カラス化ガール

 狭い室内の、中央に立つ、さびた柱状(はしらじょう)の灰皿。赤と銀色だ。
 そこへ、吸い殻をポトリと落としつつ、
「大したものだよね、時乗(ときのり)さん。まだ、入社して一年、()ってないでしょ?」
 と、宮越(みやこし)が尋ねてくる。

 うつむき加減に、紗良葉(さらは)は、スゥーッと息を吸って、
「まア、ええ、勤続は、約、半年ですなー」
「それで、その技術だろう? 正社員になりなさいよ。パートじゃ、もったいないよ」
 宮越の言葉どおり、紗良葉はパートタイム勤務であった。一日おきの出勤。
 ショートボブの金髪を、人差し指でポリポリかきながら、
「いやー、私に受かるかどうか」
(あんまり褒められてもなア。なーんか、ばつが悪いぜー。ありがたいこったけどよォー)
 少し、紗良葉は困ってしまう。
 照れではない。もっと具体的な理由だ。それは、二つある。

 宮越が笑うと、目もとのシワが深くなる。まゆ毛は、白と灰色で、まだらだ。髪の毛も同様。
「時乗さんなら、大丈夫だと思うけどね。今、火曜と木曜の、週二回の出勤なんだよね? あっ、あと、土曜日もか」
「ええ、土曜は主に、午前中だけですが」
「半ドンか」
「ハンド?」
 聞き取れなかった。耳慣れない言葉だったのか。
 が、そこはスルーする宮越。話の本題ではなかったのだろう。
「……火木土だけの出勤じゃなくて、毎日、来られればさ。正社員になるのも難しくないでしょ。その、スゴ腕ならば」
 紗良葉の声が小さくなり、
「連日はなかなか……」
「なぜ?」
「まあ、ちっと、家庭の事情というか、その、体調的な……」
 語尾を(にご)す。

 これが、理由の一つ目であった。
 紗良葉が、一日おきの出勤にとどめているのは、正体がバレることを防ぐためだ。自分の存在の、根底を揺るがすだけに、そう簡単には(ゆず)れないラインなのである。

 それ以上は追及してこなかったけれど、
「もったいないよなあ、その才能。既に熟練の(いき)なのにね。特に、細かな作業の正確性が、見事だよね」
 ため息をつく宮越。
(ところがどっこい)
 心の中で、ツッコミというか、反論、合いの手を入れる紗良葉なのであった。
 なぜなら、これこそがまさに、実は、第二の理由だったからである。

 紗良葉の正体は、変身(がらす)だ。
 カラスであるため、視力が異常に発達している。細かい作業が得意なのは、そのためなのだ。
 加えて、変身烏の脳内には、マイクロチップが埋め込まれている。チップは、高度な人工知能と同期している。
 すなわち、紗良葉の仕事が正確である理由は、ここにある。その都度、紗良葉の手先や視野を、人工知能がサポートしているからだ。
 もちろん、これら能力全体を統括しているのは、変身烏の魔力である。

(変身烏とAIのコラボ。そりゃ最強だよなー。高度な手作業も、出来るに決まってらアな。というか、反則だよな)
 そう思うからこそ、やり過ぎないように気をつけているわけだ。言わば、労働市場(しじょう)へ超能力を持ち込んでいるに等しい。
 無論、前述のとおり、正体を隠すためでもある。
 だが、どちらかといえば、後ろめたさの方が大きい。人間社会で暮らしている以上、なるべくフェアでありたいとは思っているのだ。

 赤い巾着(きんちゃく)(ぶくろ)を開きながら、
(まあ……)
 とりあえず、だ。
「いや、お褒めいただき、ありがとうございやす。ひとまずァ、目先の仕事をコツコツやっていきまさァ」
 煙管(きせる)を取り出した紗良葉が、さわやか目に締めくくると、
「うん、いいね。それがいいね」
 うなずく宮越も、納得した様子の笑み。
 こうして、大人同士の雑談は、無難なところに着地した。

 今度は、宮越がドアノブに手をかける。
 「じゃ、また」
 会釈をしてきた。
「ほ疲れふぁまです」
 おじぎする紗良葉の声が、くぐもる。
 煙管(きせる)を手に持って、口にくわえたからだ。
 窓のすぐ下に、壁に沿うような形で、出っぱりがある。幅は狭いが、物を置けるスペースだ。いつも、ここをテーブル代わりに使っている。
 煙管をくわえたまま、巾着の中から、刻みタバコとマッチを出して、並べた。
 廊下へ出た宮越が、そっとドアを閉め、それらは振動でかすかに揺れた。