カラス化ガール

 それから、半年後――。

 横浜市郊外、緑の多い街に建つ、私立検仙(けんせん)女子高等学校。
 その、校内の廊下にて。
 四階。壁の丸時計は、七時四十五分を指している。

 平日の朝、登校時間帯だが、ほぼ、(ひと)けはない。昇降口、下駄箱から離れた(むね)であるためだ。ここは、理科室や地学室のエリアであり、各学年のクラスとも離れている。
 遠くからは、登校する生徒のざわめきが、校舎を反響して、かすかに聞こえてはくるけれど。

 とはいえ、ここは静かだ。
 長い廊下の行き止まりに、スカートの制服を着た女子生徒が二人、立っているのみ。
 一人は、黒い長髪を下ろしている。もう一人は、帽子をかぶっていた。
 二人とも、壁に背をつけている。肩を並べて立つ(さま)は、ただごとではない雰囲気だ。

 横目で、互いの視線が交差する。
 まさに、これから勝負が始まろうとしていた。当事者は大いに――とは言い切れないにしても――にやけているので――それなりには、真面目だ。一応……。

 うち一人、恵萌(めぐも)が、紺色のセーラー服の右腕を、すうっと、目の前に持ち上げる。ほっそりした手に、紙飛行機を持っていた。
 袖口(そでぐち)に、紺と白のしましま模様。手首には、セーラー服特有の、たるみ。布がふくらんで、モコモコしている。

 右隣に立つ、もう一人の少女。名前は、初子(はつこ)といった。体格は、恵萌より小柄だ。スカートは、恵萌よりも短い。
 頭には、黄色い野球帽をかぶっている。
 帽子の内側から、茶髪のツインテールがはみ出して、肩に垂れている。
 やや離れた、黒い瞳。大きめの口。

 初子の帽子は、本当に、真っ黄色だ。正面に、でかでかと「SBC」の黒い文字。ロゴ――というより、誰が見ても、手書き文字だ。
 同好会の「オフィシャル・キャップ」だと初子は言い張るが、どう見ても、100均で買った帽子に、油性ペンで落書きをしただけ、としか思えない……。

 ともあれ。
 初子が、おごそかに宣言する。
「えー、それでは、ただいまより、だ、第三十八回、紙飛行機同好会・スーパーボール同好会、い、異種交流試合を開始しま……しますすっすっ」
 初子の声はプルプルと震え、波打っており、明らかに、笑いをかみ殺しながらしゃべっていた。
「ちゃんとしゃべってくださーい。……ッ。プッ」
 横で聞いている恵萌が、ツッコミを入れるも、やはり、つられて、語尾が笑いで崩れてしまう。
 周囲が静かであるだけに、なおさら、可笑(おか)しかった。

 SBCは、まさに、スーパーボール同好会の略である。Cはクラブ。初子が創部し、部長を務めている。
 対する恵萌は、紙飛行機同好会の部長。やはり、部の創始者である。
 まさしく、頭同士の対決。豪華版だ!
 ――いや、豪華も何も、どちらにも、他には、事実上の幽霊部員しかいないのだけれど、なんのなんの。
 むしろむしろ、だからこそ、真剣勝負をして、実績を積み上げ、活動の裾野(すその)を広げなければならないのだ。と思う。これは、熱き宿命に違いないのである。たぶん。

 それはそれとして。
 いずれにせよ、お次は、恵萌が声出しをする番だ。
「じゃあ、行きますよ。On your marks!」
 位置について、の意味である。

 二人とも、同時に、左脚を前へ出す。白い上履(うわば)き。つま先の「降幡(ふりはた)」は、恵萌の名字である。
 右目の隅に、初子の(ひざ)小僧が見えた。恵萌はスカート(たけ)が長いので、膝は出ない。紺色のギャザーが、左の膝に引っ張られて、前へ伸びた。
「――ドン!」
 続けて、叫ぶ恵萌。なぜか、「ドン」だけ日本語だ。

 恵萌が、構えた右手を前方へ振りつつ、指を放す。ヒュウーッ。紙飛行機が、正面に飛ばされたのだ。
 初子も、下方へ右手を突き出す。バムッ。握っていたスーパーボールを、床へ(たた)きつけたのだ。

 校舎の、長い廊下。
 銀色の紙飛行機が、一直線に飛んでゆく。
 それを追いかけるように、オレンジ色のスーパーボールが、床をぴょんぴょん跳ねていく。
 ルールはシンプル。より、遠くへ飛んだ方が勝ち。