しばらく無言で桜を見上げていた二人。やがて美桜が口を開いた。
「来世で……もし、また出会えたら。」
その仮定が現実味を帯びて聞こえ裕紀は目を伏せた。
「同じ職場で働けたら、楽しいだろうなぁ。」
「美桜……」
「あなたが診察室で患者さんを笑顔にして……」
「美桜が助手席でカルテ整理してたり?」
「そう!毎日バタバタして……でも、それはきっときっと、幸せな毎日でしかないよ。」
彼女の想像が裕紀の心に暖かい灯をともした。
だが同時に現実の残酷さが胸を刺す。
「そうだね……」
「うん。」
美桜は静かに頷いた。二人の間に重い沈黙が落ちる。
「あと、一つだけお願いしてもいい?」
その問いに裕紀は即答した。
「どんな願いでも聞くよ。」
「私を……あの桜の木だと思って、また、思い出してほしい。
私が願った裕紀への思い、託した未来の、すべて。」
「私は、桜の木と同じ…。だって、名前が"美しい桜"で、美桜でしょ?」
にこりとはにかむ美桜の唇が、微かに震えた。
「毎年……この季節に逢いに来て。」
「ここに来るたび……」
「私があなたを見守ってると思って、」
風に揺れる桜の花びらが舞い落ちる中、美桜の言葉は優しくも悲しく響いた。
裕紀は言葉を失い、ただ彼女の手を握り締めた。
「桜ってね、」
美桜は細い指で落ちてきた花びらを掴もうとするが、すぐに逃げてしまう。
「一生懸命咲いて……でもすぐに散ってしまうでしょう?」
「それが私の人生みたいで、」
涙で濡れた彼女の瞳に桜のピンク色が反射して輝いている。
「でも散っても終わりじゃないの。」
美桜は胸に手を当てて微笑んだ。
「種を残してまた生まれ変わる……そういう循環の中に私はいる。」
そんな哲学的な言葉に、裕紀は戸惑った。
死を受け入れつつも希望を見出そうとする彼女の強さに圧倒される。
「だからね……私がいなくなっても悲しまないで。」
「そんなことできない!」
裕紀の声は震えていた。目の前の恋人を失うことなど考えられない。
「毎日君のことばかり考えて過ごしてきたのに……そんなこと…無理だ。」
美桜は苦笑して首を振った。
「忘れてとは言ってないよ、」
彼女は裕紀の頬に手を伸ばしたが届かず、代わりに指で涙を拭う。
「"裕紀が、悲しみの中で生き続けてほしくない。"」
その時初めて美桜の本当の願いに気づいた。彼女は自分の死を通して裕紀を解放しようとしている。
「この桜の木みたいに、」
美桜は遠くを見つめた。
「私の思いも巡り巡って……いつかきっと、"蕾"が芽吹くかもしれないでしょ?」
裕紀は涙を止めることができなかった。
嗚咽を堪えながら必死に頷く。
「約束するっ……毎年、桜を見る。君を想いながら。」
「うん」
「そしていつか僕も……心の中に、桜を…咲かせるよ」
ーー「あなたの心の中に、私は咲き続ける…、
桜の人……
"さくらびと"。」ーー
微かに美桜が、小さく風にのって呟いた。
「ん?どうした?」
「ーーううん、何でもない!」
美桜の顔に安堵の表情が広がった。
彼女の命の灯火が小さくなっていくのを感じながらも、二人の間に流れる時間が永遠に感じられた。



