にいるはずだ。空耳だろうかと声がした方を見れば、セオドアが仁王立ちしていた。
『どんだけ待たすんだ。風邪ひかせたら家族総出で抗議するぞ』
普段なら受け流せる言葉も、今のささくれたった心には毒だ。じくじくと痛み、疲れが増してしまう。だがこの物言い、紛れもなくセオドア・ブルナー本人である。事前に聞いていた予定では、午後から休みを取り、夕方にはブルナー領に着くと聞いていた。なぜ彼はまだ中央にいるのだろうか。
『やめてよテオ兄さん。急に来たのはこっちなんだから』
ふいに、聞きたかった声が耳に届く。幻聴かと思ったが、背の高いセオドアの後ろから、会いたかった姿が現れた。
『お疲れ様、アルフレード』
『!アンジュ…?!』
西にいるはずの婚約者がいる。アルフレードは信じられず、彼女の元に駆け寄ると頬に触れた。柔らかな頬の肌と、握り返してくれた手の温もりが確かに存在している証明だ。陽の輝きにも勝る笑顔に、毛糸の帽子を深く被り、首元はモコモコとマフラーが巻かれている。幻影ではない、最愛の人が間違いなく、ここにいる。
『でも、なんで、中央に…?』
もっともな疑問である。アルフレードの質問に、アンジュは頬を赤く染める。
『いやぁ…婚約してから初めて耐寒の日を迎えるからさ。折角だから、一緒に過ごしたいなって思って。……来ちゃった』
((ああ…!アンジュ!))
照れ臭そうにはにかむ想い人に、アルフレードの濁った感情は一気に浄化された。歓喜極まり泣いてしまいそうなのを、ぐっと耐える。
隣のセオドアが微妙な表情を浮かべているが気にせず、アルフレードはアンジュの手を握る。
『…おれも、そう思ってた。なのに…本当にすまない。予定を破ってしまって』
『気にしてないよ。お父さんもそうだったもの』
耐寒の日はあらゆる催しが開かれる。どの地区もなかなか忙しい。西では精霊たちも珍しい景色に浮かれ騒ぐため、アンジュの亡くなった父親・デュドネも警備や巡回に追われ予定がかなり不安定であった。前日どころか1時間前に予定変更が普通であった。そのため昨日セオドアからのメモを受け取った際、アンジュは怒りよりも先に納得した。それでも今日は婚約後、初めて迎える耐寒の日。大抵は諦めるアンジュであっても、一緒に過ごしたい欲の方が優った。
『で、今日は僕が一時帰国する日でもあるからさ。中央観光ついでに君を迎えにきたたわけ』
アルフレードの背後から突然声が聞こえた。慌てて振り向けば、そこには爽やかに笑う青年がいた。ウェーブがかかった栗色の髪、杏色と水色の瞳を持つ青年。首元はモコモコとマフラーが巻かれ、薄茶色のダッフルコートが印象的だ。彼の肩にはフクロウのような精霊が留まっている。
『やぁアルフレード久しぶり』
コトラット・ブルナーと、彼と契約する精霊・フィだ。
コトラットはアンジュの2つ上の兄で、5人兄弟の4番目にあたる。精霊遣いであり、生粋の発明家でもある。子供の時からかつて栄えていた超科学文明時代の物を研究、独自に再現や改変して作り上げてきた。足先が器用なフィーポエテランジュ4番目の子。父親似のフクロウの様な姿をしている。飛ぶよりも足技が得意ーも、彼の創作や研究を手伝ってきた。4歳の時に、独自で持ち運び可能、色付き写真機を作り大人たちをとても驚かせた。コトレットは成長し続け、10代で大学を卒業し、国家運営の研究局に就職した。大陸中の各国の天才や発明家、知識人と交流し、知識を深めている。そのため他国への出張が多く、ファラデウスにいる時間の方が短い。
『お久しぶりです。コトレットさん』
『元気そうで何よりだよ、アルフレード』
アルフレードとコトレットが握手を交わす。フィは低く鳴くと、片あを上げる。彼のいつもの挨拶である。
彼らが会うのは、アンジュとアルフレードが婚約した時以来。夏に会った時は少し日焼けした肌も今は寒さのせいか色白くなっている。
『私としては兄さんとアルフレードのお迎えが目的なんだけど』
『んー!優しいねぇアンジュは』
コトレットがアンジュの髪を撫でる。セオドアも弟たちの2人を撫でる。アンジュは『話が進まない!』と2人の兄を叱った。
朝一に中央にやってきたアンジュはしばらく1人で観光していたという。午後にセオドアとコテレットたちと合流し、アルフレードの退勤を待っていたと説明される。アルフレードが買おうと思っていた西への列車の券も、アンジュたちがすでに用意してくれていた。
『何から何まで…本当にありがとう。寒い中待たせてしまって…』
アルフレードは身につけていたマフラーをアンジュに渡そうとしたが、彼女は制止した。
『いや、本当、何も言わずに来たのはこっちだから気にしないで。それに兄さんたちの分も巻かれてて、結構あったかいんだよ?アフもいるし』
アンジュが首元に触れる。するとマフラーからアフが顔を覗かせた。彼は大きくあくびをすると、再び潜っていく。なるほど。妙にモコモコしていた理由がわかったが…アルフレードは少し気に入らない。
『お兄さんのを返して、俺のを巻くのはどうだろう?』
『おいおいおいおいおい』
アルフレードとセオドアの間で火花が散る。
『そこまで!って勝手に来ちゃったんだけど、今夜は夕飯一緒に過ごしたいなって。その…予定大丈夫?』
『全く大丈夫だ。もう帰るだけだったから』
なんて優しいのだろうか。アンジュの行動に心が満たされる。彼女の兄たちのように今すぐ抱きしめたい。いや、抱きしめよう。アルフレードは両手を広げる。
『といっても僕たちも一緒だけどねぇ』
『予約時間に遅れる。行くぞ』
そんな甘い思いを打ちこわしてくるのが、アンジュの兄達だ。
『…こういう時、気を効かせるものでは?』
図々しくはあるが今は少しでも余韻に浸りたい。アルフレードの願いは断固として拒否される。
『絶対に断る。ぜったいに、だ』
『僕もアンジュと久しぶりに過ごしたいなぁ。いいじゃない、義理兄弟で仲を深めようよ。お土産もあるよ?』
そういってコトレットに渡されたのは、乾燥した植物の茎で編まれた人形。見覚えがある作りをしているが、紐が組まれ、服も着ておしゃれな作りだ。用途がわからないものの、アルフレードは礼を述べた。
『なんか死ぬほど嫌な奴いたら、それに釘を打てば呪えるらしいんだ。旧世代からの特級具をおしゃれにしたんだって。使ったらレポートに書いて提出してくれる?』
『コト兄さん!!!!』
アンジュの声が響き渡った。
雪がちらちらと舞う夜。
婚約者と彼女の兄2人ーうち1人はアルフレードにかなり敵対行動をとるーと冬のマーケットに赴く。年越しまで開かれるマーケットは、非常に賑やかだ。
4人と2匹は夕食を共にした。人生の中でも、かなり珍しいメンツで過ごした時間だとアルフレードは振り返る。
訪れた屋台はチーズ料理をメインに取り扱う店であった。店員はセオドアたちを見るや『今年もありがとな!いらっしゃい!』と顔を綻ばせた。
アルフレードも立ち寄ったことのある出店だが、店員が兄妹に向けた晴れやかな笑顔を浮かべていた記憶はない。
こっそりアンジュに聞けば、父親が存命の頃から行きつけの店の出店だと言う。ブルナー領で有名な料理店の1つで、家族で通うことが多かった。セオドアたちを迎えたのは元店長であり、歳の近い祖父と特に仲が良いのだとか。父親の死後、アンジュの噂に憤る義理に熱い店長たちは、屋敷まで料理を振る舞いに来たり、セオドアが中央に越してきてからわざわざ出張屋台を開いているのだと言う。
席に案内された。アンジュも珍しく気を楽にしている。アルフレードはこの店をよく覚えておくことにした。
『アルフレード。良かったら受け取ってくれる?』
料理の注文を終えると、アルフレードはアンジュから小包を贈られた。中を確かめると、丸い透明なドームの中に水とミニチュアがあり、そしてキラキラ光るパウダーがその周囲を舞う馴染みある品物であった。
『スノードーム』
『うん。それも”幻影の笑み”の風景を模したもの。毎年1日限定なんだ。本物は来年見るとして、今年はスノードームを用意してみました。テオ兄さんとコト兄さんもどうぞ』
アンジュは兄2人にもプレゼントを渡した。地元を離れているセオドアとコトレットも、仕事の都合上ブルナー領名物景色を逃すことがある。アンジュは『今更でごめんね』と眉を下げているが、セオドアとコトレットは大層嬉しそうにお礼を伝えた。
『アンジュ、とても嬉しい。ありがとう』
アルフレードはスノードームを一度逆さにするとテーブルに置く。灯りを反射してキラキラと輝いている。諦めていた時間を婚約者は叶えてくれた。アルフレードも気持ちを伝えれば、アンジュは優しく『…よかった』としみじみと呟いた。まるで不安が解け、安堵したようであった。何があったというのか。
『はぁい、お待たせ!』
丁度料理が運ばれてきた。アンジュの表情も変わり、アルフレードの小さな疑問符は消えてしまった。
今夜のメインディッシュは、溶けたチーズにハーブ酒と蜂蜜が混ぜ合わせているフォンデュ・オ・フロマージュ。熱々のチーズを、沢山の温野菜や肉類、パンにつける。体も温まる冬の贅沢料理だ。他にもスープや果物の盛り合わせもあり、テーブルはたいそう豪華である。注文したよりも具材はおまけされて、山盛りになっている。
『ほい、じゃ存分に食えよ。火傷には気をつけろ』
『あぁ…この味、体に染みる』
『アルフレードもどんどん食べてね』
『あぁ。本当にすごくおいしいな』
『ウギュウギュウギュ…』
『フォ』
熱々のご飯で体の芯まで温まっていく。食事中はコトレットの海外の話で盛り上がり、賑やかな時間が流れていった。食べながら機嫌が良くなったアフが喜びの舞を踊る。兄であるフィに止められるまで存分にお尻と尻尾を振る様を見ながら、4人と2匹は美味しい食事を堪能した。
結局アルフレードはアンジュと2人きりになることはなく、コトレットと共にセオドアの部屋に泊まるとアンジュと別れた。翌日改めて合流し、全員でブルナー家に出向いたのだ。
『おかえり、4人と2匹』
『おかえりなさい、みんな』
優しく出迎えてくれたブルナー家族。アルフレードは一家団欒に混じり温かな食卓を囲い、贈られたほっぺが落ちそうなほど美味しいパイーブルナー家と仲の良い果樹園、その跡取りはセオドアの親友で、自家製のパイを販売しているーを堪能し、プレゼントを贈り合い、精霊たちを交え雪で遊ぶなど賑やかで明るい時間を過ごした。好きな人と、彼女の家族と過ごした1日はアルフレードにとってかけがえのないものであった。
ようやく西・ブルナー名物の風景を見れたのは1年前、つまり去年だ。しかし耐寒の日翌日に仕事が入ってしまい、短い時間滞在した後、慌ただしく中央へと戻ったのだ。
今年、婚約者たちとゆっくり過ごせるのが涙が出そうなほど嬉しい。
今、アルフレードはアンジュの家族と共に湖に向かっていた。ブルナー領が誇る湖から見る、”幻影の笑み”が1番美しい体。
アルフレードはゆっくり足を運びながら、少し離れたところで家族に囲まれているアンジュに目を向ける。祖父母に母親、セレストと彼女の家族、セオドアやコトレット、ポエテランジュたち…。彼女たちはぎゅうぎゅうと身を寄せ合い、冬の寒さなどもろともしない。
今日1日、ブルナー家族はひどく幸せそうであった。アンジュがセオドアの元を訪ねた用事と同様の事を他の家族にも伝えているようなのだ。ようなのだ、と表現したのは確かではないから。アルフレードは話を聞いていない。アンジュと彼らの間の事だと、あえて踏み入らないと決めたからだ。それでも、希望ある話だろうと考えている。だって誰もが満面な笑みで、嬉しい感情をそのままにアンジュに構っているのだ。アルフレードがいる手前か、彼の性格からか隠していたが、先日のセオドアも同じ反応を滲ませていた。
「なぁに黄昏ているんだい?もう夜も遅いぞうアルフレード」
ふに。
アルフレードは優しく頬をつつかれた。彼にイタズラしたのは、ブルナー5人兄弟の1番目であるライオネルだ。杏色の瞳を細め、愉快そうに笑っている。元々陽気に振る舞うライオネルであるが、今日はアンジュとの話の後上機嫌になった。お酒を飲んだ彼は今、陽気さと上機嫌に拍車がかかっていた。面白みのない妹の婚約者の頬を、ふにふに、ふにふにと指で何度もつついては、可笑しそうに腹を抱えている。
「もう、あまりいじめるとアンジュに叱られるわよ?」
ほとんど酔っ払い同然のライオネルを嗜めたのは、彼の婚約者。「はーい」と素直に行動をやめたが、何かが彼の笑いのツボに入った様でまだ少し肩を揺らしていた。
「それで?何、思い出してたの」
「初めて迎えた耐寒の日のことを」
「あーあの時ね。まったく前日に仕事が入るとは、中央にはスケジュール管理がなってないよなぁまったく」
ライオネルの言葉にアルフレードは苦笑する。
「ま、けど。落ち込みが酷くなさそうだったから良かったよ。ちょこっとは心配したからね」
「どう言う意味です?」
「テオからのメモに貴方が泣いて残念がってるって書いてあったのよ?アンジュも心配しちゃって」
ライオネルに変わりセレストが説明する。3年前。アフから伝言が書かれたメモ受け取ったアンジュは狼狽えた。
アルフレード、緊急の仕事で耐寒の日はいけないとのこと。アイツ泣いてます。
セオドア
『アルフレードが泣いている…?』
メッセージには泣き顔アルフレードの似顔絵が添えられていた。
仕事で予定が変わってしまったのはーアンジュも楽しみにしていたため、本当は大分不服ではあるがー諦めれるが、好きな人が泣いているのはいただけない。即解決しなければならぬ事案だ。しかし毎年家族で耐寒の日を過ごしている。婚約者と家族で悩むアンジュに、母親たちが助け舟を出した。
『婚約後初めて迎えるのだから、一緒に過ごしてきたら?』
『翌日にはアルフレードも来るんだ。その時に存分に団欒しましょう』
『イベントはできる時にやらないと後悔するわ』
家族の提案に甘えたアンジュは、耐寒の日は中央に行く旨をセオドアに伝えれた。すると『コトレットからも連絡が届き、皆んなで集まって夕飯でも食べようと話がまとまったのだ。ちなみにアルフレードに事前に連絡が行かなかったのは、サプライズにした方が喜びが倍増するんじゃない?とコトレットが提案したからである。
話を戻そう。
3年前の顛末を聞かされたアルフレード。セオドアに顔を向けると「ないて、ません!」と声高に訴えた。反動で木の枝に積もる雪が落ちる。絶対に泣いていない。夜は枕を濡らしたが、職場で涙を流したことは、ない。泣いていたとしても、かっこ悪い姿を婚約者には知られてほしくない。せめて黙って欲しかった。
「いや、泣いてた」
アルフレードの心境など知ったことではないセオドアは真顔で断言する。彼の相棒であるアフも頷いた。涙は流していなかったが、目尻に微かに涙が溜まっていたのをセオドアたちは確認していたからだ。
当の本人は気づいていないため必死に訴えているが、馬に説教するが如く響くわけがない。
「けど顔色酷かったのは事実だよ?」
「うっ…」
話の輪に加わった婚約者にも指摘されれば、流石にアルフレードも認めざるおえない。恥ずかしいが、カッコ悪い部分をさらけ出すことで愛おしい人と時間を過ごせたのだ。前向きに考えを改めることにした。
「けど、元気そうでよかったよ。あの時見れなかったのは残念だったよね。すごく楽しみにしてたもの。スノードームしか用意できなかったけど、元気になって良かった」
「アンジュ、違う、そこ違う」
1人頷くアンジュに、コトレットがつかさず首を横に振った。彼の肩に乗るフィや、彼の姉弟たちも同じ動きで「違う、違う」とアンジュに伝える。
「え?違う何が?」
「アンジュは素直だな。けど相手はアルフレードだからね?」
「まだまだお勉強していきましょうね」
「…もうこのままの方が良くないですか?牽制になりますよ」
「そんな事言って何かあったらどするの!」
「それよりもおじいちゃんになっちゃうまで進展しなさそう」
「散々な言われよう…」
答えがわからないアンジュは狼狽えている。その様子にアルフレードは申し訳なさで一杯になる。確かに手紙にはたくさん"景色を楽しみにしてる"と書いた。アルフレードとしては"アンジュと景色を見ることを楽しみにしている"の意味であったのだが。もし叶うなら過去の自分を叱りたい。
アルフレードの肩に手が置かれた。ブルナー兄妹の祖父であるオノフレドが苦笑している。彼はアルフレードにゆっくり頷くと、今度はアンジュの頭を撫でて「せっかくなら本人に聞いてみなさい。ほら皆行くぞ」と、ライオネルたちと湖への道を進んでいく。
不思議そうに首を傾げているアンジュに、アルフレードは答える。
「景色も楽しみにしていたけど…アンジュとの予定が潰れるのが1番辛かったんだよ」
途端にアンジュは顔を覆った。手の隙間から「なるほど…」とうめき声も漏れる。アルフレードとは相思相愛だと分かっても、過去の出来事まできちんと結び付けられていないアンジュ。思い出を振り返る度、まだ今までの考え方から抜け出せないでいるのだ。
「そうだよね…。ごめん、私ったらまた」
「アンジュ」
アルフレードはアンジュを抱きしめると、真っ赤に染まった彼女の耳元で囁いた。
「俺は君から離れる気はない。言葉足らずで伝わっていなくても、何度でも伝えるし、いくらでも繰り返すから。1つずつ確認していこう?」
「う、うん」
(おぉぉ…さすがアルフレード)
アルフレードの言葉に、アンジュは照れよりも尊敬が勝る。好きな人と想いが通じ合ったとしても、彼を推しとしているアンジュにとって、ようやく歩み出したが恋路もまだ少し道のりは遠回りをしそうである。
そんなアンジュたちを遠くから見守るブルナー家族。ようやく恋人らしくなってきた。すれ違う2人に長年ヒヤヒヤさせられたのだ。彼女たちには、これから見守るのも恥ずかしくて、避けたいと思わせてくれるような熱い関係になってもらわねばらぬ。それはランゲ家も総意だ。
引き続き見守りながら手を貸す気満々な両家族の熱意は、降り積もる雪を溶かす勢いである。
家族の思いを知らぬ若者たちは、手を繋ぎ道を歩く。手から伝わる相手の存在と温もり。顔が自然と緩んでしまう。
アルフレードは再び空を見上げた。婚約者に倣い、アンジュも顔を上げる。
冷たい北風に乗り、雪の輝きが舞っている。光から光へ、反射して、周囲を照らす。
「綺麗だね」
「あぁ…綺麗だ」
キラキラ、キラキラ。
アルフレードが見る景色が一層輝いているのは、隣にいる、愛すべき婚約者の影響だ。
(どうか、どうかこの幸せが続きますように)
アルフレードはつなぐ手を固く握りしめながら、切実に願うのであった。
大陸に夏を知らせる南の聖霊鳥が深い眠りに付き、北に住まう精霊獣が踊り舞う。
その風に乗り、冬の到来を知らせる精霊たちが世界を巡り、大地は寒々しい季節を迎える。それが本番を迎え、1年で最も昼が最も短く、気温が下がる日。旧科学文明時代が終わりを迎えてから、しばらく寒さは身を寄せて乗り越えてきたことから家族や恋人と共に過ごし、また数日で年を越すため1年の終わりを感じる節目でもある祭日、”耐寒の日"。
アルフレードは想い人と婚約してから初めて迎えた、この日のことを思い出していた。
3年前。
美しい自然現象を見ようとアンジュから誘われたアルフレードは、2日間ブルナー家で過ごすことになっていた。
『キラキラとガラス玉が散りばめられたみたいでね?光が当たると乱反射して…土地全体が飾られた舞台みたいになるんだ。触れようと輝きに伸ばすと、雪だから手には雫しかつかないんだ。当たり前だけど不思議で不思議で…。可笑しいから大好き』
キラキラと輝く様は子供の笑顔のように無邪気に見えるが、手も伸ばしても触れることのできない。ブルナー領では、耐寒の日に見れる景色を”幻影の笑み”と呼んでいるのだという。
頬を赤く染めながら楽しそうに話すアンジュから、景色の美しさと面白さを聞いていたアルフレード。久しぶりに最愛の婚約者と過ごせることもあり、冬の祭日をとても、とても楽しみにしていた。
だが前日、急遽エゼリオ班の出勤命令が下った。なにやら耐寒の日に事件が起こると情報が入ったようで、万が一の対応兵士としてエゼリオ班が選ばれたのだ。
『うわん!デートの予定だったのに』
『あぁ…すまないマーガレット、マリー…』
班室は阿鼻叫喚。仕事熱心なマーギッドでさえ顔を覆っている。予定が崩れがちなのは皆同じであった。
『アルフレードは、その…速達で連絡間に合うか?』
必死に班員をなだめるエゼリオは、硬直したまま動かないアルフレードに問う。
『…速達よりも連絡が早い人がいますので問題ないと思います。今、少し外れてもいいでしょうか』
『あぁ、許可する』
許可を得たアルフレードは、早速防衛局隣の建物、警察局の建物へと向かった。
速達よりも早く西に、アンジュに連絡を届けることができる人物。
つまり。
『…………何の用だ』
アンジュの2番目の兄である、セオドア以外に適任者はいない。
鬱屈な表情を浮かべ元気のない足取りで現れたアルフレードを見るなり、セオドアもアフも眉を顰めた。
『明日急遽出勤が決まり、耐寒の日にブルナー家に行けなくなりました。その旨、アンジュとご家族に伝えていただきたく参りました』
『………………………はぁ…』
『………………………ぎゅ…』
セオドアとアフの深いため息に、アルフレードはさらに表情を曇らせる。
『アンジュに…約束を破って本当に申し訳ない。とも伝えていただけますか…?』
『それは自分で伝えろ』
セオドアは制服の胸ポケットからメモ用紙とペンを取り出し、すはすらとペンを走らせる。書き終えたメモを破りアフに渡すと、任された相棒は姿を消した。他に用件がないと確かめたセオドアも立ち去った。
去るセオドアの背中に、アルフレードは頭を下げる。完全に姿が見えなくなってから、アルフレードは踵を返し、防衛局建物へと戻る。
((自分で、か))
一歩一歩、足が重い。思わず立ち止まり、窓の外を見れば、空は厚い雲に覆われている。まるで自分の憂鬱な気持ちを表しているような天気に、たまらず目を背けてしまった。
今頃アフからメッセージを受け取っているだろうアンジュ。彼女はどんな表情を浮かべているだろうか。
((突然予定を変えた恋人に、はたして会ってくれるのだろうか))
翌日。耐寒の日はただでさえ明るい時間が短いというのに、前日から変わらずの重たい曇り空。
正午を過ぎてからは雪が降り始めた。水分が多い、ぼったりとした雪。降り積もるそれが、建物や道路を真っ白に変えていく。
真っ白に変わっていく街の姿は美しいが、雪の水分が制服や靴に染みていく。先から冷たくなっていく感覚に、アルフレードは思わず眉間にしわを寄せた。
((…アンジュは今何をしているだろうか))
初めてブルナー家に足を踏み入れた日も雪が舞っていた。中央では見ない、厚くふっくらした雪が積もり、山も土地も輝く純白な景色は圧巻であった。初めて踏み入れたブルナー領を、アンジュは時間を削り案内してくれた。好きな人と1日中一緒に過ごせる幸せにアフルレードの胸はいっぱいになった。出掛ける際はもれなく彼女の兄たちや姉も一緒だったが、家族で外に出かける機会が少なかったアフルレードには賑やかで楽しい時間であった。
雪を眺めていると、どうしても考えてしまう。今夜一緒に過ごすはずだった時間を、見るはずだった景色を。アルフレードはたまらず息を吐いたが、ただただ消えてしまった。
業務は無事に終わった。何も起こらなかったのは嬉しいが、アルフレードの気分は晴れないままであった。
班長たちから誘われた飲み会も丁重に断り、アルフレードは退勤した。明日は朝一で西へ向かう。今から西行きの列車の券を購入しないといけない。アルフレードは中央駅に向かおうと足に力を込めた瞬間、『遅い!』と罵声が聞こえてきた。聞き覚えがありすぎる声に、アルフレードは思わず顔を顰める。と同時に疑問が浮かんだ。この声の主は今西にいるはずだ。空耳だろうかと声がした方を見れば、セオドアが仁王立ちしていた。
『どんだけ待たすんだ。風邪ひかせたら家族総出で抗議するぞ』
普段なら受け流せる言葉も、今のささくれたった心には毒だ。じくじくと痛み、疲れが増してしまう。だがこの物言い、紛れもなくセオドア・ブルナー本人である。事前に聞いていた予定では、午後から休みを取り、夕方にはブルナー領に着くと聞いていた。なぜ彼はまだ中央にいるのだろうか。
『やめてよテオ兄さん。急に来たのはこっちなんだから』
ふいに、聞きたかった声が耳に届く。幻聴かと思ったが、背の高いセオドアの後ろから、会いたかった姿が現れた。
『お疲れ様、アルフレード』
『!アンジュ…?!』
西にいるはずの婚約者がいる。アルフレードは信じられず、彼女の元に駆け寄ると頬に触れた。柔らかな頬の肌と、握り返してくれた手の温もりが確かに存在している証明だ。陽の輝きにも勝る笑顔に、毛糸の帽子を深く被り、首元はモコモコとマフラーが巻かれている。幻影ではない、最愛の人が間違いなく、ここにいる。
『でも、なんで、中央に…?』
もっともな疑問である。アルフレードの質問に、アンジュは頬を赤く染める。
『いやぁ…婚約してから初めて耐寒の日を迎えるからさ。折角だから、一緒に過ごしたいなって思って。……来ちゃった』
((ああ…!アンジュ!))
照れ臭そうにはにかむ想い人に、アルフレードの濁った感情は一気に浄化された。歓喜極まり泣いてしまいそうなのを、ぐっと耐える。
隣のセオドアが微妙な表情を浮かべているが気にせず、アルフレードはアンジュの手を握る。
『…おれも、そう思ってた。なのに…本当にすまない。予定を破ってしまって』
『気にしてないよ。お父さんもそうだったもの』
耐寒の日はあらゆる催しが開かれる。どの地区もなかなか忙しい。西では精霊たちも珍しい景色に浮かれ騒ぐため、アンジュの亡くなった父親・デュドネも警備や巡回に追われ予定がかなり不安定であった。前日どころか1時間前に予定変更が普通であった。そのため昨日セオドアからのメモを受け取った際、アンジュは怒りよりも先に納得した。それでも今日は婚約後、初めて迎える耐寒の日。大抵は諦めるアンジュであっても、一緒に過ごしたい欲の方が優った。
『で、今日は僕が一時帰国する日でもあるからさ。中央観光ついでに君を迎えにきたたわけ』
アルフレードの背後から突然声が聞こえた。慌てて振り向けば、そこには爽やかに笑う青年がいた。ウェーブがかかった栗色の髪、杏色と水色の瞳を持つ青年。首元はモコモコとマフラーが巻かれ、薄茶色のダッフルコートが印象的だ。彼の肩にはフクロウのような精霊が留まっている。
『やぁアルフレード久しぶり』
コトラット・ブルナーと、彼と契約する精霊・フィだ。
コトラットはアンジュの2つ上の兄で、5人兄弟の4番目にあたる。精霊遣いであり、生粋の発明家でもある。子供の時からかつて栄えていた超科学文明時代の物を研究、独自に再現や改変して作り上げてきた。足先が器用なフィーポエテランジュ4番目の子。父親似のフクロウの様な姿をしている。飛ぶよりも足技が得意ーも、彼の創作や研究を手伝ってきた。4歳の時に、独自で持ち運び可能、色付き写真機を作り大人たちをとても驚かせた。コトレットは成長し続け、10代で大学を卒業し、国家運営の研究局に就職した。大陸中の各国の天才や発明家、知識人と交流し、知識を深めている。そのため他国への出張が多く、ファラデウスにいる時間の方が短い。
『お久しぶりです。コトレットさん』
『元気そうで何よりだよ、アルフレード』
アルフレードとコトレットが握手を交わす。フィは低く鳴くと、片あを上げる。彼のいつもの挨拶である。
彼らが会うのは、アンジュとアルフレードが婚約した時以来。夏に会った時は少し日焼けした肌も今は寒さのせいか色白くなっている。
『私としては兄さんとアルフレードのお迎えが目的なんだけど』
『んー!優しいねぇアンジュは』
コトレットがアンジュの髪を撫でる。セオドアも弟たちの2人を撫でる。アンジュは『話が進まない!』と2人の兄を叱った。
朝一に中央にやってきたアンジュはしばらく1人で観光していたという。午後にセオドアとコテレットたちと合流し、アルフレードの退勤を待っていたと説明される。アルフレードが買おうと思っていた西への列車の券も、アンジュたちがすでに用意してくれていた。
『何から何まで…本当にありがとう。寒い中待たせてしまって…』
アルフレードは身につけていたマフラーをアンジュに渡そうとしたが、彼女は制止した。
『いや、本当、何も言わずに来たのはこっちだから気にしないで。それに兄さんたちの分も巻かれてて、結構あったかいんだよ?アフもいるし』
アンジュが首元に触れる。するとマフラーからアフが顔を覗かせた。彼は大きくあくびをすると、再び潜っていく。なるほど。妙にモコモコしていた理由がわかったが…アルフレードは少し気に入らない。
『お兄さんのを返して、俺のを巻くのはどうだろう?』
『おいおいおいおいおい』
アルフレードとセオドアの間で火花が散る。
『そこまで!って勝手に来ちゃったんだけど、今夜は夕飯一緒に過ごしたいなって。その…予定大丈夫?』
『全く大丈夫だ。もう帰るだけだったから』
なんて優しいのだろうか。アンジュの行動に心が満たされる。彼女の兄たちのように今すぐ抱きしめたい。いや、抱きしめよう。アルフレードは両手を広げる。
『といっても僕たちも一緒だけどねぇ』
『予約時間に遅れる。行くぞ』
そんな甘い思いを打ちこわしてくるのが、アンジュの兄達だ。
『…こういう時、気を効かせるものでは?』
図々しくはあるが今は少しでも余韻に浸りたい。アルフレードの願いは断固として拒否される。
『絶対に断る。ぜったいに、だ』
『僕もアンジュと久しぶりに過ごしたいなぁ。いいじゃない、義理兄弟で仲を深めようよ。お土産もあるよ?』
そういってコトレットに渡されたのは、乾燥した植物の茎で編まれた人形。見覚えがある作りをしているが、紐が組まれ、服も着ておしゃれな作りだ。用途がわからないものの、アルフレードは礼を述べた。
『なんか死ぬほど嫌な奴いたら、それに釘を打てば呪えるらしいんだ。旧世代からの特級具をおしゃれにしたんだって。使ったらレポートに書いて提出してくれる?』
『コト兄さん!!!!』
アンジュの声が響き渡った。
雪がちらちらと舞う夜。
婚約者と彼女の兄2人ーうち1人はアルフレードにかなり敵対行動をとるーと冬のマーケットに赴く。年越しまで開かれるマーケットは、非常に賑やかだ。
4人と2匹は夕食を共にした。人生の中でも、かなり珍しいメンツで過ごした時間だとアルフレードは振り返る。
訪れた屋台はチーズ料理をメインに取り扱う店であった。店員はセオドアたちを見るや『今年もありがとな!いらっしゃい!』と顔を綻ばせた。
アルフレードも立ち寄ったことのある出店だが、店員が兄妹に向けた晴れやかな笑顔を浮かべていた記憶はない。
こっそりアンジュに聞けば、父親が存命の頃から行きつけの店の出店だと言う。ブルナー領で有名な料理店の1つで、家族で通うことが多かった。セオドアたちを迎えたのは元店長であり、歳の近い祖父と特に仲が良いのだとか。父親の死後、アンジュの噂に憤る義理に熱い店長たちは、屋敷まで料理を振る舞いに来たり、セオドアが中央に越してきてからわざわざ出張屋台を開いているのだと言う。
席に案内された。アンジュも珍しく気を楽にしている。アルフレードはこの店をよく覚えておくことにした。
『アルフレード。良かったら受け取ってくれる?』
料理の注文を終えると、アルフレードはアンジュから小包を贈られた。中を確かめると、丸い透明なドームの中に水とミニチュアがあり、そしてキラキラ光るパウダーがその周囲を舞う馴染みある品物であった。
『スノードーム』
『うん。それも”幻影の笑み”の風景を模したもの。毎年1日限定なんだ。本物は来年見るとして、今年はスノードームを用意してみました。テオ兄さんとコト兄さんもどうぞ』
アンジュは兄2人にもプレゼントを渡した。地元を離れているセオドアとコトレットも、仕事の都合上ブルナー領名物景色を逃すことがある。アンジュは『今更でごめんね』と眉を下げているが、セオドアとコトレットは大層嬉しそうにお礼を伝えた。
『アンジュ、とても嬉しい。ありがとう』
アルフレードはスノードームを一度逆さにするとテーブルに置く。灯りを反射してキラキラと輝いている。諦めていた時間を婚約者は叶えてくれた。アルフレードも気持ちを伝えれば、アンジュは優しく『…よかった』としみじみと呟いた。まるで不安が解け、安堵したようであった。何があったというのか。
『はぁい、お待たせ!』
丁度料理が運ばれてきた。アンジュの表情も変わり、アルフレードの小さな疑問符は消えてしまった。
今夜のメインディッシュは、溶けたチーズにハーブ酒と蜂蜜が混ぜ合わせているフォンデュ・オ・フロマージュ。熱々のチーズを、沢山の温野菜や肉類、パンにつける。体も温まる冬の贅沢料理だ。他にもスープや果物の盛り合わせもあり、テーブルはたいそう豪華である。注文したよりも具材はおまけされて、山盛りになっている。
『ほい、じゃ存分に食えよ。火傷には気をつけろ』
『あぁ…この味、体に染みる』
『アルフレードもどんどん食べてね』
『あぁ。本当にすごくおいしいな』
『ウギュウギュウギュ…』
『フォ』
熱々のご飯で体の芯まで温まっていく。食事中はコトレットの海外の話で盛り上がり、賑やかな時間が流れていった。食べながら機嫌が良くなったアフが喜びの舞を踊る。兄であるフィに止められるまで存分にお尻と尻尾を振る様を見ながら、4人と2匹は美味しい食事を堪能した。
結局アルフレードはアンジュと2人きりになることはなく、コトレットと共にセオドアの部屋に泊まるとアンジュと別れた。翌日改めて合流し、全員でブルナー家に出向いたのだ。
『おかえり、4人と2匹』
『おかえりなさい、みんな』
優しく出迎えてくれたブルナー家族。アルフレードは一家団欒に混じり温かな食卓を囲い、贈られたほっぺが落ちそうなほど美味しいパイーブルナー家と仲の良い果樹園、その跡取りはセオドアの親友で、自家製のパイを販売しているーを堪能し、プレゼントを贈り合い、精霊たちを交え雪で遊ぶなど賑やかで明るい時間を過ごした。好きな人と、彼女の家族と過ごした1日はアルフレードにとってかけがえのないものであった。
ようやく西・ブルナー名物の風景を見れたのは1年前、つまり去年だ。しかし耐寒の日翌日に仕事が入ってしまい、短い時間滞在した後、慌ただしく中央へと戻ったのだ。
今年、婚約者たちとゆっくり過ごせるのが涙が出そうなほど嬉しい。
今、アルフレードはアンジュの家族と共に湖に向かっていた。ブルナー領が誇る湖から見る、”幻影の笑み”が1番美しい体。
アルフレードはゆっくり足を運びながら、少し離れたところで家族に囲まれているアンジュに目を向ける。祖父母に母親、セレストと彼女の家族、セオドアやコトレット、ポエテランジュたち…。彼女たちはぎゅうぎゅうと身を寄せ合い、冬の寒さなどもろともしない。
今日1日、ブルナー家族はひどく幸せそうであった。アンジュがセオドアの元を訪ねた用事と同様の事を他の家族にも伝えているようなのだ。ようなのだ、と表現したのは確かではないから。アルフレードは話を聞いていない。アンジュと彼らの間の事だと、あえて踏み入らないと決めたからだ。それでも、希望ある話だろうと考えている。だって誰もが満面な笑みで、嬉しい感情をそのままにアンジュに構っているのだ。アルフレードがいる手前か、彼の性格からか隠していたが、先日のセオドアも同じ反応を滲ませていた。
「なぁに黄昏ているんだい?もう夜も遅いぞうアルフレード」
ふに。
アルフレードは優しく頬をつつかれた。彼にイタズラしたのは、ブルナー5人兄弟の1番目であるライオネルだ。杏色の瞳を細め、愉快そうに笑っている。元々陽気に振る舞うライオネルであるが、今日はアンジュとの話の後上機嫌になった。お酒を飲んだ彼は今、陽気さと上機嫌に拍車がかかっていた。面白みのない妹の婚約者の頬を、ふにふに、ふにふにと指で何度もつついては、可笑しそうに腹を抱えている。
「もう、あまりいじめるとアンジュに叱られるわよ?」
ほとんど酔っ払い同然のライオネルを嗜めたのは、彼の婚約者。「はーい」と素直に行動をやめたが、何かが彼の笑いのツボに入った様でまだ少し肩を揺らしていた。
「それで?何、思い出してたの」
「初めて迎えた耐寒の日のことを」
「あーあの時ね。まったく前日に仕事が入るとは、中央にはスケジュール管理がなってないよなぁまったく」
ライオネルの言葉にアルフレードは苦笑する。
「ま、けど。落ち込みが酷くなさそうだったから良かったよ。ちょこっとは心配したからね」
「どう言う意味です?」
「テオからのメモに貴方が泣いて残念がってるって書いてあったのよ?アンジュも心配しちゃって」
ライオネルに変わりセレストが説明する。3年前。アフから伝言が書かれたメモ受け取ったアンジュは狼狽えた。
アルフレード、緊急の仕事で耐寒の日はいけないとのこと。アイツ泣いてます。
セオドア
『アルフレードが泣いている…?』
メッセージには泣き顔アルフレードの似顔絵が添えられていた。
仕事で予定が変わってしまったのはーアンジュも楽しみにしていたため、本当は大分不服ではあるがー諦めれるが、好きな人が泣いているのはいただけない。即解決しなければならぬ事案だ。しかし毎年家族で耐寒の日を過ごしている。婚約者と家族で悩むアンジュに、母親たちが助け舟を出した。
『婚約後初めて迎えるのだから、一緒に過ごしてきたら?』
『翌日にはアルフレードも来るんだ。その時に存分に団欒しましょう』
『イベントはできる時にやらないと後悔するわ』
家族の提案に甘えたアンジュは、耐寒の日は中央に行く旨をセオドアに伝えれた。すると『コトレットからも連絡が届き、皆んなで集まって夕飯でも食べようと話がまとまったのだ。ちなみにアルフレードに事前に連絡が行かなかったのは、サプライズにした方が喜びが倍増するんじゃない?とコトレットが提案したからである。
話を戻そう。
3年前の顛末を聞かされたアルフレード。セオドアに顔を向けると「ないて、ません!」と声高に訴えた。反動で木の枝に積もる雪が落ちる。絶対に泣いていない。夜は枕を濡らしたが、職場で涙を流したことは、ない。泣いていたとしても、かっこ悪い姿を婚約者には知られてほしくない。せめて黙って欲しかった。
「いや、泣いてた」
アルフレードの心境など知ったことではないセオドアは真顔で断言する。彼の相棒であるアフも頷いた。涙は流していなかったが、目尻に微かに涙が溜まっていたのをセオドアたちは確認していたからだ。
当の本人は気づいていないため必死に訴えているが、馬に説教するが如く響くわけがない。
「けど顔色酷かったのは事実だよ?」
「うっ…」
話の輪に加わった婚約者にも指摘されれば、流石にアルフレードも認めざるおえない。恥ずかしいが、カッコ悪い部分をさらけ出すことで愛おしい人と時間を過ごせたのだ。前向きに考えを改めることにした。
「けど、元気そうでよかったよ。あの時見れなかったのは残念だったよね。すごく楽しみにしてたもの。スノードームしか用意できなかったけど、元気になって良かった」
「アンジュ、違う、そこ違う」
1人頷くアンジュに、コトレットがつかさず首を横に振った。彼の肩に乗るフィや、彼の姉弟たちも同じ動きで「違う、違う」とアンジュに伝える。
「え?違う何が?」
「アンジュは素直だな。けど相手はアルフレードだからね?」
「まだまだお勉強していきましょうね」
「…もうこのままの方が良くないですか?牽制になりますよ」
「そんな事言って何かあったらどするの!」
「それよりもおじいちゃんになっちゃうまで進展しなさそう」
「散々な言われよう…」
答えがわからないアンジュは狼狽えている。その様子にアルフレードは申し訳なさで一杯になる。確かに手紙にはたくさん"景色を楽しみにしてる"と書いた。アルフレードとしては"アンジュと景色を見ることを楽しみにしている"の意味であったのだが。もし叶うなら過去の自分を叱りたい。
アルフレードの肩に手が置かれた。ブルナー兄妹の祖父であるオノフレドが苦笑している。彼はアルフレードにゆっくり頷くと、今度はアンジュの頭を撫でて「せっかくなら本人に聞いてみなさい。ほら皆行くぞ」と、ライオネルたちと湖への道を進んでいく。
不思議そうに首を傾げているアンジュに、アルフレードは答える。
「景色も楽しみにしていたけど…アンジュとの予定が潰れるのが1番辛かったんだよ」
途端にアンジュは顔を覆った。手の隙間から「なるほど…」とうめき声も漏れる。アルフレードとは相思相愛だと分かっても、過去の出来事まできちんと結び付けられていないアンジュ。思い出を振り返る度、まだ今までの考え方から抜け出せないでいるのだ。
「そうだよね…。ごめん、私ったらまた」
「アンジュ」
アルフレードはアンジュを抱きしめると、真っ赤に染まった彼女の耳元で囁いた。
「俺は君から離れる気はない。言葉足らずで伝わっていなくても、何度でも伝えるし、いくらでも繰り返すから。1つずつ確認していこう?」
「う、うん」
(おぉぉ…さすがアルフレード)
アルフレードの言葉に、アンジュは照れよりも尊敬が勝る。好きな人と想いが通じ合ったとしても、彼を推しとしているアンジュにとって、ようやく歩み出したが恋路もまだ少し道のりは遠回りをしそうである。
そんなアンジュたちを遠くから見守るブルナー家族。ようやく恋人らしくなってきた。すれ違う2人に長年ヒヤヒヤさせられたのだ。彼女たちには、これから見守るのも恥ずかしくて、避けたいと思わせてくれるような熱い関係になってもらわねばらぬ。それはランゲ家も総意だ。
引き続き見守りながら手を貸す気満々な両家族の熱意は、降り積もる雪を溶かす勢いである。
家族の思いを知らぬ若者たちは、手を繋ぎ道を歩く。手から伝わる相手の存在と温もり。顔が自然と緩んでしまう。
アルフレードは再び空を見上げた。婚約者に倣い、アンジュも顔を上げる。
冷たい北風に乗り、雪の輝きが舞っている。光から光へ、反射して、周囲を照らす。
「綺麗だね」
「あぁ…綺麗だ」
キラキラ、キラキラ。
アルフレードが見る景色が一層輝いているのは、隣にいる、愛すべき婚約者の影響だ。
(どうか、どうかこの幸せが続きますように)
アルフレードはつなぐ手を固く握りしめながら、切実に願うのであった。
