数日後、蕾が病棟の電話に出ると、受話器の向こうから聞こえてきたのは、聞き慣れた、しかし、いつもドキドキさせられる有澤先生の声だった。
「もしもし、桜井さん?有澤です。」
「もしもし、桜井です。先生、お疲れさまです。」
蕾の声は、もうすっかり元に戻っていた。
ガラガラだった声も、今は以前のように穏やかな響きを取り戻していた。
それでも、有澤先生の声を聞くと、なぜか心臓が早鐘のように打ってしまう。
「声、戻ったみたいだね。良かった。」
有澤先生の声には、心からの喜びが感じられた。
まるで、自分のことのように喜んでくれているかのようだ。
「はい、おかげさまで。あの時は、ご迷惑をおかけしました」
蕾は、深々と頭を下げた。
あの時の、自分の情けない声と、有澤先生の「そんな声も結構好きですよ」という言葉。
その記憶が蘇り、顔が熱くなるのを感じた。
「迷惑だなんて、とんでもない。それに、あの時の桜井さんの声、ちょっと色っぽかったなー。」
有澤先生は、そう言って、電話越しに意地悪そうにくすくす笑いだした。
その言葉に、蕾は、顔がカッと赤くなる。
「先生、ちょっとそれ、ギリギリですよー。」
「あはは、冗談だよ。でも、元気そうでよかった。」
有澤先生の優しさ、そして、自分に向けられる特別な眼差し。それが、蕾の心を、静かに、しかし確実に、有澤先生へと引き寄せていた。
「ありがとうございます、先生」
蕾は、精一杯の感謝の気持ちを込めて、電話越しにそう言った。
有澤先生との会話は、いつも蕾に、温かい余韻を残していく。
電話を切った後、蕾は、しばらく受話器を握りしめていた。
有澤先生の言葉が、頭の中で反芻される。
(先生の、あの言葉...どういう意味だったんだろう...)
ーーー"禁断の恋"。
それは、決して許されることのない、切ない恋。
それでも、有澤先生の言葉は、蕾の心に、小さな、光を灯している。
蕾は、窓の外に広がる秋空を見上げた。
空は高く澄み渡り、どこまでも青い。その青さの中に、有澤先生の笑顔が重なって見えた。



