翌日の朝。私はシヴァに頼んで、いつもより二時間早く起こしてもらった。冬の朝はまだ暗く、肌寒い。それでも、ロミーナが今日も早く出かける可能性を考えると、これくらいしか手が無いのだ。
自分一人で簡単な身支度を済ませると、こっそりロミーナの部屋へ向かった。案の定、ろくに朝食も食べずに屋敷を出るつもりらしい。静かに部屋を出る彼女の背中を見つけて、私は駆け寄った。
「おはようございます、今日も早いんですね」
「ふきゃ!」
まさか声を掛けられると思っていなかったのだろう。ロミーナは可愛らしい声を上げて驚く。こちらを見ると、緊張して強張っていた表情が緩むのが分かった。
「……お、驚かさないで下さイ」
呆れて笑っているが、その頬には大きな青あざができていた。
「って、これどうしたんですか⁉」
治りかけなのか、まだらになった紫色が痛々しい。貴族令嬢の顔にこんな大きな怪我をさせるなんて、普通なら懲罰ものだ。昨日は気付かなかったけど、いつの間にこんな怪我を?
そこまで考えて、昨日目深にかぶったボンネットを思い出した。てっきり寒さ対策で付けていたのかと思っていたが、普段ロミーナはボンネットなんて付けていなかった。髪もぼさぼさだったし、髪とボンネットで隠していたのだ。
「いったい誰がこんな事……」
想像してみても、相手はアマトリアン辺境伯夫妻しか思いつかない。あのロミーナへの冷遇を考えたら、手だって上げていてもおかしくない。
色々考えて怖い顔をしていたのだろう。私の手をロミーナはぎゅっと握った。探らないで欲しいと、その目は必死に訴えかけている。
「こ、転んだんでス。寒いかラ、地面が凍っていてそれデ……」
余りの必死さに、私はその場では何も言わなかった。逆に彼女の手を掴んで歩き出す。
「え? あノ??」
戸惑うロミーナを気にせず歩くと、シヴァが準備してくれていた馬車に辿り着いた。早朝のまだ冷たい空気が残る中、馬車は静かに私たちの到着を待っていた。周囲は夜明けの薄い光に包まれ、馬車の車体や金具は朝露に濡れて鈍く光っている。
ドアを開けると、中にロミーナを押し込む。ちょうど良く、朝食を用意してきたシヴァが大きなバスケットを持ってきていた。彼に目配せすると、一緒に乗り込んだ。最後に乗り込んだシヴァは、御者に出発するよう声を掛けるのを忘れなかった。
「あノ、こレ、どこに出発してるんですカ?」
シヴァの存在に慌てて髪で頬の痣を隠しながら、ロミーナは質問した。それもそうだろう。今日もレポート作成のためにと外出するつもりだったようだから。
「昨日は時間が無かったんですが、レポート作成のためにアドバイスして欲しいと思ったんです」
「それならもちろン、力になりますガ……これでは私の予定ガ」
「大丈夫です。ちゃんと手紙は残しましたから!」
そうなのだ。昨夜の内に、アマトリアン辺境伯夫妻とロミーナの馬車の御者やメイド宛に『どうしてもお手伝いが欲しいのでロミーナ嬢と旧ソプレス王国の地域まで出かけます』と書置きを残してあるのだ。昨夜のあんな不穏な状態で、毎日のように早朝から出かけているのを安心して見ていられるわけがない。どうせここで一番地位が高いのは私なのだ。今回ばかりは、公爵令嬢と言う立場を思う存分使わせて頂こう。
「どうせなら怪我が治るまで旧ソプレス王国でゆっくりしちゃいましょうよ」
ロミーナに笑いかけて、私はシヴァが差し出したスコーンをロミーナに手渡した。準備したばかりの物なので、スコーンはまだ温かい。私も自分の分を受け取ると、思いっきり口に入れた。焼きたてのためしっとりしていて、バターの香りが口内に広がる。
私が美味しそうにしているのを見て、ロミーナもスコーンを口に入れた。戸惑いながらも、どんどん食べ進めていく。その内に、彼女のまん丸なアプリコット色の瞳から、ポロポロと涙が零れてきた。何も言わずにハンカチで涙を拭き、シヴァからもらった携帯用の器に入ったスープを私は差し出す。
そのままロミーナは、泣きながら黙々と食事を摂り続けた。
***
朝食を食べ終わると、ロミーナはスカーフをポケットから取り出した。今日はスカーフで隠すつもりだったのか、それを頭に被りつつ頬を隠す。
治癒魔法が使えたら治してあげたい所だけれど、あれはかなりの熟練度が求められる高等技術だ。変装魔法の件で、今後学園で習う魔法について調べたが、治癒魔法は最後の最後に習う。それでも自分の軽い切り傷を治せる程度。そもそも傷を治すには皮下組織についてなどの専門知識が必要なのだ。その上、相手の傷を治すとなると相手の魔力の流れを邪魔せずに魔法をかける必要がある。専門の王宮魔導士団チームにでもならないと、そこまで行える人間はいないという。
私が考え込んでいると、隣でバスケットを片付け終わったシヴァが腰を上げた。
「失礼します、レディー」
手を伸ばしロミーナの頬に当てた。まばゆい光が一瞬手から放たれると、それはすぐに霧散して消える。それと同時に、ロミーナの頬からあの青痣が消え去っていた。
私もロミーナもびっくりだ。いつの間にこんな魔法が使えるようになっていたのか。呆然と彼を見ると、私を見て薄く微笑んだ。
「……モンリーズ家は家臣まですごいんですネ」
ロミーナは驚きながら、目を輝かせてシヴァを見ていた。
「お嬢様のために、日夜精進しております」
何事もなかったかのようにシヴァは礼をする。
「えっと、シヴァはうちの執事長の親戚にあたるので、だから優秀なんです!」
きっと貴族でもないのにこんなに魔法が使えたら不自然だ。私は頑張って弁明すると、ロミーナは納得したのか穏やかに笑ってくれた。彼女はどうやら魔法があまり得意ではないらしく、シヴァのことを羨ましがっている。
馬車内に穏やかな空気が流れたため、私は改めてロミーナに向き直った。
「ロミーナ嬢、何かありましたか? 到着してから、辺境伯夫妻の対応が冷たいってずっと気になってたんです」
「……薄々お察しのことだとは思いますガ、両親はあのように気難しい方なのデ。私のことも、男に生まれなかったから後継ぎになれないと気に入らないんでス」
目的地まではまだ時間がある。ロミーナと私はゆっくり色々なことを話していった。
恐らく何らかの不正に手を出していそうな両親。それに巻き込まれそうになってはいるが、両親に見放されたら生きていく術がないロミーナは従うしかない。婚約者であるステファンにも迷惑はかけられず、一人で板挟みに苦しんでいたようだ。
「このままではいけないと分かってはいますガ、どうしたらいいカ……」
悩むロミーナの姿は学園で見せるしっかりした先輩の姿からはかけ離れていた。本当の彼女は、こんな風に気弱で大人しい女の子なのかもしれない。どうにかしてあげたいが、証拠が無いことには立件も出来ないし、何より夫妻に何かあればその火の粉はロミーナにも飛び掛かるだろう。無茶なことは出来ない。
「元気を出して下さい。私達は一緒に学園生活を送ってきた仲間じゃないですか」
ロミーナの冷たい手を両手で包み込み、笑顔を向ける。彼女はまだ不安そうにしながらも、少しだけ微笑んだ。
「そうだ! 何か夫妻を牽制できそうな証拠を手に入れておいてください。私からアレクサンド様に伝えて、下手なことが出来ないように脅し付けてもらいましょう!」
「アレクサンド殿下ニ……?」
「ええ。私だと何も分かりませんが、ロミーナ嬢相手に油断しているでしょうから、上手くいくはずです。ちょっとした横領とか」
「横領……」
ロミーナは考え込む。そうは言われても、すぐにそれらしいものなど手に入らないだろう。しかし、ちょうど今日彼女に尋ねたかった件がそれなのだ。上手くいけば、この件でアマトリアン夫妻を黙らせることが出来るかもしれない。
馬車が旧ソプレス王国に入った。以前小麦関係でお世話になった町の中は通り過ぎてしまい、大通りを抜けて隣町へと向かう。移動しながら、徐々に馬車は大きく揺れ始めた。魔法で衝撃を吸収している設計とはいえ、それでもここまで揺れるのは珍しい。ちらりと窓の外を見ると、そこは町同士を繋ぐ主要道とは思えないほどひどい状態だった。
道には大きな轍や石がゴロゴロしており、全く整備されていない。雨が降れば泥濘と化すであろう荒れようで、移動する馬車や荷馬車が頻繁に立ち往生する様子が目に浮かぶ。これではろくに通行などできはしない。
「相談したいって言ったのが、ここなんです」
道の途中で馬車を止め、三人で降りる。靴に容赦なく泥がつくが、気にしてはいられなかった。
「ここを整備するっていう指示は、ちゃんとしたはずよね?」
「はい。書類も残っています」
私がシヴァに声を掛けると、彼は準備していた書類を取り出した。それは、アマトリアン辺境伯夫妻に頼んだはずの、公道整備についての書類の写しだ。不安そうにキョロキョロと周囲を見渡すロミーナに、その書類を渡した。
「……これハ、どういうことですカ?」
書類の意味を理解したのか、ロミーナの表情が冷たくなっていく。その真剣な表情は、学園祭で共にあの大量の書類整理をした時の、冷静沈着な時のものだった。
自分一人で簡単な身支度を済ませると、こっそりロミーナの部屋へ向かった。案の定、ろくに朝食も食べずに屋敷を出るつもりらしい。静かに部屋を出る彼女の背中を見つけて、私は駆け寄った。
「おはようございます、今日も早いんですね」
「ふきゃ!」
まさか声を掛けられると思っていなかったのだろう。ロミーナは可愛らしい声を上げて驚く。こちらを見ると、緊張して強張っていた表情が緩むのが分かった。
「……お、驚かさないで下さイ」
呆れて笑っているが、その頬には大きな青あざができていた。
「って、これどうしたんですか⁉」
治りかけなのか、まだらになった紫色が痛々しい。貴族令嬢の顔にこんな大きな怪我をさせるなんて、普通なら懲罰ものだ。昨日は気付かなかったけど、いつの間にこんな怪我を?
そこまで考えて、昨日目深にかぶったボンネットを思い出した。てっきり寒さ対策で付けていたのかと思っていたが、普段ロミーナはボンネットなんて付けていなかった。髪もぼさぼさだったし、髪とボンネットで隠していたのだ。
「いったい誰がこんな事……」
想像してみても、相手はアマトリアン辺境伯夫妻しか思いつかない。あのロミーナへの冷遇を考えたら、手だって上げていてもおかしくない。
色々考えて怖い顔をしていたのだろう。私の手をロミーナはぎゅっと握った。探らないで欲しいと、その目は必死に訴えかけている。
「こ、転んだんでス。寒いかラ、地面が凍っていてそれデ……」
余りの必死さに、私はその場では何も言わなかった。逆に彼女の手を掴んで歩き出す。
「え? あノ??」
戸惑うロミーナを気にせず歩くと、シヴァが準備してくれていた馬車に辿り着いた。早朝のまだ冷たい空気が残る中、馬車は静かに私たちの到着を待っていた。周囲は夜明けの薄い光に包まれ、馬車の車体や金具は朝露に濡れて鈍く光っている。
ドアを開けると、中にロミーナを押し込む。ちょうど良く、朝食を用意してきたシヴァが大きなバスケットを持ってきていた。彼に目配せすると、一緒に乗り込んだ。最後に乗り込んだシヴァは、御者に出発するよう声を掛けるのを忘れなかった。
「あノ、こレ、どこに出発してるんですカ?」
シヴァの存在に慌てて髪で頬の痣を隠しながら、ロミーナは質問した。それもそうだろう。今日もレポート作成のためにと外出するつもりだったようだから。
「昨日は時間が無かったんですが、レポート作成のためにアドバイスして欲しいと思ったんです」
「それならもちろン、力になりますガ……これでは私の予定ガ」
「大丈夫です。ちゃんと手紙は残しましたから!」
そうなのだ。昨夜の内に、アマトリアン辺境伯夫妻とロミーナの馬車の御者やメイド宛に『どうしてもお手伝いが欲しいのでロミーナ嬢と旧ソプレス王国の地域まで出かけます』と書置きを残してあるのだ。昨夜のあんな不穏な状態で、毎日のように早朝から出かけているのを安心して見ていられるわけがない。どうせここで一番地位が高いのは私なのだ。今回ばかりは、公爵令嬢と言う立場を思う存分使わせて頂こう。
「どうせなら怪我が治るまで旧ソプレス王国でゆっくりしちゃいましょうよ」
ロミーナに笑いかけて、私はシヴァが差し出したスコーンをロミーナに手渡した。準備したばかりの物なので、スコーンはまだ温かい。私も自分の分を受け取ると、思いっきり口に入れた。焼きたてのためしっとりしていて、バターの香りが口内に広がる。
私が美味しそうにしているのを見て、ロミーナもスコーンを口に入れた。戸惑いながらも、どんどん食べ進めていく。その内に、彼女のまん丸なアプリコット色の瞳から、ポロポロと涙が零れてきた。何も言わずにハンカチで涙を拭き、シヴァからもらった携帯用の器に入ったスープを私は差し出す。
そのままロミーナは、泣きながら黙々と食事を摂り続けた。
***
朝食を食べ終わると、ロミーナはスカーフをポケットから取り出した。今日はスカーフで隠すつもりだったのか、それを頭に被りつつ頬を隠す。
治癒魔法が使えたら治してあげたい所だけれど、あれはかなりの熟練度が求められる高等技術だ。変装魔法の件で、今後学園で習う魔法について調べたが、治癒魔法は最後の最後に習う。それでも自分の軽い切り傷を治せる程度。そもそも傷を治すには皮下組織についてなどの専門知識が必要なのだ。その上、相手の傷を治すとなると相手の魔力の流れを邪魔せずに魔法をかける必要がある。専門の王宮魔導士団チームにでもならないと、そこまで行える人間はいないという。
私が考え込んでいると、隣でバスケットを片付け終わったシヴァが腰を上げた。
「失礼します、レディー」
手を伸ばしロミーナの頬に当てた。まばゆい光が一瞬手から放たれると、それはすぐに霧散して消える。それと同時に、ロミーナの頬からあの青痣が消え去っていた。
私もロミーナもびっくりだ。いつの間にこんな魔法が使えるようになっていたのか。呆然と彼を見ると、私を見て薄く微笑んだ。
「……モンリーズ家は家臣まですごいんですネ」
ロミーナは驚きながら、目を輝かせてシヴァを見ていた。
「お嬢様のために、日夜精進しております」
何事もなかったかのようにシヴァは礼をする。
「えっと、シヴァはうちの執事長の親戚にあたるので、だから優秀なんです!」
きっと貴族でもないのにこんなに魔法が使えたら不自然だ。私は頑張って弁明すると、ロミーナは納得したのか穏やかに笑ってくれた。彼女はどうやら魔法があまり得意ではないらしく、シヴァのことを羨ましがっている。
馬車内に穏やかな空気が流れたため、私は改めてロミーナに向き直った。
「ロミーナ嬢、何かありましたか? 到着してから、辺境伯夫妻の対応が冷たいってずっと気になってたんです」
「……薄々お察しのことだとは思いますガ、両親はあのように気難しい方なのデ。私のことも、男に生まれなかったから後継ぎになれないと気に入らないんでス」
目的地まではまだ時間がある。ロミーナと私はゆっくり色々なことを話していった。
恐らく何らかの不正に手を出していそうな両親。それに巻き込まれそうになってはいるが、両親に見放されたら生きていく術がないロミーナは従うしかない。婚約者であるステファンにも迷惑はかけられず、一人で板挟みに苦しんでいたようだ。
「このままではいけないと分かってはいますガ、どうしたらいいカ……」
悩むロミーナの姿は学園で見せるしっかりした先輩の姿からはかけ離れていた。本当の彼女は、こんな風に気弱で大人しい女の子なのかもしれない。どうにかしてあげたいが、証拠が無いことには立件も出来ないし、何より夫妻に何かあればその火の粉はロミーナにも飛び掛かるだろう。無茶なことは出来ない。
「元気を出して下さい。私達は一緒に学園生活を送ってきた仲間じゃないですか」
ロミーナの冷たい手を両手で包み込み、笑顔を向ける。彼女はまだ不安そうにしながらも、少しだけ微笑んだ。
「そうだ! 何か夫妻を牽制できそうな証拠を手に入れておいてください。私からアレクサンド様に伝えて、下手なことが出来ないように脅し付けてもらいましょう!」
「アレクサンド殿下ニ……?」
「ええ。私だと何も分かりませんが、ロミーナ嬢相手に油断しているでしょうから、上手くいくはずです。ちょっとした横領とか」
「横領……」
ロミーナは考え込む。そうは言われても、すぐにそれらしいものなど手に入らないだろう。しかし、ちょうど今日彼女に尋ねたかった件がそれなのだ。上手くいけば、この件でアマトリアン夫妻を黙らせることが出来るかもしれない。
馬車が旧ソプレス王国に入った。以前小麦関係でお世話になった町の中は通り過ぎてしまい、大通りを抜けて隣町へと向かう。移動しながら、徐々に馬車は大きく揺れ始めた。魔法で衝撃を吸収している設計とはいえ、それでもここまで揺れるのは珍しい。ちらりと窓の外を見ると、そこは町同士を繋ぐ主要道とは思えないほどひどい状態だった。
道には大きな轍や石がゴロゴロしており、全く整備されていない。雨が降れば泥濘と化すであろう荒れようで、移動する馬車や荷馬車が頻繁に立ち往生する様子が目に浮かぶ。これではろくに通行などできはしない。
「相談したいって言ったのが、ここなんです」
道の途中で馬車を止め、三人で降りる。靴に容赦なく泥がつくが、気にしてはいられなかった。
「ここを整備するっていう指示は、ちゃんとしたはずよね?」
「はい。書類も残っています」
私がシヴァに声を掛けると、彼は準備していた書類を取り出した。それは、アマトリアン辺境伯夫妻に頼んだはずの、公道整備についての書類の写しだ。不安そうにキョロキョロと周囲を見渡すロミーナに、その書類を渡した。
「……これハ、どういうことですカ?」
書類の意味を理解したのか、ロミーナの表情が冷たくなっていく。その真剣な表情は、学園祭で共にあの大量の書類整理をした時の、冷静沈着な時のものだった。

