イザベラは恋愛感情としてアレクサンドを好きなわけではない。
その事実をまさか本人に伝えないわけにはいかない。私は翌日、アレクサンドに頼んで二人で話をする場を整えてもらった。
「それで、話ってどうしたの?」
早朝の王宮専用食堂は静寂に包まれていた。昨日急いで連絡を送り他の生徒が登校してくる前の時間帯の集合をお願いしたため、生徒は私たち二人以外誰もいない。高い窓からは、まだ冷たさの残る朝の光が差し込み、磨き上げられた大理石の床を淡く照らしている。空気は澄んでおり、昨日までの喧騒が嘘のように静かだった。シヴァは私達に紅茶を入れると、部屋の外で控えてくれている。
アレクサンドは何も知らず、カップを傾けながらいつもの柔和な笑顔を浮かべている。この笑顔が崩れてしまう可能性が高いと考えると怖すぎる。心臓がドクドクと不規則な音を立てるのを自覚しながら私はぎゅっと拳を握り締めると、意を決してアレクサンドへ視線を向けた。
「……あ、あの。つい最近、イザベラと話をして分かったことがあるんですけど……」
「イザベラ嬢と? 何があったの?」
アレクサンドの表情が真剣なものに変わる。私は深く深呼吸して、昨日イザベラとした話を彼に伝えた。
「……なるほどね」
私の一通りの説明を聞いて、アレクサンドはゆっくり頷いた。俯いた彼の表情は前髪に隠れて見えない。心臓がドキドキと早鐘を打つ。
「……私の、早とちりだったというわけか」
そう言いながらゆっくりとアレクサンドは顔を上げる。その表情は蕩けそうなほど優しい笑みなのに、どこか歪んで見える。カップを握る手に筋が浮かんでいるのを見ても、彼が明確な怒りを露わにしているのが分かった。
「頬を赤く染めて、何かを期待するような目で私を見るものだから、てっきりそう思っていたよ。まあ、確かにイザベラ嬢本人に確認したわけではないしね」
「……あの、アレクサンド様」
「ちゃんと確認しなかったこちらに落ち度があるんだし、イザベラ嬢に対しては問題ないさ。彼女はただ憧れとして、羨望として私を見ていただけ。そういうこともあるよね」
今までになく長文でつらつらと言い訳のような言葉を並べている。怖い、あまりに怖すぎる。
「……怒って、ますか?」
私の質問に、アレクサンドは音を立ててカップを机に置いた。その音についびくっと反応してしまう。
「ああ、怒っているよ。……女性相手に一人で期待して、勝手に思い込んでいた馬鹿な自分自身に」
顔を上げたアレクサンドは、一瞬傷ついた普通の少年のような表情を見せた。いつものあまりに完璧な笑顔を浮かべる彼ではない。
「恋愛感情が人を狂わせるとは聞くが、まさか自分がそうなるとはね」
これがアレクサンドの素の表情なのかと、私ははじめて気づいた。
「すっかり勘違いしていた私の問題です。本当に申し訳ありませんでした。……これから、どうしますか?」
「どうもしないよ。私がすることは変わらないから」
私の謝罪を受けて気を取り直したのか、アレクサンドはいつも通りの笑みを浮かべる。ほっと安心したが、次の瞬間には背筋が寒くなることになってしまった。
「……ただ、イザベラ嬢には本気でかからないといけなくなっただけだよ。もう油断はしないから」
あ、これガチで落としにかかるつもりだ。
美しい笑みで宣言する彼は、覚悟を決めた様子だった。この後、イザベラがどんな目に合うのか想像したくてもできない。優子になんだか申し訳なくなってしまった。本気で最推しのアレクサンドから口説かれ続ければ、いくら推し×自分のカップリングを好まない優子でも感情が揺らぐだろう。というよりも、過去の私のようにアレクサンドをただのキャラクターと思っているからこそ、あんな感想が言えるのだ。それがれっきとした人間から真正面の愛情を向け続けられれば、きっとアレクサンドのことを“推しのキャラクター”ではなく“一人の人間”として認識するようになるかもしれない。そうなった時、優子がどんな反応を示すのか。私には想像できなかった。
部屋からどっと疲れた表情をして出てくる私を見て、シヴァは眉間に皺を寄せた。そりゃ、何事かと心配にもなるだろう。
「どうしたんだ?」
「シヴァ。前、イザベラはアレクサンドを好きだから、二人が一緒になればって話をしたじゃない?」
「? うん」
あの時、シヴァはアレクサンドの感情も考えろと言っていた。全くの正論だ。そんな都合よく両想いになってくれたら苦労しない。
「アレクサンド様はその気になったのに、まさかね、イザベラの方が……アレクサンド様に恋愛感情なんかなかったの」
私の言葉を聞いて、さすがにシヴァも顔色を青くする。そりゃそうだ。アレクサンドを騙すようなことになり、不敬極まりない。しかも、イザベラにだって申し訳が立たないのだ。
「……私、全力でアレクサンド様の恋を応援しようと思います」
「……頑張れ」
それ以上は特に何も言えなかった。
***
教室に着くと徐々に人が増えてきた。部屋は昨年と違うものの、やって来るメンバーは昨年と何も変わらない。ヒロインただ一人を除いて。
「姉上、おはようございます」
「おはよう、レアンドロ。今日からはマルグリータと一緒なの?」
「はい! 教室まで送ってきました」
時間直前になって駆け込んできたレアンドロは笑顔で答える。どうやら二人は毎朝一緒の馬車に乗って投稿し、レアンドロはわざわざ一年生の教室までマルグリータを送り届けているらしい。その溺愛ぶりはさすがとしか言えない。
教室の一番後ろの席にレアンドロが着くと、教室の前のドアが開く。そこからは担当の職員とメロディがやって来た。少し高くなっているステージに上がり、中心の教卓の前に着く。
「みなさん、おはようございます。今年一年よろしくお願いたします。今日から入ってきた新入生がいますので、挨拶をさせて下さい」
その事実をまさか本人に伝えないわけにはいかない。私は翌日、アレクサンドに頼んで二人で話をする場を整えてもらった。
「それで、話ってどうしたの?」
早朝の王宮専用食堂は静寂に包まれていた。昨日急いで連絡を送り他の生徒が登校してくる前の時間帯の集合をお願いしたため、生徒は私たち二人以外誰もいない。高い窓からは、まだ冷たさの残る朝の光が差し込み、磨き上げられた大理石の床を淡く照らしている。空気は澄んでおり、昨日までの喧騒が嘘のように静かだった。シヴァは私達に紅茶を入れると、部屋の外で控えてくれている。
アレクサンドは何も知らず、カップを傾けながらいつもの柔和な笑顔を浮かべている。この笑顔が崩れてしまう可能性が高いと考えると怖すぎる。心臓がドクドクと不規則な音を立てるのを自覚しながら私はぎゅっと拳を握り締めると、意を決してアレクサンドへ視線を向けた。
「……あ、あの。つい最近、イザベラと話をして分かったことがあるんですけど……」
「イザベラ嬢と? 何があったの?」
アレクサンドの表情が真剣なものに変わる。私は深く深呼吸して、昨日イザベラとした話を彼に伝えた。
「……なるほどね」
私の一通りの説明を聞いて、アレクサンドはゆっくり頷いた。俯いた彼の表情は前髪に隠れて見えない。心臓がドキドキと早鐘を打つ。
「……私の、早とちりだったというわけか」
そう言いながらゆっくりとアレクサンドは顔を上げる。その表情は蕩けそうなほど優しい笑みなのに、どこか歪んで見える。カップを握る手に筋が浮かんでいるのを見ても、彼が明確な怒りを露わにしているのが分かった。
「頬を赤く染めて、何かを期待するような目で私を見るものだから、てっきりそう思っていたよ。まあ、確かにイザベラ嬢本人に確認したわけではないしね」
「……あの、アレクサンド様」
「ちゃんと確認しなかったこちらに落ち度があるんだし、イザベラ嬢に対しては問題ないさ。彼女はただ憧れとして、羨望として私を見ていただけ。そういうこともあるよね」
今までになく長文でつらつらと言い訳のような言葉を並べている。怖い、あまりに怖すぎる。
「……怒って、ますか?」
私の質問に、アレクサンドは音を立ててカップを机に置いた。その音についびくっと反応してしまう。
「ああ、怒っているよ。……女性相手に一人で期待して、勝手に思い込んでいた馬鹿な自分自身に」
顔を上げたアレクサンドは、一瞬傷ついた普通の少年のような表情を見せた。いつものあまりに完璧な笑顔を浮かべる彼ではない。
「恋愛感情が人を狂わせるとは聞くが、まさか自分がそうなるとはね」
これがアレクサンドの素の表情なのかと、私ははじめて気づいた。
「すっかり勘違いしていた私の問題です。本当に申し訳ありませんでした。……これから、どうしますか?」
「どうもしないよ。私がすることは変わらないから」
私の謝罪を受けて気を取り直したのか、アレクサンドはいつも通りの笑みを浮かべる。ほっと安心したが、次の瞬間には背筋が寒くなることになってしまった。
「……ただ、イザベラ嬢には本気でかからないといけなくなっただけだよ。もう油断はしないから」
あ、これガチで落としにかかるつもりだ。
美しい笑みで宣言する彼は、覚悟を決めた様子だった。この後、イザベラがどんな目に合うのか想像したくてもできない。優子になんだか申し訳なくなってしまった。本気で最推しのアレクサンドから口説かれ続ければ、いくら推し×自分のカップリングを好まない優子でも感情が揺らぐだろう。というよりも、過去の私のようにアレクサンドをただのキャラクターと思っているからこそ、あんな感想が言えるのだ。それがれっきとした人間から真正面の愛情を向け続けられれば、きっとアレクサンドのことを“推しのキャラクター”ではなく“一人の人間”として認識するようになるかもしれない。そうなった時、優子がどんな反応を示すのか。私には想像できなかった。
部屋からどっと疲れた表情をして出てくる私を見て、シヴァは眉間に皺を寄せた。そりゃ、何事かと心配にもなるだろう。
「どうしたんだ?」
「シヴァ。前、イザベラはアレクサンドを好きだから、二人が一緒になればって話をしたじゃない?」
「? うん」
あの時、シヴァはアレクサンドの感情も考えろと言っていた。全くの正論だ。そんな都合よく両想いになってくれたら苦労しない。
「アレクサンド様はその気になったのに、まさかね、イザベラの方が……アレクサンド様に恋愛感情なんかなかったの」
私の言葉を聞いて、さすがにシヴァも顔色を青くする。そりゃそうだ。アレクサンドを騙すようなことになり、不敬極まりない。しかも、イザベラにだって申し訳が立たないのだ。
「……私、全力でアレクサンド様の恋を応援しようと思います」
「……頑張れ」
それ以上は特に何も言えなかった。
***
教室に着くと徐々に人が増えてきた。部屋は昨年と違うものの、やって来るメンバーは昨年と何も変わらない。ヒロインただ一人を除いて。
「姉上、おはようございます」
「おはよう、レアンドロ。今日からはマルグリータと一緒なの?」
「はい! 教室まで送ってきました」
時間直前になって駆け込んできたレアンドロは笑顔で答える。どうやら二人は毎朝一緒の馬車に乗って投稿し、レアンドロはわざわざ一年生の教室までマルグリータを送り届けているらしい。その溺愛ぶりはさすがとしか言えない。
教室の一番後ろの席にレアンドロが着くと、教室の前のドアが開く。そこからは担当の職員とメロディがやって来た。少し高くなっているステージに上がり、中心の教卓の前に着く。
「みなさん、おはようございます。今年一年よろしくお願いたします。今日から入ってきた新入生がいますので、挨拶をさせて下さい」

