「明けましておめでとう。そして、ただいま」
新年祭を終えた私は、シヴァと共にアマトリアン辺境伯邸に戻っていた。今回は、わざとロミーナから離れたのだ。きっと夫妻は彼女を呼びつけているはず。その間に騒ぎを起こして夫妻を部屋から追い出し、執事やメイドの目を夫妻に向けて、一人になったロミーナが証拠の書類を手に入れる。そういう作戦だった。
私の客室に戻ると、すでにロミーナが待っていた。作戦中に汚れてしまったのか、別の部屋着に着替えてある。ソファに座った彼女は、大事そうに何かの紙を抱え込んでいた。
「……どうだった?」
コートやマフラーを外し、私も部屋義に着替えよう。シヴァが服を用意するのを待つ間、私は彼女の隣に座った。紙をきつく握りすぎて、ロミーナの手は赤くなっている。
「……や、」
俯いたまま、彼女は震えている。紙を覗こうとした途端、ロミーナは顔を上げた。
「やりましタ! ちゃんとありましたヨ! 書類!」
彼女に押し付けられ、改めて書類を見る。それは要するに裏帳簿と言うやつで、私が渡した公道整備費用をどう誤魔して懐に入れたかが書いてあった。
「こっちも見て下さイ。専門家の要請ですガ、ダミー会社を使っていましタ。ここまであれば、証拠として十分ですよネ?」
念のため、準備を終えたシヴァにも見せてみる。一通り読んだシヴァも、頷いてくれた。
「確かに、これなら証拠になります」
その言葉に私達は飛び上がって喜んだ。一緒に手を取り合い、そのままハグをする。これでロミーナがあの夫妻に良いようにされなくて済むのだ。本当に良かった。
紅茶を持ってくると言い、シヴァは部屋を出ていく。私が部屋着に着替えていると、ロミーナはいつもよりも饒舌に何が起きたのか話してくれた。その表情は明るく、ただのおしゃべり好きな少女にしか見えない。その様子を見て、私は安心した。
あれから二日間、ロミーナはずっと私達と一緒にいた。私のレポートも大詰めで、後は開始された公道整備の様子を確認して終わりとなる。その間、ロミーナはずっと馬車の中でレポートの続きを書いていた。
彼女が忙しいのは、レポートを二種類書いているからだ。1つは私と共に行った公道整備の内容。もう1つが、公道整備に携わった際に見つけた不正と、その証拠。それを訴えた場合に起こるであろう法的手続きなどについてまとめたレポートだ。
明日の夕方にはアマトリアン辺境伯邸に到着し一泊。そのまま王都に帰る予定になっていた。ロミーナはその一晩で、両親と決着を付けようと必死なのだ。私はとにかく邪魔にならないようにと、彼女をできるだけ一人にしてあげた。
***
特に新年祭すらない辺境伯邸は、いつも通り静かだった。身内にお金をかけるよりも、外で見栄を張りたい両親は他人のパーティに出席することの方が多い。もう新年祭も一段落付いたある日の夕方、ロミーナとリリアンナはアマトリアン辺境伯邸に戻っていた。何事もなく夕飯を済ませ、リリアンナは部屋に戻る。部屋着に着替えず、ロミーナは一人で両親のいるであろう寝室に向かった。
ドアをノックすると返事が返って来る。中に入ると、両親は身支度中だった。
「大事なお話がありまス」
ロミーナのいつになく真剣な様子に驚きつつ、顔にパックを貼ったままの夫人はすぐにロミーナから背を向けた。
「何なの? 手短に話して」
煙管を吸っていた父も訝し気にこちらを見ていた。不思議そうにしながらも、メイドは母の髪を梳かし爪の手入れをしている。彼女らを見渡すと、ロミーナはいつもと違う真剣な表情で母を見つめた。
「いいんですカ? 人のいるところで話をしテ」
鏡越しにその表情が見えたのだろう。何かを察した両親は、すぐにメイドを下がらせた。母はパックを外すと父の隣の椅子に座る。やっと話を聞く気になった両親を前に、ロミーナは二つのレポートを掲げて見せた。
正直、今も怖い。すぐにシルヴィアが治療してくれたとはいえ、お腹を蹴られたのだって痛かった。両親が激昂して殴ってくるかもしれない。それでも、何かあればすぐに駆け付けるとリリアンナ達は言ってくれたのだ。同じ階にいるので、大声を出したらすぐに駆け付けると約束してくれている。そんなリリアンナ達の献身が、ロミーナの背を押してくれていた。
「なんだそれは?」
「学園のレポートでしょう? それがどうかしたの?」
不思議そうにしながら、両親はまじまじとレポートを見る。そして、そのタイトルを読んで凍り付いた。
片方は『他貴族との合同で行う公道整備』と至って普通だ。問題はもう1つ。そこには『横領を見つけた際の法的対応』と書かれている。
「選択肢をあげまス。このどちらのレポートヲ、学園に提出して欲しいですカ?」
「い、一体何を書いたんだお前は!?」
心当たりなど山ほどあるのだろう。もはやどれか分からないのだろうが、父は動揺した声を出す。
「……こ、こんなレポートを出したところで、実際に何かなければ点はつかないでしょう? 馬鹿なことはよしなさい、ロミーナ」
母は冷静そうに見えた。一見そう見えるが、その手は布団をきつく握りしめている。
「そうでしょうカ? これをアレクサンド殿下に見せれバ、調査して頂けると思いますガ、それでいいんですネ?」
そう言いながら、ロミーナは『横領を見つけた際の法的対応』というレポートをちらりと見る。そこまで言われると、母も黙った。誤魔化せないと思ったのだろう。父は立ち上がると、そっとロミーナに近付いた。
「な、ロミーナ。落ち着いてくれ。そんなものあっても、お前が生活に困るだけだぞ」
「近づかないで下さイ!」
父の手と視線は、ロミーナのレポートに向いている。何かしようと企んでいることを察知し、ロミーナは魔法を放った。初歩的な雷魔法を父の足元に放っただけだが、それでも十分だ。この両親は、貴族でありながらろくに魔法が使えない。魔法が苦手なロミーナでも、必死に学んで彼らよりは使えるようになっている。絶対に、手を出されそうになっても反撃できると確信した。
「……何が、望みなんだ」
もう説得は無理だと思ったのか、父はロミーナを睨みつけながら言う。その今まで恐怖の対象だった視線を受けて一瞬ひるむが、ロミーナは負けなかった。
「私とステファン様ニ、もう何も手出しをしないで下さイ。婚約の解消や別の縁談などを目論んでいると分かったラ、すぐにこのレポートをアレクサンド殿下にお渡ししまス」
恨めしそうに母もにらんでくるが、父は諦めたような表情で頷いた。
「分かった。お前の言うとおりにしよう」
「貴方!?」
母が抗議しようとするも、父が視線で母を制す。二人の様子を見て、ロミーナはほっと息を吐き、扉へ向かった。両親がそそくさと何か相談しようとしていたが、ロミーナが足を止めたことで二人は動きを止めた。
「……このレポートハ、この後リリアンナ嬢とも協力して管理しまス。明日にはここを出るのデ、破棄をしようとなど思わないことですヨ」
そこまで言われてしまうと、もう何もできない。がっくりと肩を落とす両親を背にして、ロミーナは部屋を出た。
アマトリアン辺境伯邸の長い廊下は、夜の帳が降りたことで照明が控えめに落とされていた。磨き上げられた床は深々と冷え込んでおり、冬の寒さが壁伝いに伝わってくる。ロミーナは、先ほどまでいた両親の寝室の扉から少し離れた場所に立ち尽くしていた。異変を察知し、両親の怒りを買わないために避けているのか、この館にいるはずの使用人たちの気配もなく、周囲には誰もいない。
ゆっくりと、ロミーナはそのまま冷たい床にしゃがみ込んだ。大きくため息を付くと、肺の中の重たい空気を全て吐き出したように感じた。彼女は力一杯握り締めたレポートを見る。その手は、まだ小刻みに震えていた。
あんなに反論したのは、生まれてはじめてだった。両親には逆らえない。そうすればどうなるか分からないと、ずっと耐え続けていた。それが、ようやくここまできて、ロミーナの中には恐怖と安堵と喜びが綯交ぜになっていた。
「……ちゃんト、立たないト」
これからは自分で立ってやっていくしかない。両親と戦いながら、生きていくしか道は無いのだ。それでも、リリアンナやシルヴィア、アレクサンドは味方になってくれる。そのことがロミーナの背を押した。
掛け声をかけて勢いよく立ち上がると、ロミーナはリリアンナのいる客室まで走り出した。ドアを開けると、明かるい光がロミーナを包み込む。部屋の中ではロミーナを待っていたリリアンナとシルヴィアが笑顔で出迎えてくれた。
「お帰りなさい、ロミーナ嬢」
その笑顔は、かつて一緒にいたライハラ連合国の仲間達を思わせた。ここにも自分の居場所はあるのだ。そのことに安心感を覚え、ロミーナも満面の笑みを返す。
「ただいま帰りましタ」
新年祭を終えた私は、シヴァと共にアマトリアン辺境伯邸に戻っていた。今回は、わざとロミーナから離れたのだ。きっと夫妻は彼女を呼びつけているはず。その間に騒ぎを起こして夫妻を部屋から追い出し、執事やメイドの目を夫妻に向けて、一人になったロミーナが証拠の書類を手に入れる。そういう作戦だった。
私の客室に戻ると、すでにロミーナが待っていた。作戦中に汚れてしまったのか、別の部屋着に着替えてある。ソファに座った彼女は、大事そうに何かの紙を抱え込んでいた。
「……どうだった?」
コートやマフラーを外し、私も部屋義に着替えよう。シヴァが服を用意するのを待つ間、私は彼女の隣に座った。紙をきつく握りすぎて、ロミーナの手は赤くなっている。
「……や、」
俯いたまま、彼女は震えている。紙を覗こうとした途端、ロミーナは顔を上げた。
「やりましタ! ちゃんとありましたヨ! 書類!」
彼女に押し付けられ、改めて書類を見る。それは要するに裏帳簿と言うやつで、私が渡した公道整備費用をどう誤魔して懐に入れたかが書いてあった。
「こっちも見て下さイ。専門家の要請ですガ、ダミー会社を使っていましタ。ここまであれば、証拠として十分ですよネ?」
念のため、準備を終えたシヴァにも見せてみる。一通り読んだシヴァも、頷いてくれた。
「確かに、これなら証拠になります」
その言葉に私達は飛び上がって喜んだ。一緒に手を取り合い、そのままハグをする。これでロミーナがあの夫妻に良いようにされなくて済むのだ。本当に良かった。
紅茶を持ってくると言い、シヴァは部屋を出ていく。私が部屋着に着替えていると、ロミーナはいつもよりも饒舌に何が起きたのか話してくれた。その表情は明るく、ただのおしゃべり好きな少女にしか見えない。その様子を見て、私は安心した。
あれから二日間、ロミーナはずっと私達と一緒にいた。私のレポートも大詰めで、後は開始された公道整備の様子を確認して終わりとなる。その間、ロミーナはずっと馬車の中でレポートの続きを書いていた。
彼女が忙しいのは、レポートを二種類書いているからだ。1つは私と共に行った公道整備の内容。もう1つが、公道整備に携わった際に見つけた不正と、その証拠。それを訴えた場合に起こるであろう法的手続きなどについてまとめたレポートだ。
明日の夕方にはアマトリアン辺境伯邸に到着し一泊。そのまま王都に帰る予定になっていた。ロミーナはその一晩で、両親と決着を付けようと必死なのだ。私はとにかく邪魔にならないようにと、彼女をできるだけ一人にしてあげた。
***
特に新年祭すらない辺境伯邸は、いつも通り静かだった。身内にお金をかけるよりも、外で見栄を張りたい両親は他人のパーティに出席することの方が多い。もう新年祭も一段落付いたある日の夕方、ロミーナとリリアンナはアマトリアン辺境伯邸に戻っていた。何事もなく夕飯を済ませ、リリアンナは部屋に戻る。部屋着に着替えず、ロミーナは一人で両親のいるであろう寝室に向かった。
ドアをノックすると返事が返って来る。中に入ると、両親は身支度中だった。
「大事なお話がありまス」
ロミーナのいつになく真剣な様子に驚きつつ、顔にパックを貼ったままの夫人はすぐにロミーナから背を向けた。
「何なの? 手短に話して」
煙管を吸っていた父も訝し気にこちらを見ていた。不思議そうにしながらも、メイドは母の髪を梳かし爪の手入れをしている。彼女らを見渡すと、ロミーナはいつもと違う真剣な表情で母を見つめた。
「いいんですカ? 人のいるところで話をしテ」
鏡越しにその表情が見えたのだろう。何かを察した両親は、すぐにメイドを下がらせた。母はパックを外すと父の隣の椅子に座る。やっと話を聞く気になった両親を前に、ロミーナは二つのレポートを掲げて見せた。
正直、今も怖い。すぐにシルヴィアが治療してくれたとはいえ、お腹を蹴られたのだって痛かった。両親が激昂して殴ってくるかもしれない。それでも、何かあればすぐに駆け付けるとリリアンナ達は言ってくれたのだ。同じ階にいるので、大声を出したらすぐに駆け付けると約束してくれている。そんなリリアンナ達の献身が、ロミーナの背を押してくれていた。
「なんだそれは?」
「学園のレポートでしょう? それがどうかしたの?」
不思議そうにしながら、両親はまじまじとレポートを見る。そして、そのタイトルを読んで凍り付いた。
片方は『他貴族との合同で行う公道整備』と至って普通だ。問題はもう1つ。そこには『横領を見つけた際の法的対応』と書かれている。
「選択肢をあげまス。このどちらのレポートヲ、学園に提出して欲しいですカ?」
「い、一体何を書いたんだお前は!?」
心当たりなど山ほどあるのだろう。もはやどれか分からないのだろうが、父は動揺した声を出す。
「……こ、こんなレポートを出したところで、実際に何かなければ点はつかないでしょう? 馬鹿なことはよしなさい、ロミーナ」
母は冷静そうに見えた。一見そう見えるが、その手は布団をきつく握りしめている。
「そうでしょうカ? これをアレクサンド殿下に見せれバ、調査して頂けると思いますガ、それでいいんですネ?」
そう言いながら、ロミーナは『横領を見つけた際の法的対応』というレポートをちらりと見る。そこまで言われると、母も黙った。誤魔化せないと思ったのだろう。父は立ち上がると、そっとロミーナに近付いた。
「な、ロミーナ。落ち着いてくれ。そんなものあっても、お前が生活に困るだけだぞ」
「近づかないで下さイ!」
父の手と視線は、ロミーナのレポートに向いている。何かしようと企んでいることを察知し、ロミーナは魔法を放った。初歩的な雷魔法を父の足元に放っただけだが、それでも十分だ。この両親は、貴族でありながらろくに魔法が使えない。魔法が苦手なロミーナでも、必死に学んで彼らよりは使えるようになっている。絶対に、手を出されそうになっても反撃できると確信した。
「……何が、望みなんだ」
もう説得は無理だと思ったのか、父はロミーナを睨みつけながら言う。その今まで恐怖の対象だった視線を受けて一瞬ひるむが、ロミーナは負けなかった。
「私とステファン様ニ、もう何も手出しをしないで下さイ。婚約の解消や別の縁談などを目論んでいると分かったラ、すぐにこのレポートをアレクサンド殿下にお渡ししまス」
恨めしそうに母もにらんでくるが、父は諦めたような表情で頷いた。
「分かった。お前の言うとおりにしよう」
「貴方!?」
母が抗議しようとするも、父が視線で母を制す。二人の様子を見て、ロミーナはほっと息を吐き、扉へ向かった。両親がそそくさと何か相談しようとしていたが、ロミーナが足を止めたことで二人は動きを止めた。
「……このレポートハ、この後リリアンナ嬢とも協力して管理しまス。明日にはここを出るのデ、破棄をしようとなど思わないことですヨ」
そこまで言われてしまうと、もう何もできない。がっくりと肩を落とす両親を背にして、ロミーナは部屋を出た。
アマトリアン辺境伯邸の長い廊下は、夜の帳が降りたことで照明が控えめに落とされていた。磨き上げられた床は深々と冷え込んでおり、冬の寒さが壁伝いに伝わってくる。ロミーナは、先ほどまでいた両親の寝室の扉から少し離れた場所に立ち尽くしていた。異変を察知し、両親の怒りを買わないために避けているのか、この館にいるはずの使用人たちの気配もなく、周囲には誰もいない。
ゆっくりと、ロミーナはそのまま冷たい床にしゃがみ込んだ。大きくため息を付くと、肺の中の重たい空気を全て吐き出したように感じた。彼女は力一杯握り締めたレポートを見る。その手は、まだ小刻みに震えていた。
あんなに反論したのは、生まれてはじめてだった。両親には逆らえない。そうすればどうなるか分からないと、ずっと耐え続けていた。それが、ようやくここまできて、ロミーナの中には恐怖と安堵と喜びが綯交ぜになっていた。
「……ちゃんト、立たないト」
これからは自分で立ってやっていくしかない。両親と戦いながら、生きていくしか道は無いのだ。それでも、リリアンナやシルヴィア、アレクサンドは味方になってくれる。そのことがロミーナの背を押した。
掛け声をかけて勢いよく立ち上がると、ロミーナはリリアンナのいる客室まで走り出した。ドアを開けると、明かるい光がロミーナを包み込む。部屋の中ではロミーナを待っていたリリアンナとシルヴィアが笑顔で出迎えてくれた。
「お帰りなさい、ロミーナ嬢」
その笑顔は、かつて一緒にいたライハラ連合国の仲間達を思わせた。ここにも自分の居場所はあるのだ。そのことに安心感を覚え、ロミーナも満面の笑みを返す。
「ただいま帰りましタ」

