さくらびと。【長編ver.完結】

数日後、二人はハワイに到着した。

ハワイの夜は星が違って見えていた。




宝石を撒いたような天蓋の下で、美桜はベランダのデッキチェアに横たわり、水平線をぼんやりと眺めていた。

昼間のウキウキした表情はどこへやら、今は海と同じ色の虚ろな瞳をしている。


「寒くない?」

裕紀が毛布を持って隣に座る。


「うん……」

美桜の返事は風にさらわれるように弱い。


「ねぇ裕紀……」



言いかけてまた黙る。波の音だけが二人の間を埋めていく。


「……どうして私なの?」



突然彼女は身を起こした。


肩が震え始めている。




「どうして私たちなの?」



両手で顔を覆う。




「美桜……」

「わかってるよ!どうしようもないって事くらい!でも……でも!」



抑えきれない嗚咽が漏れ始める。



「あと半年しか生きられないって……そんなの、、そんなの酷すぎるよ!」



裕紀は黙って彼女の背中に手を添えた。

美桜がしゃくりあげるたびに細い肩が上下する。




「もっと色んな所に行きたかった……もっと美味しいものを食べたかった……子供を産んで…お母さんになって…裕紀と幸せな家族を築きたかったのに…」



指の間から涙が流れ落ちる。



「もっと……あなたと一緒に…。ずっとずっと、笑っていたかったのに……」



美桜は裕紀の膝に顔を埋めた。



「裕紀ぃ……やだよぉ……死にたくない……死にたくないよぉ……」



潮風が二人の髪を絡ませていく。

裕紀はそっと彼女の髪を撫でながら呟いた。



「知ってるよ。」



その言葉に美桜は顔を上げた。



裕紀の表情に怒りも憐れみもなく、ただ静かな理解だけがある。


「君がどれだけ悔しいか、どれだけ怖いか……」

裕紀の指が彼女の濡れた頬を拭う。



「僕が、全部受け止める。」



「うそよ……」



美桜は震える唇で否定する。


「こんなの耐えられるわけ……」


「耐えてるよ。」





裕紀はきっぱりと言った。




「でも僕たちは…、耐えるためじゃなく生きるためにここにいるんだ」




彼は立ち上がり、美桜の手を取ってデッキチェアから引き起こした。





そのまま海岸へと導く。


打ち寄せる波際で二人は立ち尽くした。





「美桜」





裕紀が彼女の肩を包み込むように抱き寄せた。



「君が見せてくれた笑顔ひとつひとつが……今の僕を支えてる。」



美桜の嗚咽がゆっくりと収まっていく。


裕紀のTシャツを握りしめる彼女の手に力がこもる。



「明日はダイヤモンドヘッドに行こう。」



裕紀は彼女の頭を軽く抱いた。



「午後にはカイルアビーチでサンセットを見よう。明後日は……」



「……うん」





美桜の鼻声が潮の匂いに紛れる。



「行きたい……全部。裕紀と一緒ならどこだっていい。」



星空の下で二人の影がひとつになった。



遠くでウミガメが水面を割る音がした。



波は容赦なく押し寄せている。



だが二人の足元では、確かに愛という名の岩が立っていた。


裕紀はそっと美桜の耳元で囁いた。







「美桜ーーー、




ーーーずっと、愛してる。」








月明かりが彼女の睫毛に宿る涙を銀色に輝かせていた。


美桜はただ黙って裕紀の胸に顔を預け、その温もりを確かめている。


砂浜に残された小さな足跡が、やがて次の波に飲み込まれていった。