"推したい"婚約者

訓練開始から20分前のこと。
アルフレードは班室で書類整理に精を出していた。班室には、副班長・マーギッド以外は誰もいない。班長と、2人の先輩は書類と向き合っているうちに部屋からいなくなっていた。仮配属の新人たちは1日軍学校指導員の元で訓練だ。広報関連の仕事もないため、溜まっていた事務作業を片付けるには良い時間だ。
紙に書く音が静かに部屋に響く。

「昨日の訓練、何かありましたか?」

黙々と作業を進めていると、マーギッドに声をかけられる。アルフレードは顔をあげた。

「いえ…?問題なく終わりました」

「確かに報告ではそう上がってます。しかし貴方が事務作業が捗っている時は、大抵悩んでいる時ですから」

アルフレードは言葉に詰まる。話すべきか一巡するも、素直に恋人との関係に悩んでいると白状した。

「…仲が良かった記憶がありますが。とうとう別れ話でも切り出されましたか?」

「……似たようなものかも知れません」

マーギッドは手を組み、話の続きを促した。常に気難しい表情を貼り付けている副班長。仕事も手を抜かないが、悩みや困り事があればよく相談に乗ってくれる頼れる人物だ。アルフレードは仕事はもちろん、好きな人、つまりアンジュとの関わり方についてアドバイスを貰っていた。
マーギットに昨晩起こったことを簡略して話せば、彼はひどく顔を歪ませた。

「よくもまぁ微妙にすれ違って。今まで上手く付き合ってこれましたね」

アルフレードはぐぅと低い唸る。改めて自分たちの仲は奇跡的に成り立っていたのだと実感し、大きな身体を小さくした。
一つ咳払いをし、マーギットは続ける。

「私が知る限りですが。貴方の婚約者は自分のテリトリーに他人を招くタイプではない。そんな彼女が、貴方を婚約者としているのです。今まで上手くいっていたのも、絶対に訳があります。奇跡なんて都合のいい言葉でまとめてしまうと、大切なものが見えなくなりますよ」

2人しかいない部屋はやけに静かだ。マーギッドの声だけが響く。

「なる、ほど」

アルフレードの手に力が入る。自分の事ばかり考えていた。マーギットの言う通り。自分とは別方向で人付き合いが苦手な婚約者。親しい人以外に一線を引く彼女が、アルフレードを受けてくれた事情はあるはずだ。それを確かめる術が考えつかないのがアルフレードであるが。
マーギットも部下の悩みが、手に取るようにわかったようだ。

「方法はいくらでもありますが…そうですね。お互い死なない程度に感情だけでなく拳でもぶつけ合うと良いでしょう。身体が丈夫な者同士ですから。かえってスッキリすると思いますよ」

急に雑な提案を振られ、思わずアルフレードは苦笑する。拳をぶつけ合うのはともかく、身体を動かすのは良いかもしれない。ストレス解消や気分転換に効果があると。そこからどう本音を語り合うかが問題だ。アルフレードが知っているのは、好きでも直して欲しいことでも一言相手のことを言いながら返すやり方だ。言葉を飲み込むことが多い婚約者の本音が聞けるかもしれない。

(…今日はやめた方がいいよな)

朝、話が終わった後、アンジュはまったく動かなくなってしまった。何度も声をかけ、肩を揺さぶることでようやく動き出したものの、その後はアルフレードから少し離れた所にいた。話しかけるとさらに距離を取られ、怯えた様子ー実際は混乱してうまく返答できなかっただけだーで返答される。色々な事をやった手前しょうがないと思いつつ、寂しさを感じてしまうのだ。彼女の存在と屈託のない笑顔が、アルフレードにとって1番力と癒しなのだから。

(そばで笑ってくれる関係に戻りたい)

ただ、今までのようにではなくきちんと心が通じ合った上で。嫌われたくないが、逃げたくもない。アンジュともっと腹を割って話す必要がある。時間はかかるだろうが、ゆっくりでも前に進もう。会って話せないならばまた文通から始めよう、とアルフレードは前向きに考えを改める。

表情に少し明るさを取り戻した部下に、マーギッドは目を細めた。本人は気づいていないようだが出社してからずっと元気がない様子であった。昨日の特別訓練でデートが潰れたせいかと考えていたが、結果、婚約者との仲の方であった。相変わらず道のりが長い2人だとマーギットは心の中でため息をつく。
結ばれるまでも、結ばれても困難があるのはどのパートナーも変わらないが、アルフレードたちの場合は極め過ぎている。大きな問題に発展する前に解決できるならそれに越したことはなく、何よりかつて一方的な感情を抱かれ、さらに襲われたことがあるマーギットにとって、アルフレードはとても危うく見える。精神を崩すに至った傷を部下にも負って欲しくない。他人の恋愛に首を突っ込むのは野暮だと重々承知しながら、マーギットは相談に乗っているのだ。

「ありがとうございます。おかげでまた変に思い込まずに済みました」

「なによりです。最近仕事の忙しさが過ぎてますからね。今日のような時にしか話を聞けませんから」

穏やかに話は締め括られた。

ドンドンドン!

瞬間、強く扉が叩かれ、部屋に職員が飛び込んで来た。彼はアルフレードの友人で、呆然とする姿を見るなり「なんでまだいるんだ!」と驚いている。ここまで走ってきたのか、汗をかいていた。
彼はマーギッドに睨まれ、慌てて報告した。

「アンジュ・ブルナーが新人含めた100人を相手取る実技訓練が、あと数分で開始されるとのことです」

「!」

「行きましょう」

職員に連れられて、アルフレードとマーギットは中庭に向かう。走りながら訓練の詳細を教えられればアルフレードは頭が痛くなった。

(なんて馬鹿なことを)

散々相手の能力を見誤るなと、力を測る方法も教えてきた。訓練では誰もが好成績を残していたが実際は違った。今回の相手は非常に魔力調節と隠匿に長けているが、注意深く観察すればわかったはずだ。

将来すら、勝てるか分からぬ相手だと。

3ヶ月間、指導員として新人たちと関わってきたアルフレードは唇を強く噛む。教えが十分でなかったために、アンジュに迷惑がかかってしまった。急いで会場に向かっても、もう訓練は止められない。

「アンジュ・ブルナー!」

アンジュが所属する班の長、ウィリアムの声が聞こえてきた。

「殺し以外は、全て許す!責任も取らせる!だから、全て潰し切れ!」

部下に出す指示とは思えないほど、過激な内容だ。同時に訓練開始の号令がかかり、すぐさまゴォっ!と何かが激しく打ち付けられる音が聞こえてくる。



アルフレードたちはようやく、中庭が見える場所、2階の外廊下に着いた。



アンジュが見える。愛用の武器を振り回して、向かってくる相手を丁寧に倒している。1人、また1人、次の1人。一撃で沈む者もいれば、2撃まで耐えて気絶する者、力の差を感じ既に枠外に逃げ呆然と立ち尽くす参加者もいる。訓練参加者が使役する動物は恐怖に怯え、精霊や妖精は膝を突き震えている。

「すんごいわ。アンジュ・ブルナー」

「…エゼリオ班長いらっしゃったのですか」

アルフレードたちのリーダーで、いつの間にか部屋から姿を消していたエリゼオがいた。頬をつき、中央広場の訓練を眺めている。
彼がいると思っていなかったマーギッドは、レンズ越しに鋭く睨む。いたなら呼びに来い、厳しい目線から文句を読み取れたエリゼオは、慌てて弁明する。

「言っとくが、幾度かそっちに連絡いれたぞ!一向に来ないから、頼んで呼びにいってもらったんだ。ま、どこぞの班長が妨害したんだろう」

エゼリオの言葉に全員、壁際で訓練を楽しそうに見ているウィリアムに目を向けた。彼は精霊の遣い手で、相棒は風の精霊。その力で空気の流れを変え、音の遮断や収集、改変を行うのだ。魔術も駆使したウィリアムの情報収集や改竄能力は、軍の中でも上位に入り、本来ならば情報局員として活躍できる才能だ。
エゼリオの想像通り、特別訓練をアルフレードが知れば絶対に訓練を阻止するため、ウィリアムが情報を操作したのである。おかげで鬱屈とした気持ちが晴れている。ウィリアムとはそういう男である。

「はぁ…次からは自身で呼びにいらしてくださいね。それで、いかがです?」

マーギットの質問に、エゼリオは「最低だ」と言い捨てた。大きなため息をつく。

「開始一番に超新人…ダンケ君だっけ?が壁まで蹴飛ばされてさ。他がびっくりして動けないうちに、アンジュ・ブルナーは近い奴からバタバタドスドス。精霊や動物も彼女が持つ大精霊の気配に動けない。もう大パニックよ。ボロボロ。どれだけ持つか」

エゼリオの呟きに、アルフレードの記憶は5年前の卒業試験が思い返された。あの時も、アンジュは同期に囲まれていた。いつも優しい眼差しが帯びる真っ赤な瞳は釣り上がり、髪を逆撫で静かに激昂する姿が脳裏に焼きついて忘れられない。