カラス化ガール

 菅山(すがやま)先生は、
「そろそろチャイム鳴るから、早めに教室行きなさいよ」
 と言い残し、廊下を通り過ぎた。
「はい」
「分かりましたー」
 そう返事をしてから、初子(はつこ)は、ポールスタンドの看板を(わき)に抱えて、
「じゃー、私、これ部室に片付けてくるから」
 恵萌(めぐも)は、
「うん。私は教室戻ろう。ここで解散だね」
 背中に垂れた自分の黒髪を、左手でふわっと握って、放す。
 首を後ろへ回したら、廊下を流れる(かぜ)に、髪の毛が、はらりとほどけた。毛先のうち、何本かは銀色で、窓越しの陽光に反射する。
 右手には、まだ紙飛行機を持ったままだ。

 恵萌の動作につられたのか、初子も、かぶっている黄色い帽子と、はみ出たツインテールを指で動かして、
「メグは、今週もいつも通り? 明日が休みで……」
「うん。今週も、登校は月水金(げっすいきん)の予定」
「じゃあ、次は水曜だね」
「うん。あさって、また朝練しましょう」
「そだね」
 朝練。
 紙飛行機とスーパーボールを、飛ばすだけ。
 もし、運動部や吹奏楽部の連中が聞いたら、鼻で笑うかもしれぬ。しかし、これだって立派な「朝練」である。

 何の足しにもならない活動を、それなりの真面目さで、細く長く継続する。――これが出来る人間こそが、メンタルもやられず、したたかに世渡りをして行ける。
 長い年月、人間を観察してきた結果、分かったことである。江戸時代でも、令和でも、その真理は変わらない。

 初子が、手を振って、きびすを返す。
「じゃーね、メグ。楽しかった」
「うん、私も」
 細いスタンドを抱えて、ヨタヨタと廊下を去ってゆく初子。その猫背を、見送る恵萌。
 壁の丸時計は、午前八時を回っている。八時十五分に予鈴(よれい)が鳴る。八時二十分から、クラスごとにショートホームルームが始まる。
 恵萌は1年C組、初子は1年A組だ。

 恵萌は、カバンなどの持ち物を、先ほど、既に教室の自席に置いてきてある。あとは、自分がクラスへ戻ればよいだけ。
 別の建物であり、やや遠いが、廊下をゆっくり歩いても、充分に間に合う。
(まっ、歩かないけどね!)
 恵萌は、窓に映る顔に、一人でペロッと舌を出す。大きな瞳を細めて、楽しそうに笑う自分。整った目鼻立ち。
 せっかく、外も晴れているし、きょうは――。

「さて……」
 周囲から人の気配が消えたことを確認した後に、恵萌は、廊下の窓をあける。半開きにした。
 まず、右手に持っていた紙飛行機を、窓の外へ飛ばす。なるべく、上の方へ。
(おっ、いい! うまく飛んだ)
 くるくると朝の風に乗って、銀色の紙飛行機は、日光を照り返して舞い上がる。
 ここは校舎の四階であり、風も、地上より強い。
 太陽は、まだ、青空の低い位置にあった。遠景に、ぽつりぽつりと、高層マンション。後ろに、白雲も浮かぶ。
 紙飛行機が、地面へ落っこちる前に!
 次の瞬間であった。
(行くぞ!)
 ギュン!
 ――恵萌の全身を、黒光りする竜巻が包んだ。
(変・身・ッ・!)
 一秒と掛からずに、竜巻は消える。恵萌もろとも! セーラー服の上下、上履きも消え失せる。
 まるで、大がかりな手品のようであった。
 ……恵萌は、一羽の黒いカラスに変わっていた。
 細い脚、指先の鋭い(つめ)で、ガッと窓枠をつかみ、身を乗り出す。
 紙飛行機をにらんで、カラスは外へ飛び出る。
 翼に変わった両腕を、上げ下げする。
 バサバサッ!
 秒速四回。黒い体が、ふわりと浮いた。
(捕まえるよ!)
「カアー!」
 想いは、鳴き声となった。