ロミーナに渡した書類には、今回の公道整備についての計画。それに際して割いた予算。また、その予算を使用し現場で適切に使用して欲しい旨と、その管理者としてアマトリアン辺境伯を命じてある証拠が残っていた。指示を出し、契約を交わしたのは三か月前。それなのに全く手を付けられた様子はない。これはあまりに遅すぎる。
 念のため辺境伯に丸投げせず、支援物資を届ける人達に毎回進行具合をチェックさせていて本当に良かった。いくら一つの町が豊かになっても、隣接する他の町や村も豊かにならなければ意味がない。だからまずは公道の整備をしようとしていたのだ。

「アマトリアン辺境伯からは、専門家を呼んで調査するのに時間とお金がかかっていると伺っています。しかし、なんだかおかしい気がして……」

「専門家の要請での予算はこんなに高くないはずでス。失敗したから再度頼んだというのモ、不自然ですネ。調査を失敗したにしてモ、誤った部分だけやり直せば少額で済むものヲ、再び同額をかけてやり直すなんテ」

 ロミーナは何度も予算報告書をめくる。指摘しているのは、私が気になっていた箇所と同じだ。彼女の方が先輩で経験も多い分、専門家の要請金額まで把握していて頼もしい。

「どうですか? ……これで、アマトリアン辺境伯から横領の証拠を手に入れられれば」

「両親を告発するト、こちらが強気に出られル……」

「私のレポートも、公道整備しましたと報告すれば済みますしね。ロミーナ嬢も、不正を暴きましたと報告すれば一石二鳥じゃないですか?」

 ロミーナは書類を握り締めると、不敵に笑う。アプリコット色の瞳がはっきりした意志を持って輝いてる。

「一度でも反撃すれバ、両親の横暴も収められル……この程度だト、告発しても横領金額の返還と同額の賠償金請求のミ。でモ、両親を失脚させられる証拠を手に入れてあると脅しておけバ、私を下手な所に売り飛ばすようなことはできないはズ……隠すとしたら寝室のあの辺りト……書斎なら書棚ノ……」

 細かい事情はよく知らない。それでも、ロミーナは何かを考えているのか忙しなく瞬きをしていた。考え事をする時の癖だろうか。
 しばらく待っていると、考えがまとまったのか急にロミーナは顔を上げた。その顔にはすっかり生気が戻っている。

「リリアンナ嬢、ありがとうございまス! これがあれバ、なんとかなりそうでス」

「それなら良かった。私達も、もちろん協力しますから」

 ロミーナと手を取り合い握手を交わす。早速作戦会議だ。



 今ある道をそのまま進み、とりあえず道の長さを地図と照らし合わせることにした。御者に指示を出して、そのまま真っすぐ道を進んでいく。町を二つ通り過ぎ、旧ソプレス王国の王都の広場に来て道が途絶えた。この頃にはすっかり日が傾いている。
 広場の先には、遠い丘の上に建つ旧ソプレス王国の廃城が薄暮の中に沈んでいるのが見えた。この広場はかつて王都だった名残を感じさせるほど広く、中央には装飾が剥がれた大きな石造りの噴水跡がある。周りを囲む建物は、どれも古い石造りで重厚だが、窓の木枠や扉は真新しいものが使われており生活感と修繕の跡が見て取れた。華やかさはないものの、目に見えて汚れているわけでもなく、地道に管理されているのが分かった。しかし、以前の王都の賑わいからはほど遠く、活気は少ない。多くの人々が集まっているのは、この地域における中心地としての名残を留めているためだろう。

「もう暗くなりますが、どうしましょうか?」

 御者が私たちに声を掛けてくる。シヴァは窓辺に近付くと、御者に声を掛けた。

「このまま右に行くと、管轄の貴族の屋敷があったはずです。まだ人がいればそこに泊まらせてもらいましょう」

 御者は頷き、馬車を動かす。同時に護衛としてついて来ていた兵の1人に先触れを頼んだ。
 馬車は広場から外れ、さらに日が傾き暗くなる中を移動していく。やがて到着した屋敷は、高い塀に囲まれてはいるものの、門扉は錆びつき庭は荒れ果てている。雑草が茂り、手入れされていない木々が暗がりに不気味な影を落としていた。建物自体に人の気配が薄く、誰かが住んでいるのかすら怪しい。しかし、その入り口には、先触れに出かけた兵の馬が留まっていた。

「……これ、本当に人がいるの?」

 心配になって呟くも、信じて待つしかない。しばらくすると、兵のひとりが屋敷のドアを開けてこちらへやって来た。

「元々貴族だった住人がいました。確認すると、ろくな部屋は無いですが寝床程度なら用意できると言っています」

 見れば、奥の部屋の一角に、辛うじて橙色の明かりが灯っている。人が住んでいたようだ。

「分かったわ。私たち三人と護衛の数を伝えておいて」

 指示を出すと兵は礼をして再び屋敷の中に入っていった。アマトリアン辺境伯領と旧ソプレス王国は遠いため、念のためにと食料は持ち込んである。寝床さえ何とかなれば問題ないだろう。
 馬車を荒れた庭の一角に止め、私たちは屋敷の中に入った。広大な玄関ホールは寒々しく、埃っぽい空気が漂っている。天井は高く、豪華だったであろうシャンデリアが煤けたまま吊るされていた。廊下を進むと、広々とした建物の中は人気がなく薄暗い。明かりのついた奥の部屋は食堂になっていた。部屋は質素ではあるが、暖炉に火が入れられており、簡素なテーブルの上には三人分の食事が用意されていた。

「すみません! 質素ですが、それ食べて良いですから!」

 廊下の奥から大きな声が響いた。なんだか野太い男性の声だ。突然のことにびっくりしつつ、言われた通り席に着く。(スープとチーズとパンのみの食事)
 どうしようかと思っていると、シヴァが先に手を伸ばした。一通り食べると、特に問題はないと私達を見て頷く。毒見役を買ってくれたのだろう。安心して私とロミーナも食べ始めた。それを確認するとシヴァは席を立つ。

「家主に挨拶してきます。お嬢様方はごゆっくりどうぞ」

 シヴァが廊下に出てしばらくすると、再び大きな声が響いた。あんな大声は聞いたことがない。毎回びっくりしてしまう。

「おお! 挨拶ありがとうございます! って、いやー、お前か。良かったよかった」

 声が徐々に小さくなる。それでも十分大きい。漏れ聞こえてきてしまう。一体シヴァは誰と話しているんだろうか。

「んで? お嬢様二人な、大丈夫だ! 寝床ならさっきの兵隊さんに手伝い頼んだから。お前は食ったのか?」

 漏れ聞こえる声の調子からして、知り合いなのだろうか。口調が砕けたものに変わっていく。シヴァの声は小さいから、男の声しか聞こえない。

「途中? 何やってんだ! ちゃんと食え! 食わなきゃ、でかくならねぇぞ!」

 追い出されたのか、小走りでシヴァが戻ってくる。その表情は疲れているような、どこか嬉しそうな、複雑なものだ。

「お帰りなさい、シヴァ。えっと……お知り合いか何か?」

「亡き両親の旧友……とでも言うのでしょうか。変な奴ですが、お気になさらず」

 シヴァの過去の知り合いとか、会うのは始めてかもしてない。どんな人だろうか。ちゃんと挨拶できるかな? わが家へ来る前の知り合いと言うことは、彼の幼少期のことを知っているはずだ。シヴァの過去の話とか、ぜひ聞いてみたい。
 私が目を輝かせていることに気付いたのか、シヴァは困ったようにため息をついた。そうか。知り合いだったから、すんなりここへ道案内したんだなと納得する。

 しばらくすると食堂に一人の男が現れた。二メートルは超えるかと言う程背が高く、体格もがっしりしている。顔は髭で覆われており、貴族だったとは言うが、見た目だけならば森で木こりをしていると言われた方がイメージに合う。濃い茶色の直毛がすっかり日焼けした顔を覆い尽くし、そこからやや垂れ目の紫色の目が覗いていた。服装はシンプルなシャツにベスト。質素ではあるが質は良さそうだ。
 席を立ったシヴァが彼の隣へ立つ。シヴァも背が高い方ではあるが、彼と並ぶと子供のようだ。私が並んだら赤ちゃんに見えてしまうかもしれない。隣に座るロミーナも、今まで見たことがないタイプの人間に呆然としていた。

「……家主のヴォルフガング・バルカスです。この旧王都周辺の管理を行っているそうです」

「いやー、お嬢さん方。このような粗末な家で申し訳ありません」

 さすが貴族。見た目に反して礼はしっかりしている。ヴォルフガングの挨拶に、私達も席を立って礼をした。

「リリアンナ・モンリーズです。リヒハイム王国で公爵令嬢をしております。現在のシルヴィアの主人です」

 今は女装しているシヴァのため、女性名を出して説明する。隣のロミーナも優雅に礼をした。

「ロミーナ・アマトリアンでス。同じくリヒハイム王国で辺境伯領を任されていまス。この度は急なご訪問にもかかわらズ、ご対応ありがとうございまス」

「こんな寂れたところ、ろくな客も来ませんで。まあ、ゆっくりしていって下さい」

 私たち二人を見て、ヴォルフガングは豪快に笑った。本当に声が大きい。シヴァもあまり私達と会わせたくなかったのか、困った顔をしていた。