「かわいいって、子どもみたいでしょ?…僕は、ちゃんと“男”として見てほしい」

湊が言ったその言葉が、頭の中で何度も繰り返されていた。

家に帰ってきた莉瀬は、制服のままソファに座り込んでいた。

テレビはついているけれど、何も頭に入ってこない。

視線はぼんやりと宙を漂い、頬はじんわりと熱を帯びていた。

「…男として、って…どういう意味…?」

小さくつぶやいたその声は、自分でも驚くほど震えていた。

湊の顔が浮かぶ。

図書館で、まっすぐに自分を見つめていた瞳。

いつも優しいけど、そのときは何か違っていた。

静かだけど、強くて、真剣で——

「……え、なにこれ」

莉瀬はクッションをぎゅっと抱きしめて、ソファにうずくまった。

心臓が、ずっと落ち着かない。

湊の声が、表情が、言葉のひとつひとつが、胸の奥に残っている。

そのとき。

「なにニヤけてんの、気持ち悪」

玲央の声が、突然背後から飛んできた。

「えっ!?ニヤけてないし!!」

莉瀬は飛び上がるようにして振り返った。

でも、顔の赤みは隠しきれない。

玲央は冷蔵庫からジュースを取り出しながら、じとっとした目で見てきた。

「いや、完全にニヤけてた。てか、顔赤いし」

「ち、ちがうってば!ちょっと暑かっただけ!」

「は?今、春だし。暑くねーし」

玲央はジュースを飲みながら、ふーんと鼻で笑った。

「…湊、なんか言った?」

莉瀬は一瞬、動きを止めた。

「……え?」

「図書館で、なんか言われたろ。わかりやすいんだよ、ねーちゃん」

玲央はソファの背にもたれて、スマホをいじりながら言った。

莉瀬は、視線をそらして、クッションをぎゅっと抱きしめた。

心の中が、湊の言葉でいっぱいになっているのに、うまく言葉にできない。

「……別に、なんにも…」

その声は、どこか頼りなくて、自分でも驚くほど弱かった。

玲央は、スマホを見たまま、ぽつりとつぶやいた。

「…ま、やっと気づいたなら、いいけどな」

「えっ?」

「なんでもー」

玲央は立ち上がって、ジュース片手に部屋を出ていった。

ぽかんとする莉瀬。

でも、胸の奥が、じんわりと熱くなっていた。




「湊くん、また来てくれるって!」

琉久が嬉しそうに叫びながら、玄関を走り回っていた。

莉瀬はキッチンでお茶の準備をしながら、心臓の音がうるさく感じていた。

昨日の湊の言葉が、まだ胸の奥に残っている。

——“弟”じゃなくて、“僕”に頼ってほしい。

——“男”として見てほしい。

その言葉が、何度も頭の中で繰り返されていた。

ピンポーン。

玄関のチャイムが鳴ると、琉久が「きたーっ!」と叫んでドアを開けた。

「こんにちは~」

湊の声が聞こえた瞬間、莉瀬は手に持っていたティースプーンを落としそうになった。

「…いらっしゃい」

なんとか笑顔を作って迎えたけれど、目を合わせるのが怖かった。

湊は、いつも通り優しい笑顔でリビングに入ってきた。

でも、莉瀬にはその笑顔が、昨日よりずっと変に見えてしまっていた。

「湊くん、こっちこっち!」

琉久がぬいぐるみを並べながら、湊を呼ぶ。

湊は「よし、今日もバトルだ!」と笑って、琉久の隣に座った。

莉瀬は、少し離れたソファに座って、そっと湊の様子を見ていた。

目が合いそうになると、すぐに視線をそらしてしまう。

——なんでこんなに意識しちゃうんだろう。

——いつも通りに話せばいいのに。

「莉瀬ちゃん、今日も紅茶?」

湊が声をかけてきた。

「えっ!?あ、うん、そう…」

声が裏返ってしまい、莉瀬は慌てて立ち上がった。

キッチンに逃げるように向かいながら、心の中で叫んでいた。

——落ち着け、落ち着け、落ち着け…!

そのとき、背後から玲央の声が飛んできた。

「おい、ねーちゃん。挙動不審すぎ。バレバレ」

「な、なにが!?」

莉瀬は振り返ることもできず、紅茶の準備に集中するふりをした。

玲央は、湊のほうをちらっと見て、

「…ま、いいんじゃね?ちょっとくらい、ちょうどいい」

湊は、琉久と遊びながらも、莉瀬の背中をそっと見つめていた。

その表情は、どこか嬉しそうで、少しだけ照れていた。

春の午後。

家の中には、あたたかくて、ちょっとだけ甘い空気が流れていた。