季節が巡り、再び桜の季節が訪れた。


病院の中庭にある古い桜の木は今年も美しく花を咲かせている。

満開の花の下に二人は立っていた。




「...有澤先生?」


 
 蕾が声をかけると、有澤先生はゆっくりとこちらを向いた。


彼の左手薬指には、やはり、あの結婚指輪が光っている。



彼のこれからの話に、蕾の胸に切ない痛みが走った。



彼は、この病院での仕事を終え、故郷である京都でクリニックを開業することが決まったというのだ。



それは、7年後の話だったが、彼がここを去るという事実に、蕾の心は大きく揺れていた。



「そう…、なんですね。」



「桜井さん、あの…っ!」


「また今年も、有澤先生と観ることができましたね……」


有澤先生の言葉を遮るように、桜を見ながら蕾がつぶやくと、有澤先生も少しばかり寂しそうに桜を見上げ、頷く。


「もう一年か」


時間の早さに驚くように呟いた言葉に、蕾は胸が痛んだ。


この一年、二人の間には微妙な距離が保たれていた。


時には親密さを感じる瞬間もありながら、決定的な一歩を踏み出すことはなかった。


風が吹き、桜の花びらが舞い散る中、蕾は決意を固める。


「有澤先生。」



真剣な呼びかけに、有澤先生は振り向いた。



「あの……」



深呼吸をして言葉を紡ぐ。


「私……」



一旦言葉を切る。この先を言うべきか迷う気持ちが湧き上がる。



「私は……亡くなった奥さんをずっと想っているそのままの有澤先生を望んでいます。」



意外な言葉に有澤先生の表情が固まる。



「あ、その……変な意味じゃないんです。ただ、先生が過去の奥さんとの思い出を大切にしている姿が、純粋に素敵だなってずっと思ってました。有澤先生に、ずっと自然体のままでいてほしいって。」


言葉を探りながら続ける。




「だから……私にもこれから未来があるように、有澤先生にも未来があるんですよね。


私なんかが先生を縛っちゃいけないって思ったんです。


先生はこれから、たくさんの患者さんを救って、成長して立派な医師になります。」


有澤先生は黙ったまま。



彼の瞳に映るのは驚きと戸惑いと……悲しみが入り交じっていた。


「いっぱい悩んだんです。きっと人生でこの時しかないくらい、いっぱいいっぱい考えました。」




「それに……思ったんです。」



最後の一言は掠れるほど小さくなった。



「きっと亡くなった奥さんもそれを望んでるんだろうなって。」


「これも私の、勝手な思い込みですけどね…」


最後の一言を告げた瞬間、空気が変わるのを感じた。



有澤先生の表情が変わり、遠くを見るような眼差しになる。




「どう…して……」




静かな問いかけに、蕾は躊躇いながらも答える。



「だって……亡くなった奥さんはきっと、有澤先生の幸せを、一番に願うような素敵な方だったでしょうから。」