王族専用食堂には、いつものメンバーが集まっていた。テーブルの中央には、まるで宝石箱のように豪華なデザートが堂々と並べられている。
主役は、艶やかな苺とラズベリーが山のように盛られた大きなフレジェだ。断面からは、濃厚なクレーム・ムースリーヌと、薄緑色のピスタチオが練り込まれたスポンジの層が鮮やかに覗いている。その横には、金箔が小さくあしらわれたチョコレート細工のプチガトー。濃いブラウンのグラサージュが鏡のように光を反射し、一口サイズながらも芸術品のような存在感を放っていた。さらに、透き通ったガラスのグラスには、ローズマリーの葉を添えたシトラスジェラートが盛られており、爽やかな香りを部屋中に漂わせている。
私は遠慮なくシヴァにお願いしてフレジェを取ってもらった。口に入れれば芳醇な苺の香りが広がる。クリームの甘さとラズベリーの酸味が絶妙だ。隣のイザベラも頬が落っこちないか心配なのか、頬に手を添えて喜んでいる。ロミーナは優雅にジェラートを口に入れているが頬が緩んでいるのが分かった。
食事を終える頃、また何か指示をされるのではないかとすこしソワソワしていたが、何事もなく解散となった。
「今日は何も無いんですね?」
「卒業式とパーティが控えてるけど、私が代表者挨拶をするだけで、みんなに手伝ってもらうようなことは無いからね」
念のため帰りがけにアレクサンドに聞いてみると、彼はそう答えた。その返事にほっと安心する。そういえば、卒業パーティがあるんだった。基本的には、学園に通う生徒は全員参加だ。
「あ、そうだ。パートナーは私になるから、後でドレスを贈っておくよ」
「分かりました」
婚約者として事務的な話を済ませて、私は帰宅した。
今回の卒業パーティはなんてことはない。まだゲーム本編開始前なのだから、むしろ何か事件が起きる方がびっくりだ。
卒業パーティが催された大広間は、天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、無数のクリスタルの光を降り注ぎ、息をのむほど華やかだった。集まった上級生や私たちを含めた在校生たちは、普段の制服とは違い豪華なドレスに身を包んでいる。
アレクサンド殿下は、深く落ち着いた濃紺の正装に身を包んでいた。その凛とした姿は遠くからでも目を引く。私は彼が用意してくれた、夜空の色にも似た濃紺のグラデーションのドレスを纏っていた。足元は少し透けており、星のような金の靴が覗いている。私達は決まった挨拶を済ませると、アレクサンドのエスコートでダンスを踊った。
さすがに王妃教育でも淑女クラスでもさんざん練習しただけあって、もう相手の足を踏むことは無い。幼少期にシヴァにダンスを教えてもらったことをふと思い出し、彼に視線を向けた。今日は貴族の従者達とパーティ会場の従者が同じ服装になるように統一されている。シンプルな黒いメイド服に身を包んだシヴァは壁際で他の従者達と同じように控えていた。
本当は、私よりも誰よりも、シヴァはダンスが上手なのに。今は誘うこともできないのが辛い。そんな私の感情を知らないふりをしているのか、目があったシヴァは薄く微笑むだけだった。
「それじゃ、アレクサンド様。次はイザベラを誘って下さいね!」
「随分と圧が強いなぁ」
ダンスを終え、離れる時に小声でアレクサンドに告げると、彼は困ったように苦笑いを浮かべた。それでも、ずっとイザベラを目で追っていたのを私は知っている。
私と離れると一直線にイザベラの下へと向かった。今日のイザベラは淡いエメラルドグリーンのドレスで、大きな白い百合の刺繍が大胆に入ったデザインだ。蜂蜜色の髪を下ろし、いつもよりもきつめにカールを巻いている。肩や胸が大きく露出されていて、寒さ対策のためか白いファーストールに身を包んでいるのが実に優雅だ。
次の曲がはじまり、二人は手を取って踊り始めた。きっちり型にはまったダンスをするイザベラと、同じく型通りのダンスをするアレクサンドは相性が良いのか、並ぶ二人はダンスのお手本のようだ。周囲もその美しさに感嘆している。端でジュースを飲みながらそんな二人を眺めていると、気付けばヤコブがすぐ隣に来ていた。
「卒業式が終わったら、もうすぐ入学式ですね」
「ええ、とうとうゲーム開始よ。ヒロインを見るのが楽しみだわ」
周囲の喧騒で、小声で話す私達の声は聞こえないだろう。
もうすぐ、ゲーム本編が開始する。ゲームのヒロインと最後の攻略対象者。そして、マルグリータが入学してきて、ゲームの登場人物が勢揃いするのだ。ワクワクすると同時に緊張もする。来年、ソプレス王国で大規模な反乱が起こるのがゲーム本編の話。私はそれを解決しなければならない。そうしなければ、私はチャンスを失いアレクサンドと結婚することになる。シヴァと自由に会える生活とはおさらばだ。
「……絶対、婚約解消してみせるんだから。応援してよね?」
「深入りはできませんが、助言くらいなら」
私の覚悟に、ヤコブは柔和な笑顔で返す。気付けば三曲目に入っており、アレクサンドはロミーナと踊っていた。いつものメンバー女性全員と踊れば、イザベラと踊るのも不自然には見られない。なんとも彼らしい立ち振る舞いだ。
そうなると、私もいつものメンバーと踊らなければ不自然だろう。飲み終えたグラスをテーブルに置くと、私はヤコブの方を見た。察したのか、ヤコブは私が差し出した手を取る。そのまま二人でダンスホールに向かい、ダンスに興じる人々の波に混ざっていった。
***
「……えっと、ここで合ってるんだよね?」
王都の中でも中央のきらびやかな地区から少し離れた、落ち着いた場所。通りには質の良い石や、レンガで造られた大きな屋敷が整然と並んでいた。それぞれの建物は無駄な装飾や金箔を排した重厚な佇まいだが、手入れが行き届いた庭木や清潔な窓ガラスから、ここに住まう人々の堅実な富が伝わってくる。
一人の少女が、その一角にある屋敷の前で立ち止まっていた。彼女は大きなボストンバッグを持っていたが、その重みに耐えかねたのか冷たい石畳に置いた。少し擦れたバッグの表面を見つめてから、少女はポケットの奥から折りたたまれた一枚の紙を取り出した。広げられた紙には、慎重に書き写された住所か、あるいは簡潔な地図が描かれているのだろう。彼女はそれを屋敷の門と見比べ、再度確認するように視線を巡らせた。その表情には、期待と、わずかな不安が混じり合っていた。
彼女は艶やかなストロベリーブロンドが似合う、可憐な少女だ。腰まで伸びた長い髪には、白いリボンがついている。生成りのパフスリーブにワインレッドのチェックガラのワンピースと、服装も実に質素だ。小柄で手足は細く長く、その美しさが目を引く少女ではあるのだが、胸のふくらみが全くないことだけが唯一の欠点であろうか。いや、それがまた彼女を幼く愛らしく見せているのか。
彼女はレモン色の瞳を屋敷に向けると、覚悟を決めたようにきゅっと唇を嚙んだ。深呼吸をするとうんと大きく伸びをする。
「よし、行くぞ!」
少女は決意を込めてそう呟くと、再びボストンバッグを手に持った。屋敷の門から玄関までのアプローチは、冬だが手入れされた庭が続いていた。低く刈り込まれた生垣が整然と並び、石畳には枯葉一つ落ちていない。
玄関の重厚な木製の扉の前で立ち止まり、少女はボストンバッグを再び地面に置いた。少し迷うように指先を動かした後、意を決して扉をノックした。コン、コン、コン、と控えめながらもはっきりとした音が静かな住宅街に響く。
しばらくすると、扉の向こうから、床を擦るような低い足音が近づいてきた。そして、ガチャリという音と共に扉が開く。そこには、屋敷を管理しているであろうふくよかな体型の女性が、白いエプロンで手を拭きながら立っていた。
「ああ、貴女……」
女性は少女に心当たりがあるのか、彼女を見て目を見開く。少女は女性に、満面の笑みを向けた。きっちりと背筋を伸ばし、身体の前で手を組み、ぺこりと腰を90度曲げてお辞儀をする。そして元気に名を名乗った。
「メロディー・ルベルゾンです。今日からよろしくお願いします!」
主役は、艶やかな苺とラズベリーが山のように盛られた大きなフレジェだ。断面からは、濃厚なクレーム・ムースリーヌと、薄緑色のピスタチオが練り込まれたスポンジの層が鮮やかに覗いている。その横には、金箔が小さくあしらわれたチョコレート細工のプチガトー。濃いブラウンのグラサージュが鏡のように光を反射し、一口サイズながらも芸術品のような存在感を放っていた。さらに、透き通ったガラスのグラスには、ローズマリーの葉を添えたシトラスジェラートが盛られており、爽やかな香りを部屋中に漂わせている。
私は遠慮なくシヴァにお願いしてフレジェを取ってもらった。口に入れれば芳醇な苺の香りが広がる。クリームの甘さとラズベリーの酸味が絶妙だ。隣のイザベラも頬が落っこちないか心配なのか、頬に手を添えて喜んでいる。ロミーナは優雅にジェラートを口に入れているが頬が緩んでいるのが分かった。
食事を終える頃、また何か指示をされるのではないかとすこしソワソワしていたが、何事もなく解散となった。
「今日は何も無いんですね?」
「卒業式とパーティが控えてるけど、私が代表者挨拶をするだけで、みんなに手伝ってもらうようなことは無いからね」
念のため帰りがけにアレクサンドに聞いてみると、彼はそう答えた。その返事にほっと安心する。そういえば、卒業パーティがあるんだった。基本的には、学園に通う生徒は全員参加だ。
「あ、そうだ。パートナーは私になるから、後でドレスを贈っておくよ」
「分かりました」
婚約者として事務的な話を済ませて、私は帰宅した。
今回の卒業パーティはなんてことはない。まだゲーム本編開始前なのだから、むしろ何か事件が起きる方がびっくりだ。
卒業パーティが催された大広間は、天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、無数のクリスタルの光を降り注ぎ、息をのむほど華やかだった。集まった上級生や私たちを含めた在校生たちは、普段の制服とは違い豪華なドレスに身を包んでいる。
アレクサンド殿下は、深く落ち着いた濃紺の正装に身を包んでいた。その凛とした姿は遠くからでも目を引く。私は彼が用意してくれた、夜空の色にも似た濃紺のグラデーションのドレスを纏っていた。足元は少し透けており、星のような金の靴が覗いている。私達は決まった挨拶を済ませると、アレクサンドのエスコートでダンスを踊った。
さすがに王妃教育でも淑女クラスでもさんざん練習しただけあって、もう相手の足を踏むことは無い。幼少期にシヴァにダンスを教えてもらったことをふと思い出し、彼に視線を向けた。今日は貴族の従者達とパーティ会場の従者が同じ服装になるように統一されている。シンプルな黒いメイド服に身を包んだシヴァは壁際で他の従者達と同じように控えていた。
本当は、私よりも誰よりも、シヴァはダンスが上手なのに。今は誘うこともできないのが辛い。そんな私の感情を知らないふりをしているのか、目があったシヴァは薄く微笑むだけだった。
「それじゃ、アレクサンド様。次はイザベラを誘って下さいね!」
「随分と圧が強いなぁ」
ダンスを終え、離れる時に小声でアレクサンドに告げると、彼は困ったように苦笑いを浮かべた。それでも、ずっとイザベラを目で追っていたのを私は知っている。
私と離れると一直線にイザベラの下へと向かった。今日のイザベラは淡いエメラルドグリーンのドレスで、大きな白い百合の刺繍が大胆に入ったデザインだ。蜂蜜色の髪を下ろし、いつもよりもきつめにカールを巻いている。肩や胸が大きく露出されていて、寒さ対策のためか白いファーストールに身を包んでいるのが実に優雅だ。
次の曲がはじまり、二人は手を取って踊り始めた。きっちり型にはまったダンスをするイザベラと、同じく型通りのダンスをするアレクサンドは相性が良いのか、並ぶ二人はダンスのお手本のようだ。周囲もその美しさに感嘆している。端でジュースを飲みながらそんな二人を眺めていると、気付けばヤコブがすぐ隣に来ていた。
「卒業式が終わったら、もうすぐ入学式ですね」
「ええ、とうとうゲーム開始よ。ヒロインを見るのが楽しみだわ」
周囲の喧騒で、小声で話す私達の声は聞こえないだろう。
もうすぐ、ゲーム本編が開始する。ゲームのヒロインと最後の攻略対象者。そして、マルグリータが入学してきて、ゲームの登場人物が勢揃いするのだ。ワクワクすると同時に緊張もする。来年、ソプレス王国で大規模な反乱が起こるのがゲーム本編の話。私はそれを解決しなければならない。そうしなければ、私はチャンスを失いアレクサンドと結婚することになる。シヴァと自由に会える生活とはおさらばだ。
「……絶対、婚約解消してみせるんだから。応援してよね?」
「深入りはできませんが、助言くらいなら」
私の覚悟に、ヤコブは柔和な笑顔で返す。気付けば三曲目に入っており、アレクサンドはロミーナと踊っていた。いつものメンバー女性全員と踊れば、イザベラと踊るのも不自然には見られない。なんとも彼らしい立ち振る舞いだ。
そうなると、私もいつものメンバーと踊らなければ不自然だろう。飲み終えたグラスをテーブルに置くと、私はヤコブの方を見た。察したのか、ヤコブは私が差し出した手を取る。そのまま二人でダンスホールに向かい、ダンスに興じる人々の波に混ざっていった。
***
「……えっと、ここで合ってるんだよね?」
王都の中でも中央のきらびやかな地区から少し離れた、落ち着いた場所。通りには質の良い石や、レンガで造られた大きな屋敷が整然と並んでいた。それぞれの建物は無駄な装飾や金箔を排した重厚な佇まいだが、手入れが行き届いた庭木や清潔な窓ガラスから、ここに住まう人々の堅実な富が伝わってくる。
一人の少女が、その一角にある屋敷の前で立ち止まっていた。彼女は大きなボストンバッグを持っていたが、その重みに耐えかねたのか冷たい石畳に置いた。少し擦れたバッグの表面を見つめてから、少女はポケットの奥から折りたたまれた一枚の紙を取り出した。広げられた紙には、慎重に書き写された住所か、あるいは簡潔な地図が描かれているのだろう。彼女はそれを屋敷の門と見比べ、再度確認するように視線を巡らせた。その表情には、期待と、わずかな不安が混じり合っていた。
彼女は艶やかなストロベリーブロンドが似合う、可憐な少女だ。腰まで伸びた長い髪には、白いリボンがついている。生成りのパフスリーブにワインレッドのチェックガラのワンピースと、服装も実に質素だ。小柄で手足は細く長く、その美しさが目を引く少女ではあるのだが、胸のふくらみが全くないことだけが唯一の欠点であろうか。いや、それがまた彼女を幼く愛らしく見せているのか。
彼女はレモン色の瞳を屋敷に向けると、覚悟を決めたようにきゅっと唇を嚙んだ。深呼吸をするとうんと大きく伸びをする。
「よし、行くぞ!」
少女は決意を込めてそう呟くと、再びボストンバッグを手に持った。屋敷の門から玄関までのアプローチは、冬だが手入れされた庭が続いていた。低く刈り込まれた生垣が整然と並び、石畳には枯葉一つ落ちていない。
玄関の重厚な木製の扉の前で立ち止まり、少女はボストンバッグを再び地面に置いた。少し迷うように指先を動かした後、意を決して扉をノックした。コン、コン、コン、と控えめながらもはっきりとした音が静かな住宅街に響く。
しばらくすると、扉の向こうから、床を擦るような低い足音が近づいてきた。そして、ガチャリという音と共に扉が開く。そこには、屋敷を管理しているであろうふくよかな体型の女性が、白いエプロンで手を拭きながら立っていた。
「ああ、貴女……」
女性は少女に心当たりがあるのか、彼女を見て目を見開く。少女は女性に、満面の笑みを向けた。きっちりと背筋を伸ばし、身体の前で手を組み、ぺこりと腰を90度曲げてお辞儀をする。そして元気に名を名乗った。
「メロディー・ルベルゾンです。今日からよろしくお願いします!」

