紗良葉が、一階の作業場の、出入口へ向かう。
「ちょいと、一服してきまーす」
周囲に、軽く声かけをしながら。
なまりのある日本語で、
「ドゾ、ゴユルリ、ゴユックリィー」
黒人男性のギリェルミが、白い前歯を見せ、リズミカルに声をかけてくる。しゃがみ込んで、床に広げた紙の図面と、タブレット画面とを見比べていた。
紗良葉は、カカッと笑って、ギリェルミの太い肩を、小突く真似をする。すると、ギョロッと目を見開いて、おどけてきた。同世代の好青年だ。若いが、既に妻子がいる。
ギリェルミとは、普段から馬が合う。
互いに、異国風の外見だから、というのが大きいかもしれぬ。紗良葉は金髪であり、目の色も青いのだ。
一歩一歩、フロアの物をよけながら進む。途中、後ろの虎侍朗の方を、紗良葉は何度か振り返る。
室内には、ごつい工作機械が所狭しと配置され、子供には危険だからだ。
虎侍朗がついてくる。
「ほっ!」
コンテナボックスを飛び越える。ワイドパンツがはためいて、ランドセルに付けられたキーホルダーも、ジャラッと跳ねた。靴は、バスケットシューズである。
苦笑する紗良葉。
「だから、危ねえって……」
何回注意しても、聞かない。
「よお、坊っちゃーん、お帰り!」
片隅から、ヒゲもじゃの古参社員が、ロボットアームの角度を調整しつつ、声をかけてきた。
「ただいま!」
手を挙げた後、しっかり、おじぎを返す。ランドセルが上に来るほどに、深々と。
美人である母親――社長夫人――が、なかなかどうして、我が子の礼儀には厳しいそうな。
一方、社長はと言えば、もうすぐ還暦の、陽気な男だけれど。
何しろ、自分の会社に「オート村ック」などという、冗談みたいな名前を平気で付けるのだから。
これは言うまでもなく、「オートマチック」をもじった駄洒落だ。
「マチ」を、「村」に置き換えている。最先端の機械を、村のような素朴さで楽しく作ろう、という願い・目標が込められているのだった。
もっとも、実態は、何でも屋になりつつあるけれど……。
人工衛星の部品、小水力発電の水車、子供向け玩具の試作、雑誌の付録、金型、ドラマ撮影のセット、日用品、古道具など――無数に作るし、また修理も請け負う。
先日は、現職の経済産業大臣が愛用する、明治時代の傘を修理した。無論、ベテラン社員が担当し、骨の一本から作り直した。
納品後、社長が、「大臣、今度、国会答弁でうちの会社、紹介してくださいよ」と言ったら、渋い顔をされたというが、まあ当然であろう。
とまれ、傘の仕上がりには満足だったようだ。
そういった仕事を、五月雨式、あるいは同時進行で続けているのが、ここ、株式会社オート村ックなのであった。
今、一階のこのスペースには、作業着姿の社員が、機械のそばに、ぽつりぽつりと十人ほどいる。うち、女性は、紗良葉以外に、二名。あとは、四十歳前後の男性が中心だ。
作業中の者もいれば、小声で虎侍朗へあいさつをする者も。
身をよじって、その間を抜け、廊下へ出た。
目指す喫煙室は、真正面の壁際にある。
定員は五人程度。ガラス張りで、中を見渡せる。
一人、先客がいた。小柄な、初老の男性社員。背広姿だ。
(宮越さんか)
紙巻きタバコを吸っていた。
ドアの手前で、
「――ンじゃア、とりあえず、ここまでな」
と、もう一回振り向いて、紗良葉が虎侍朗を見下ろす。
未成年者が喫煙室に立ち入ることは、法律で禁じられている。
「うん。いつもみたく、絵、描いて待ってる」
「あー」
こっくりと、紗良葉がうなずき返す。互いに、過剰な愛想はなく、淡々としたやり取り。
ノブを回して、ドアをガチャッと開けたら、かがんだ宮越が、早くもタバコの火を消していた。中央に、柱のようなスタンド灰皿があり、そこへタバコを押し付けていたのだ。
後ろ手にドアを閉めながら、思わず、
「オイオイ、宮越主任、もう行くんですかイ? もっと、ゆっくりしてってくださいや」
紗良葉が苦笑いで話しかけると、宮越は微笑して、しわがれ声で、
「いや、いや。もう、私、かれこれ十五分近く、入り浸ってるからねえ。そろそろ出ようかなと」
ぼそぼそしたしゃべり方だが、語り口は柔和だ。
続けて、ふと思い出したように、
「時乗さん、ネジの仕上がりが素晴らしいって、ゾントの担当者が絶賛してたよ」
「んー。えーっと、そうなんッすか」
突然、褒められて、紗良葉は反応に困る。
もしかすると、照れた表情になっているかもしれない。先ほどの虎侍朗のように。
周囲の一部からは「姐御」などと呼ばれていても、紗良葉もまだ二十四歳。社会人の世界では、新米・若者の位置づけなのである。
なお、「時乗」というのは、紗良葉の名字。
それから、「ゾント電子」は、韓国の大手テクノロジー企業。オート村ック製のネジ納品先であり、そのほとんどを紗良葉が担当し、作っているのだった。
「ちょいと、一服してきまーす」
周囲に、軽く声かけをしながら。
なまりのある日本語で、
「ドゾ、ゴユルリ、ゴユックリィー」
黒人男性のギリェルミが、白い前歯を見せ、リズミカルに声をかけてくる。しゃがみ込んで、床に広げた紙の図面と、タブレット画面とを見比べていた。
紗良葉は、カカッと笑って、ギリェルミの太い肩を、小突く真似をする。すると、ギョロッと目を見開いて、おどけてきた。同世代の好青年だ。若いが、既に妻子がいる。
ギリェルミとは、普段から馬が合う。
互いに、異国風の外見だから、というのが大きいかもしれぬ。紗良葉は金髪であり、目の色も青いのだ。
一歩一歩、フロアの物をよけながら進む。途中、後ろの虎侍朗の方を、紗良葉は何度か振り返る。
室内には、ごつい工作機械が所狭しと配置され、子供には危険だからだ。
虎侍朗がついてくる。
「ほっ!」
コンテナボックスを飛び越える。ワイドパンツがはためいて、ランドセルに付けられたキーホルダーも、ジャラッと跳ねた。靴は、バスケットシューズである。
苦笑する紗良葉。
「だから、危ねえって……」
何回注意しても、聞かない。
「よお、坊っちゃーん、お帰り!」
片隅から、ヒゲもじゃの古参社員が、ロボットアームの角度を調整しつつ、声をかけてきた。
「ただいま!」
手を挙げた後、しっかり、おじぎを返す。ランドセルが上に来るほどに、深々と。
美人である母親――社長夫人――が、なかなかどうして、我が子の礼儀には厳しいそうな。
一方、社長はと言えば、もうすぐ還暦の、陽気な男だけれど。
何しろ、自分の会社に「オート村ック」などという、冗談みたいな名前を平気で付けるのだから。
これは言うまでもなく、「オートマチック」をもじった駄洒落だ。
「マチ」を、「村」に置き換えている。最先端の機械を、村のような素朴さで楽しく作ろう、という願い・目標が込められているのだった。
もっとも、実態は、何でも屋になりつつあるけれど……。
人工衛星の部品、小水力発電の水車、子供向け玩具の試作、雑誌の付録、金型、ドラマ撮影のセット、日用品、古道具など――無数に作るし、また修理も請け負う。
先日は、現職の経済産業大臣が愛用する、明治時代の傘を修理した。無論、ベテラン社員が担当し、骨の一本から作り直した。
納品後、社長が、「大臣、今度、国会答弁でうちの会社、紹介してくださいよ」と言ったら、渋い顔をされたというが、まあ当然であろう。
とまれ、傘の仕上がりには満足だったようだ。
そういった仕事を、五月雨式、あるいは同時進行で続けているのが、ここ、株式会社オート村ックなのであった。
今、一階のこのスペースには、作業着姿の社員が、機械のそばに、ぽつりぽつりと十人ほどいる。うち、女性は、紗良葉以外に、二名。あとは、四十歳前後の男性が中心だ。
作業中の者もいれば、小声で虎侍朗へあいさつをする者も。
身をよじって、その間を抜け、廊下へ出た。
目指す喫煙室は、真正面の壁際にある。
定員は五人程度。ガラス張りで、中を見渡せる。
一人、先客がいた。小柄な、初老の男性社員。背広姿だ。
(宮越さんか)
紙巻きタバコを吸っていた。
ドアの手前で、
「――ンじゃア、とりあえず、ここまでな」
と、もう一回振り向いて、紗良葉が虎侍朗を見下ろす。
未成年者が喫煙室に立ち入ることは、法律で禁じられている。
「うん。いつもみたく、絵、描いて待ってる」
「あー」
こっくりと、紗良葉がうなずき返す。互いに、過剰な愛想はなく、淡々としたやり取り。
ノブを回して、ドアをガチャッと開けたら、かがんだ宮越が、早くもタバコの火を消していた。中央に、柱のようなスタンド灰皿があり、そこへタバコを押し付けていたのだ。
後ろ手にドアを閉めながら、思わず、
「オイオイ、宮越主任、もう行くんですかイ? もっと、ゆっくりしてってくださいや」
紗良葉が苦笑いで話しかけると、宮越は微笑して、しわがれ声で、
「いや、いや。もう、私、かれこれ十五分近く、入り浸ってるからねえ。そろそろ出ようかなと」
ぼそぼそしたしゃべり方だが、語り口は柔和だ。
続けて、ふと思い出したように、
「時乗さん、ネジの仕上がりが素晴らしいって、ゾントの担当者が絶賛してたよ」
「んー。えーっと、そうなんッすか」
突然、褒められて、紗良葉は反応に困る。
もしかすると、照れた表情になっているかもしれない。先ほどの虎侍朗のように。
周囲の一部からは「姐御」などと呼ばれていても、紗良葉もまだ二十四歳。社会人の世界では、新米・若者の位置づけなのである。
なお、「時乗」というのは、紗良葉の名字。
それから、「ゾント電子」は、韓国の大手テクノロジー企業。オート村ック製のネジ納品先であり、そのほとんどを紗良葉が担当し、作っているのだった。

