女装メイドの従者と、婚約破棄された悪役令嬢は、幸せな結末を目指します

 ……失敗したかもしれない。

 そう思ったのは、俺がデザートを買いに行った後だった。 俺がリリーに変装魔法をかけたので、これで正体がバレることは無い。今はただの商人として、一般人としてふるまえる。そのことを喜んでいたのに。彼女が大層な美人であることを、俺はすっかり失念していた。

「そうそう、二学年のクラス展示を見に行きたくて」

「二学年でしたら、ここの通りをまっすぐ行って商店を抜けるんです」

 商店のテントが並ぶ中央広場の隅には、大きな石造りの噴水があり、その周囲には疲れた客が休憩するための木製のベンチがいくつか設置されていた。噴水の水が微かに涼しい音を立てており、周囲の喧騒をわずかに遮断する、ささやかな憩いの場となっていた。
 そのベンチの1つにリリーは座り、俺の帰りを待ってくれていた。リリーは可愛いし、誰もが振り返る美人だ。黒い髪は艶やかで、きっちり編み込まれてアップに纏められている。薔薇の装飾は取ったが、その髪型により綺麗な項がブラウスの裾から覗いていた。肌は日に焼けてはいるが、シミ1つない。顔のパーツの配置は整っており、アーモンド形のピンクの目が瞬きをするたびに長いまつ毛が揺れる。貴族として身に着いた仕草は上品で、美しい外見と相まって服装などでは拒めないほどの魅力を押し出している。

「で、そこの左にあるはずですよ」

 優しく微笑みかける彼女に、道を聞いていた男は下心のある笑みを向ける。周囲にはちらほらと不自然に立ち止まっている男が大勢いる。その視線はたびたび彼女の方へ向いており、狙っているのは明らかだ。 本当に、彼女を休ませている間に買い物に行った俺が馬鹿だった。
 ため息をついて、俺はいちごのジェラートが入ったカップを持ったままリリーへ近づいた。やって来た俺を見て、男は明らかに動揺しているのが分かる。

「あ、あの……」

「俺の恋人に、何か?」

 こいつの首に手をかけたい衝動を抑えて、何とか笑顔を取り繕う。殺気に気付いたのか、周囲にいた男達はあっという間に散っていった。

「あ、いえ……もう、大丈夫です」

 顔を青ざめさせたまま、男は離れていく。

「お気をつけて」

 リリーは何も気づかずに、笑顔で手を振っていた。昔のように、下卑た男相手に怯えた表情を見せないのは良いことだが、これはこれで困る。公爵令嬢という身分と、明らかに貴族という風体が、一般人をどれだけ遠ざけることに成功していたかを俺は痛感した。

「ほら、いちご」

「ありがとう! シヴァも一緒に食べよう」

 そう言われて、ベンチに座った。俺の横で呑気にジェラートを頬張る姿は、素直で愛らしい。すっかり気に入ったのか、嬉しそうに眼を瞬かせている。

「ほら、シヴァも食べてみて。美味しいよ」

 そう言って、ジェラートを差し出してくる。俺はスプーンを掴んで、ジェラートをすくい上げた。そのまま、リリーの口にスプーンを入れる。

「⁉」

 彼女は急なことに驚き、目を見開きながらもじわじわと顔が紅潮していく。本当に、俺の前のこいつは、反応が素直で可愛い。あと面白い。 しばらく観察するもリリーが動かないので、俺はスプーンでジェラートをすくうと今度は自分の口に入れた。冷たさが口内の温度で溶け、いちごの酸味と甘みが直に伝わってくる。

「……うん、美味い」

「シヴァって、シヴァって……」

「うん?」

 リリーの顔に熱が集まっているのが、ブラウス越しでも分かりそうだった。

「なんで自覚無いの……」

 真っ赤な顔をして、涙目で睨むように言われるが、自覚が無いのはお前の方だと言いたい。さっきの男達の数を数えておけばよかった。

「もう無理、かっこよすぎて無理……立場が外れたらこんななの? 甘すぎて無理……!」

 今度は顔を覆って丸まってしまった。本当に、なんでこんなに一々反応が面白いんだろうか。もう一口ジェラートを食べると、顔を覗き込みながら俺は尋ねた。

「ジェラート、食うか? このままだと全部食べるぞ」

「……食べる」

 顔は赤いが、しかめっ面のままがばっと彼女は顔を上げた。ジェラートを差し出すと心底美味しそうに食べている。それを見ながら、俺は左手の小指を擦っていた。手袋の下に、固いものの感触が伝わる。あの日貰った指輪は、ずっと大事に付けていた。この指輪は、願いを叶えるという。心底信じているわけではないが、少しくらいは俺も願ってみたい。

 俺とリリーが結ばれる未来を。

  ただの夢なのは分かっている。それでも、可能性はゼロじゃない。その時が来たら、チャンスは絶対に掴んで見せる。そのためにも、あれ以来俺は、ルネさんと公爵様が用意してくれていた訓練の量を増やした。実はリリーが学園で勉強している最中も、ずっと持ち込んだ本を読んだり、魔法の訓練に励んでいたのだ。

「最後の一口、いる?」

「もらう」

 リリーがスプーンから手を離す前に、彼女の手を取る。彼女にスプーンを持たせたままジェラートをすくい上げると、自分の口に入れた。その様子を、彼女は真っ赤に熟れた顔で見つめていた。ああ、この学園中の奴らに教えてやりたい。

 今、彼女は俺のものなんだと。





***





 一通り食事を終え、私達は再び学園内の探索に移った。実は日程的に、最終日もデートする機会はあるのだ。そのため、今日は広場の商店と自分のクラスを見に行くと、的を絞っていた。 商店を見終えた私は、シヴァと手を繋ぎながら自分のクラスへ向かう。今はイザベラが担当している時間のはずでバレないかが心配だ。だが、彼女だったら大勢の前で暴露はしないだろう。これは変装が上手くいっているかの様子見でもある。
 私のクラスの教室は、カフェのように飾り付けられており、中央の2つの席だけが魔法で宙に浮かぶ趣向が凝らされていた。天井のシャンデリアから注ぐ光が、浮遊するテーブルの上の銀食器にきらめき、幻想的な雰囲気を醸し出している。列はまだ教室のドア付近まで伸びており、客の期待に満ちた熱気が漂っていた。
 その列の最後尾へ、私とシヴァは並んだ。もう終わり頃の時間帯だからか、私が担当していた頃よりも列は短いように見える。一日目の学園祭終了の合図までにはギリギリ間に合うだろう。

「……イザベラ、気付いてなさそうね」

「そうだな」

 他のクラスのメンバーも、私がリリアンナだとは気づいていない様子だった。ちょっと安心して、思い切ってシヴァの腕に抱き着いてみる。周囲からはただのカップルにしか見えないはずだ。ついつい頬が緩んでにやけてしまうのが分かる。そうしていると、私の頭を反対の手でシヴァがポンポンと撫でた。

「幸せだなぁ……」

「そりゃ良かった」

 そっけないように見えて、そっと見上げてみるとシヴァの耳が赤く染まっている。照れているのが分かって、私の胸に愛しさがこみあげてきた。

「待っている間、何しよっか? しりとり?」

「なんだそれ」

「前の人が言った、単語の最後の文字を取ってね。それで、次の人が単語を考えるの。りんご、ごりら、ラッパ……って。最後が”ん”になったら負けね」

 どうやらシヴァはこういう遊びをしたことが無いらしい。まあ、幼少期に外に出ていなかった私も、この世界にしりとりなんて遊びがあるか分からない。

「じゃ、私からね。しりとりの”り”……”リリアンナ”」

 シヴァは呆れたような、それでいて愛おしそうな顔をした。

「自分の名前もアリなのか」

「いいのいいの」

 シヴァは少し考え込むように顎に手を当てた。

「ナイフ」

「フォーク」

「クッキー」

「食べることに関するものばっかり」

 つい、くすくすと笑ってしまう。他愛無い会話が、とても幸せで。このままシヴァの体温を感じて、2人でゆっくり会話をしていたかった。



 とうとう次が私達の番だ。時間的に最後から三番目の客になるらしい。時間制限的に無理なので、申し訳ないがと、それ以降の客は帰していた。ギリギリ間に合ったようで、ほっと胸を撫で下ろす。 待っている間に、渡されたメニュー表に目を通す。
 メニュー表には、紅茶が「アールグレイ」「ダージリン」「オレンジ・ペコー」「アッサム」などと共に、魔力で育てた珍しい花茶が並び、スイーツには「黄金桃のタルト」「ベリーとクリームのミルフィーユ」「月の雫のチーズケーキ」「スパイス香るアップルパイ」といった、高級そうな名前が並んでいた。
 効率を考えて、待ち時間に注文するというやり方はイザベラのアイデアだ。確かに、これなら席に座ってからメニューを考えるという無駄な時間が省ける。

「私はオレンジ・ペコーと月の雫のチーズケーキ」

「じゃ、俺もオレンジ・ペコーで黄金桃のタルト」

 店員はメモを取ると、私達に番号札を渡して、厨房のある方向へ向かった。さすが料理にはプロを雇用した甲斐がある。手際よくスイーツを作る姿を見ているだけでも楽しめた。
 そうこうしている内に順番が来て、席へ案内される。魔法をかけている生徒達を見ると、イザベラがいるのが見えた。やはり、私には気づいていないようだ。私の椅子を浮かす担当が彼女のようで、なんだか嬉しくてこそばゆくなる。
 注文した品が届き、店員が席から離れるとテーブルがゆっくり浮いていく。少し間を空けて、私とシヴァも椅子ごと浮いていた。

「きゃっ」

 びっくりして声が出てしまう。左右に手すりのある椅子で本当に良かった。手すりにしがみつきながら、慣れない浮遊感に耐える。2メートルほど浮いたところで動きは止まり、安定感が出てきた。

「本当に浮いてる……!」

「これは凄いな」

「ええ!」

 この世界では、空を飛ぶ魔法はまだ一般的ではない。本当に腕の立つ、王宮魔導士の中でも数えるほどの人間しか、成功できないものとされている。物を浮かせるにしても、貴族や王族ほどの魔力量が無いと人間の体重は支えられない。だから、一般人がこうして宙に浮くような機会はまずないのだ。自分で考えたこととはいえ、これはお客さんも楽しいはずだ。

「……どうだ? 自分が企画した店は」

「最高!」

 足をぶらつかせながら、注文したオレンジ・ペコーを一口飲む。口に入れたチーズケーキは、口溶けが良く、爽やかな酸味と濃厚なミルクの風味が広がる。その名の通り、まるで月の光を集めたように滑らかな舌触りだった。
 シヴァも美味しそうにタルトを食べている。宙に浮いているので、私達の会話は周囲には聞こえにくいだろう。ほとんど二人きりのような、幸せな時間だった。