道中、私達は礼の小麦を支給した町へ留まり、小麦の今年の収穫量を確認した。しっかり増加しており、これならば来年からは一年食べていける量は十分確保できる。余剰分は隣町ともやり取り可能だろう。それを確認して、私達はアマトリアン辺境伯邸に戻った。
 もうすっかり暗くなった時間帯、馬車は高い塀に囲まれた辺境伯邸の敷地へと入っていく。馬車が砂利の敷かれた入口の所で止まると、屋敷の重厚なシルエットが暗闇の中に浮かび上がった。

「ロミーナ嬢を一人にさせるのは心配ですし、屋敷に着いたら行動を共にしましょう」

 道中、私達はそう約束していた。一人にすれば、きっと辺境伯夫妻はまたロミーナを呼びつけて嫌がらせをしてくる。それを防ぐためだ。
 私達は手を繋ぎ、一緒に私の客室へ向かった。ベッドは広いし、恐らく二人で寝るのに支障はない。部屋に到着すると、シヴァにはロミーナの部屋から荷物を運んでもらう。一部話を聞いてくれそうな使用人がいれば、手伝ってもらうつもりだ。
 シヴァがいないうちに私だけでも部屋義に着替えてしまっていると、ロミーナはソファに座りながら呟く。

「リリアンナ嬢、ありがとうございまス」

「気にしないで下さい。大事なお友達のためですから!」

 元気に返事をすると、ロミーナは笑顔を見せてくれる。そうこうしている内に扉がノックされ、シヴァが顔を出した。箱に綺麗に仕舞われた部屋着をテーブルに置くと、明日の着替えをクローゼットに仕舞ってくれる。
 ロミーナと一緒にいる分、私が動けないためシヴァのやることが多いのは申し訳ない。それでも彼は、自分の仕事だと淡々とこなしてくれていた。ロミーナが着替える頃には、シヴァは素早く部屋を出ていく。次は紅茶の準備をしに行くのだ。

「……リリアンナ嬢ハ、使用人もいるのに着替えは一人でするんですネ? シルヴィア嬢もいるのニ……」

 ロミーナの着替えは私が手伝った。不思議そうにロミーナがそう言うが、あえて返事はしなかった。
 女装しているとはいえ、シヴァはあくまで男性。着替えの手伝いなんて、服を運ぶとか背中のボタンを留めてもらうとかくらいしかしたことがない。現代日本で暮らしていたこともあり、誰かに着替えを手伝ってもらうのに違和感があるので、着替えは基本一人だ。……乳母であるバルバラがいると、無理に手伝ってくるのだが。



 翌朝、朝食のために私達は食堂へ向かった。私のわがままで急に飛び出してしまった上、一晩辺境伯邸を空けていたのだ。夫妻がどのような反応を示すのか予想ができず、少し緊張する。
 食堂の重厚な扉を開けると、ひんやりとした冬の空気が暖炉の熱気と混じり合った独特の匂いが鼻を突いた。窓からは冬の冷たい朝の光が差し込んでいたが、暖炉の火が激しく燃えているにもかかわらず、どこか空間全体が厳かで冷たい印象を受ける。辺境伯夫妻は既にテーブルについており、静かに紅茶を飲んでいた。その静けさが怖い。
 私達に気付いた夫妻が顔を上げる。私は慌ててドレスの裾を摘まむと礼をした。後ろでロミーナも同じく礼をする。

「おはようございます。ロミーナ嬢をお借りしてしまい、申し訳ありません。お陰様で助かりました」

「おはようございます。うちの愚女がお役に立てたなら良かった」

 アマトリアン辺境伯はニコニコと愛想よく笑った。その笑顔は、とても娘を傷つけるような親には見えない。
 二人を刺激しないよう、それ以上何も言わずに席に着いた。ロミーナも隣に座ろうとした途端、夫人が口を開いた。

「そうだ。さっき、あそこの花がしおれていたの。ロミーナ、貴女お花好きでしょう? 手入れしてきてちょうだい」

 明らかに今必要のない指示。明らかな嫌がらせだ。ロミーナは言われた通り、端にある花瓶を見に行く。私も席を立って、ロミーナに続いた。

「モンリーズ嬢? それは娘がしますので……」

「私もお花好きなんです! あ、このお花が少ししおれてないですか?」

 夫人の言葉を制し、笑顔で返事をする。こうして意地でも私はロミーナについて回った。
 夫人のくだらない嫌がらせや大したことの無い用事。それに大人しく従うロミーナと、彼女の後をずっと付いて回る私。繰り返している内に徐々に夫人の顔色が悪くなり、明らかに苛立ちを覚えているのが見て取れた。そんなことを繰り返して十日間。とうとう今年最後の日となった。





 ***





 年越しのパーティというものを、この家ではやらない。いつものことだからと、特にロミーナは気にしていなかった。町で開かれる年越しのお祭りがあると両親はリリアンナに話しており、せっかくだからと彼女は出かけている。
 久しぶりに一人になり、広い屋敷でロミーナは黙々とレポートの制作を進めていた。ここにいるのも後一週間程。王都までは一週間はかかるので、余裕を持って学園が始まる二週間前には出発しなければならない。国内でもそこまで寒くないこの土地は毎年うっすらとしか雪が降らず、ほとんど冬の移動に困ることは無かった。だが、油断はできないので早めに出かけよう。そう思いながら、残りわずかとなったレポートを書き続ける。
 そんな時に、ふとドアがノックされた。

「はイ」

 返事をすると、両親専属のメイドがドアを開けて入ってくる。両親に専属の従者がいても、自分専属の従者などいない。必要のある時に、見かけた人に声を掛けて用事を頼むのが常だ。

「旦那様がお呼びです」

 その言葉に、ようやくだなと思いながらロミーナは立ち上がった。いつものように、どこか怯えた様子を見せながら両親の寝室へ向かう。もう外は暗く、遠くでは祭り会場の明かりが灯っているのが見えた。あそこでリリアンナは一息ついているだろうかと、ロミーナは優しい彼女の姿を思い出していた。

(リリアンナ嬢がくれたチャンス……上手く証拠を見つけないと)

 覚悟を決めて、ドアをノックする。メイドはすぐに下がり、どこかへいなくなった。室内から声が掛けられ、ドアを開ける。いつものように寝間着に着替えた両親がベッドに座っていた。

「お呼びですカ?」

「ああ。確認したいことがあってな」

 何を聞かれるのかは分からない。ロミーナはドキドキする心臓の鼓動を押さえながら、必死に父を見つめた。

「確認とハ、何ですカ?」

「最近、モンリーズ嬢とずっと行動を共にしているようだな」

 予想していた質問に、内心安堵しながらもいつもの怯えた様子を見せた。胸の内を悟られてはいけない。

「一緒に旧ソプレス王国に行っテ、仲良くなりましたのデ。それニ、リリアンナ嬢も長く家族と離れて寂しい様子でしタ」

 決めていた答えを返す。当たり障りのない返答に、一応は納得したのか父は鼻を鳴らした。

「なるほどな」

「余計なことは言ってないでしょうね?」

 父とは対照的に、母はどこまでも自分に厳しい。きつく睨みつけながら言う母に、ロミーナは困ったように俯いた。

「ステファン様のことですカ?……学園のこともありまス。余計なトラブルになるようなことヲ、言えるわけないでス」

 疑うような視線が刺さるが、母も納得したのか視線が外れた。そのことに内心ほっとする。

「それとレポートだ。いつになったら終わるんだ。早く仕上げろと言っただろう?」

「それハ、もう少しでス。後ニ、三日で終わるかト」

 顔を上げて答えると、もう話はないのか父は野良猫を追い出すような仕草で出て行けと命じた。

「失礼致しまス」

 礼をして、踵を返す。その時に、傍にあったサイドテーブルにぶつかった。サイドテーブルにあった花瓶が落ちて割れ、大きな音を立てる。

「きゃあ!」
「何してるんだ!」

 花瓶の水がベッドにまで飛んでいく。服の一部が濡れてしまい、両親は慌てて立ち上がる。感情のままにロミーナへ近づくと、転んで床に倒れている彼女の腹を蹴り上げた。

「これじゃ寝れないぞ! どうしてくれる!」

「ご、ごめんなさイ! 申し訳ありませ……」

「年越しにまで迷惑をかけないで頂戴! もうその顔見たくないわ! 貴方、早く空き部屋へ移りましょう!」

 騒ぎを聞きつけメイド達がやって来る。彼女らは掃除をしようと箒や雑巾を持ってきていたが、それを父は奪い取りロミーナへ投げつけた。頭に雑巾を被り、箒が体に当たる。その姿はなんともみっともない。

「片付けなんぞあいつにやらせろ! それより着替えと別室の用意だ!」

 両親に言われて、メイドはロミーナを置いて走って行く。恐らく空いているのは廊下の端の客間だ。
 あの業突く張りの両親は、寝間着すらも一級品の物を買い、全て別室で大切に保管している。ここに着替えは置いていないので、取りに来るために立ち寄ることもないだろう。これでもう、この部屋に来ることは無い。

(雑巾で顔が隠れていて、本当に良かったわ)

 笑みを浮かべながらロミーナは立ち上がると、そっとドアを閉めた。油断した両親は、ちゃんと片づけをしているかどうかすら確認には来ないだろう。いつも従順に、黙々と指示に従っていたのが功を奏した。
 裏金や裏帳簿などを隠している場所の予想は付いている。全く使っていない、インテリアと化した本棚の下の方はただの戸棚になっている。そこを開けると、思っていた通りの金庫が表れた。
 ロミーナの指がゆっくりと番号を押していく。あの両親ならば、恐らく何種類もの番号を用意しているはずがない。きっと一種類だ。両親の仕事を手伝わされていたロミーナは番号に心当たりがある。

(お願い、開いて……!)