次にメロディが足を運んだのは書庫だった。その後を、私とヤコブは追いかける。ずっと後ろの方で、こそこそとイザベラも動いているのが分かった。
その書庫の建物は、他の校舎とは少し趣を異にしていた。周囲の石造りの建物よりも重厚で、採光のために設けられた窓は高い位置に細長く、全体として堅牢で知的な印象を与えている。緑に覆われた蔦が建物の壁を這い上がっており、その歴史の深さを物語っていた。
ここでは本好きのヒロインが書庫に入り、先に来ていたセドリック・カンナバーロと出会うのだ。一見、女子生徒とも見紛うような彼にヒロインはつい女性相手だと思い話をしてしまう。そこで男子生徒の制服を着ているのに気づき、慌てて謝罪するのだ。そんな彼女の様子に、セドリックは面白がる。ゲームではそんな話の流れだったはずだ。
私はワクワクしながら開いたままの扉から中を覗き込んだ。そこでは、メロディとセドリックが仲良く会話している……はずだった。
「え?」
書庫の中にはメロディしかいなかった。彼女はキョロキョロと周囲を見渡し、興味がある分類の本棚へと足を進めている。それ以外、誰の姿もない。
「なんで、誰もいないの……?」
「私達の介入で、色々なことが変わってしまったのでしょうか。それにしても、セドリックには一度も関与していませんよね?」
「ええ……関与してないから、シナリオが変わるなんてこと無いと思うんだけど」
そう思いながらも、目の前の光景は、確かなシナリオのズレを示していた。頭に疑問符を浮かべながら、ヤコブと顔を見合わせる。
そこに割って入ってきたのはイザベラだった。私達の横をすり抜け、書庫の中を覗き込む。
「え⁉」
書庫の中を見て、イザベラも先程までの私達と同じようなリアクションを見せた。目を見開き、ぽかんとした表情を浮かべている。
「噓でしょ……なんで、セドリックがいないのよ……」
その言葉で私は確信し、ヤコブの腕を掴むと素早く耳打ちをした。
「ねえ、イザベラってもしかして……」
***
『大丈夫? 泣いてるの?』
その言葉にロミーナが振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。随分と幼く、可愛らしい顔立ちは少女のようにも見える。背が低く小柄なためか、制服がやけに大きい。上着の袖は大きく余っていて、彼の手が包まれて見えなくなっていた。ブロンドの髪は少年らしく短く切り揃えられているものの、金装飾の女物の髪飾りが付いている。愛らしい顔立ちに女物の髪飾りは似合っているが、短い髪とはやけにアンバランスな印象を与えた。
前髪から覗くアーモンド形の大きな菫色の瞳が瞬き、まっすぐにロミーナを見つめる。呆然としている彼女に合わせるように、彼はしゃがみ込み目線を合わせた。にこにこと人懐っこい、小動物のような笑みを浮かべている。
『やっぱり、泣いてる。どうしたの? 大丈夫?』
そんな言葉をかけてもらえたのはいつぶりだろうか。つい、ロミーナの目から涙が零れ落ちた。慌ててポケットからハンカチを取り出すが、それよりも先に少年がロミーナの涙を拭いてくれる。
『……すみません。ありがとうございます。ただ、ちょっと嫌なことがあって』
『そっかそっか。流暢なライ語だったから、つい気になってさ。お節介だったらごめんね?』
『いえ! そんなこと!』
寂しそうにしゅんとしながら話す少年に、ロミーナは慌てて制止した。泣いている姿を見られた上に、慰められて、しかもその相手を落ち込ませてしまうなんて。立て続けに起こった出来事に驚きつつも、せめてこの心優しい少年をこれ以上傷つけないよう必死だった。そうしている内に、気付けば涙が止まっていた。
『あ、泣き止んだ。良かったね』
にっこりと明るく笑う少年に気圧されてしまう。視線を逸らしつつ、ロミーナは後ずさった。
『わ、忘れて下さい……泣いていたのを見られるなんて、本当にお恥ずかしい……』
『人に見られなきゃいいの?』
きょとんと首を傾げた少年が、そっとロミーナの手を取る。急なことに驚き、手を振りほどこうとするも彼の力は意外と強かった。そのまま彼の魔力がオレンジ色に輝き、周囲を包み込む。何をしようとしているのかは分からないが、魔法が苦手なロミーナでも、彼が強い魔力を持っていることが分かった。
『あの、これは……っ!』
問いを投げかけようとするも、それよりも彼の魔法が発動する方が早かった。周囲の魔力が強く光り輝き、その眩しさに目を閉じてしまう。思わず空いている片手で顔を覆い、光が収まるのを待った。
再び目を開けると、周囲は先程までいた書庫とは全く違う場所になっていた。強い日差しが肌を焼き、生ぬるい風が吹いている。目の前には眩しい白い砂浜がどこまでも広がり、波が穏やかに打ち寄せている。砂浜のすぐ横は、背の高い植物が密集した深い緑の森になっており、人の気配は全くない。ロミーナと少年は、その砂浜に二人で座っていた。
『嘘……ここって』
場所は違うだろうが、この目が痛いほどの太陽光と白い砂浜には覚えがある。
『そ! ライハラ連合国の端っこの海岸。どう? ライ語使ってたし、馴染みある場所なんでしょ? こうして明るい所にいると、気分が違うよね』
ロミーナは目の前の光景が信じられず、思わず足元の砂を握り締める。さらさらときめ細かい白い砂は、かつて親戚や友人と遊んだ砂浜の物によく似ていた。
(転移魔法……? あれって、王宮魔導士でも数人しか使えない物よね? それを、こんな少年が一人で?)
『ほら、立って立って! ちゃんと元居た場所には返してあげるから。海に浸かってみなよ。冷たくて気持ちいいよ!』
呆然と見上げるロミーナに構わず、彼は立ち上がり、繋いでいた手を引っ張りロミーナを立ち上がらせる。そのまま青い海まで走って行ってしまい、ロミーナは砂浜で足を取られそうになりながらも慌てて彼の後を追った。靴や靴下が濡れることも厭わず、そのまま海の中まで入ってしまう。膝近くまで海に浸かると、彼は眩しい笑顔でロミーナに振り返った。
『あ、ちゃんと服とか靴は洗うし乾かすからね。後のことなんて気にしないで、今は笑ってよ』
『あ、あの……』
そんな少年にロミーナはおずおずと声を掛ける。立って並んでみると、ロミーナよりも彼の方が背が低い。そんな少年に慰められた羞恥と、物凄い魔法を目の前で見せつけられて、どうしたら良いのかロミーナは分からなかった。
『……貴方、お名前は?』
『あ、そうだった! 名乗って無かったね』
ロミーナの素直な問いに、少年は慌てて姿勢を正す。
『セドリック・カンナバーロ。今日から学園に入学した新入生だよ』
菫色の目を細めて、少年――セドリック・カンナバーロはそう言った。
その書庫の建物は、他の校舎とは少し趣を異にしていた。周囲の石造りの建物よりも重厚で、採光のために設けられた窓は高い位置に細長く、全体として堅牢で知的な印象を与えている。緑に覆われた蔦が建物の壁を這い上がっており、その歴史の深さを物語っていた。
ここでは本好きのヒロインが書庫に入り、先に来ていたセドリック・カンナバーロと出会うのだ。一見、女子生徒とも見紛うような彼にヒロインはつい女性相手だと思い話をしてしまう。そこで男子生徒の制服を着ているのに気づき、慌てて謝罪するのだ。そんな彼女の様子に、セドリックは面白がる。ゲームではそんな話の流れだったはずだ。
私はワクワクしながら開いたままの扉から中を覗き込んだ。そこでは、メロディとセドリックが仲良く会話している……はずだった。
「え?」
書庫の中にはメロディしかいなかった。彼女はキョロキョロと周囲を見渡し、興味がある分類の本棚へと足を進めている。それ以外、誰の姿もない。
「なんで、誰もいないの……?」
「私達の介入で、色々なことが変わってしまったのでしょうか。それにしても、セドリックには一度も関与していませんよね?」
「ええ……関与してないから、シナリオが変わるなんてこと無いと思うんだけど」
そう思いながらも、目の前の光景は、確かなシナリオのズレを示していた。頭に疑問符を浮かべながら、ヤコブと顔を見合わせる。
そこに割って入ってきたのはイザベラだった。私達の横をすり抜け、書庫の中を覗き込む。
「え⁉」
書庫の中を見て、イザベラも先程までの私達と同じようなリアクションを見せた。目を見開き、ぽかんとした表情を浮かべている。
「噓でしょ……なんで、セドリックがいないのよ……」
その言葉で私は確信し、ヤコブの腕を掴むと素早く耳打ちをした。
「ねえ、イザベラってもしかして……」
***
『大丈夫? 泣いてるの?』
その言葉にロミーナが振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。随分と幼く、可愛らしい顔立ちは少女のようにも見える。背が低く小柄なためか、制服がやけに大きい。上着の袖は大きく余っていて、彼の手が包まれて見えなくなっていた。ブロンドの髪は少年らしく短く切り揃えられているものの、金装飾の女物の髪飾りが付いている。愛らしい顔立ちに女物の髪飾りは似合っているが、短い髪とはやけにアンバランスな印象を与えた。
前髪から覗くアーモンド形の大きな菫色の瞳が瞬き、まっすぐにロミーナを見つめる。呆然としている彼女に合わせるように、彼はしゃがみ込み目線を合わせた。にこにこと人懐っこい、小動物のような笑みを浮かべている。
『やっぱり、泣いてる。どうしたの? 大丈夫?』
そんな言葉をかけてもらえたのはいつぶりだろうか。つい、ロミーナの目から涙が零れ落ちた。慌ててポケットからハンカチを取り出すが、それよりも先に少年がロミーナの涙を拭いてくれる。
『……すみません。ありがとうございます。ただ、ちょっと嫌なことがあって』
『そっかそっか。流暢なライ語だったから、つい気になってさ。お節介だったらごめんね?』
『いえ! そんなこと!』
寂しそうにしゅんとしながら話す少年に、ロミーナは慌てて制止した。泣いている姿を見られた上に、慰められて、しかもその相手を落ち込ませてしまうなんて。立て続けに起こった出来事に驚きつつも、せめてこの心優しい少年をこれ以上傷つけないよう必死だった。そうしている内に、気付けば涙が止まっていた。
『あ、泣き止んだ。良かったね』
にっこりと明るく笑う少年に気圧されてしまう。視線を逸らしつつ、ロミーナは後ずさった。
『わ、忘れて下さい……泣いていたのを見られるなんて、本当にお恥ずかしい……』
『人に見られなきゃいいの?』
きょとんと首を傾げた少年が、そっとロミーナの手を取る。急なことに驚き、手を振りほどこうとするも彼の力は意外と強かった。そのまま彼の魔力がオレンジ色に輝き、周囲を包み込む。何をしようとしているのかは分からないが、魔法が苦手なロミーナでも、彼が強い魔力を持っていることが分かった。
『あの、これは……っ!』
問いを投げかけようとするも、それよりも彼の魔法が発動する方が早かった。周囲の魔力が強く光り輝き、その眩しさに目を閉じてしまう。思わず空いている片手で顔を覆い、光が収まるのを待った。
再び目を開けると、周囲は先程までいた書庫とは全く違う場所になっていた。強い日差しが肌を焼き、生ぬるい風が吹いている。目の前には眩しい白い砂浜がどこまでも広がり、波が穏やかに打ち寄せている。砂浜のすぐ横は、背の高い植物が密集した深い緑の森になっており、人の気配は全くない。ロミーナと少年は、その砂浜に二人で座っていた。
『嘘……ここって』
場所は違うだろうが、この目が痛いほどの太陽光と白い砂浜には覚えがある。
『そ! ライハラ連合国の端っこの海岸。どう? ライ語使ってたし、馴染みある場所なんでしょ? こうして明るい所にいると、気分が違うよね』
ロミーナは目の前の光景が信じられず、思わず足元の砂を握り締める。さらさらときめ細かい白い砂は、かつて親戚や友人と遊んだ砂浜の物によく似ていた。
(転移魔法……? あれって、王宮魔導士でも数人しか使えない物よね? それを、こんな少年が一人で?)
『ほら、立って立って! ちゃんと元居た場所には返してあげるから。海に浸かってみなよ。冷たくて気持ちいいよ!』
呆然と見上げるロミーナに構わず、彼は立ち上がり、繋いでいた手を引っ張りロミーナを立ち上がらせる。そのまま青い海まで走って行ってしまい、ロミーナは砂浜で足を取られそうになりながらも慌てて彼の後を追った。靴や靴下が濡れることも厭わず、そのまま海の中まで入ってしまう。膝近くまで海に浸かると、彼は眩しい笑顔でロミーナに振り返った。
『あ、ちゃんと服とか靴は洗うし乾かすからね。後のことなんて気にしないで、今は笑ってよ』
『あ、あの……』
そんな少年にロミーナはおずおずと声を掛ける。立って並んでみると、ロミーナよりも彼の方が背が低い。そんな少年に慰められた羞恥と、物凄い魔法を目の前で見せつけられて、どうしたら良いのかロミーナは分からなかった。
『……貴方、お名前は?』
『あ、そうだった! 名乗って無かったね』
ロミーナの素直な問いに、少年は慌てて姿勢を正す。
『セドリック・カンナバーロ。今日から学園に入学した新入生だよ』
菫色の目を細めて、少年――セドリック・カンナバーロはそう言った。

