6年、彼は私を「桜ちゃん」と呼ぶ距離に置いた。〜曖昧な優しさからの脱却〜

​――遥斗 side――
桜ちゃんの無垢だった瞳に、ついに恋の影が差したことに気づいていた。

そして、その影を差したのは、自分自身だということも、痛いほど理解していた。

​「おい、遥斗。もう秋だぞ。そろそろ桜ちゃんにも、バイトリーダーみたいな仕事を任せてみたらどうだ?」

​店長の悠真が言った。

​「いや、大丈夫だ。他の社員でやる。桜ちゃんは高校生だ。学業優先でいい」
​「なんだよ、またその**『未成年だから』って理由付けか?** 線を引くのは簡単だよな、遥斗」

​悠真はカウンターに肘をつき、俺をまっすぐ見つめた。

​「お前が引きたいのは、責任の線じゃなくて、過去から未来へ引くための逃げの線だろ。人を傷つけないように生きるって、結局誰も本気で愛せないってことだぞ。美佳のことも、そうやって曖昧にしたまま放置したんだろ」

​悠真の言葉が、耳の奥で深く響いた。
それは、俺がずっと蓋をしてきた、過去の罪悪感そのものだった。
​悠真は、俺が沈黙したのを見て、さらに畳み掛けてきた。

​​「美佳が欲しかったのは、お前の**将来への『決意』だ。お前はそれを、自分の『将来への不安』という一方的な理由で曖昧にし、本気の感情を自分の都合のいい檻に閉じ込めたんだ。あの時、お前がやった『逃げ』は、今、桜ちゃんに対してやっている『曖昧な優しさ』**と本質的に何も変わらない」

​悠真の鋭い指摘に、俺の表情が硬くなる。
まるで心臓を直接掴まれたような、息苦しい感覚に襲われた。

​「やめろ、悠真。これ以上、関係のない過去を持ち出すな。俺と桜ちゃんの間に、そういう関係はない。ただの、仕事上の関係だけだ」
​「嘘つけ」

​悠真は低い声で即座に否定した。その声には一切の迷いがない。

​「お前の引き出しの中に、彼女へのプレゼントの候補のパンフレットが何枚入ってるか、知ってるか? お前が休憩中に彼女の進路相談を真剣に聞いている時、どういう顔をしているか、知ってるか?」

​俺は何も言い返せない。悠真は全てを見透かしている。

​「遥斗、線は、引くものじゃなく、お前自身が踏み越えるためにあるんだ。そして、桜ちゃんはもう、お前の引いたその線を、踏み越えようとしている。お前がいつまでも逃げの姿勢を見せ続けるなら、結果として、誰も守れないどころか、一番大切な、彼女の無垢な心を傷つけることになるぞ」

​悠真はそう言って、カウンターから体を起こし、スタッフルームの奥へ歩き去った。
残された俺は、秋の冷たい空気が流れ込むカウンターの中で、逃げ場のない自分自身の感情と、一人向き合うしかなかった。