春の出会いから数ヶ月が経ち、冬になった。
桜井蕾の心は、有澤先生への想いで満たされていた。
しかし、彼の左手の薬指に光る指輪が、蕾の胸に小さな棘のようにいつも刺さっていた。
妻を亡くした悲しみから、まだ立ち直れていない彼を、自分が愛することは許されるのだろうか。
そんな蕾の戸惑いをよそに、病棟には新しい風が吹き込んできた。
「桜井さん!おはようございます!」
元気な声に振り返ると、そこには新しく中途採用で入職した看護師、山田恭介が立っていた。
彼は、人懐っこい笑顔で、まるで子犬のように蕾に懐いている。
「山田くん、おはよう。よろしくね。」
蕾は明るく応えた。蕾は、山田の指導担当に任命されていたのだ。
「こちらこそ!桜井さんのように、早く一人前になれるように頑張ります!」
山田は、蕾の隣に座り、真剣な眼差しでカルテを覗き込んだ。
その距離感の近さに、蕾は少し戸惑いを感じた。
しかし、彼の純粋な瞳を見ていると、邪険にすることもできない。
*****
数日後、休憩室で有澤先生と鉢合わせした。
ちょうど、山田が蕾の仕事ぶりを熱心に見て、質問している最中だった。
「桜井さん、この処置、もう少し丁寧にやった方がいいって、先生に言われたんです。どうしてだろう?」
「えーと、、それはね...」
蕾が山田に説明していると、背後から有澤医師の声が聞こえた。
「へぇ、楽しそうだね。二人とも。」
その声には、いつもの穏やかさとは違う、かすかな棘があった。
蕾は、思わず有澤医師の方を振り返る。
「あ、有澤先生!こんにちは。」
「こんにちは。」
有澤先生は、蕾と山田を交互に見ると、すぐに視線を外した。
その横顔には、一瞬、誰にも見せまいとするような、複雑な感情がよぎったような表情に見えた。
蕾は、彼の態度に胸がざわつくのを感じた。
自分と山田が親しくしている様子を見て、彼はもしかして嫉妬しているのだろうか?
いや、まさか。そう思うと、心がドキドキして、顔が熱くなるのを感じた。
「先生、どうかしましたか?」
蕾が尋ねても、有澤先生は「んー?別に。」とだけ言って、早足で去っていった。
残された蕾は、有澤先生の背中を見送りながら、彼の心の変化に戸惑いを隠せずにいた。
山田の存在が、有澤先生の中で、何らかの波紋を広げているのかもしれない。
蕾は、有澤先生の指輪を思い出しながら、自分の気持ちに素直になれない自分自身にも、もどかしさを感じている。
揺れる心は、まるで冬の冷たさを孕み始めた空模様のようだった。



