女装メイドの従者と、婚約破棄された悪役令嬢は、幸せな結末を目指します

 一通りのチェックが終わり、後は最終確認をするのみになった。再びみんなで会議室に集まる。
 会議室の長机の上は、先ほどの混沌が嘘のようにきれいに片付けられていた。残っているのは、数枚の最終書類と、全員分の飲みかけの紅茶だけだ。皆、張り詰めていた気が緩んだのか、疲労の色を見せている。ロミーナは深く息を吐き、アレクサンドは額を押さえていた。

「……これで、最後ですね。全てのチェック終わりました」

 ヤコブの声と共に、緊張感が一気に薄れる。各々がそれぞれ、自由気ままに大きく体を動かした。

「うん、これで明日の本番を待つのみだ。ありがとう、お疲れ様」

「明日も一度集まるんだっけ?」

「ああ。開会式の宣言を校内放送でやるからね。当日のスケジュールも確認したいし」

 レオナルドの問いにアレクサンドが答えた。各々席を立ち、部屋を出ていく。帰り支度を済ませると、私はヤコブの後を追った。今日はシヴァに馬車で合流するようお願いしてあるのだ。だから、そこまで私は一人になる。



 夕暮れとなり、既に生徒達は帰宅していて、誰もいない廊下は静まり返っていた。窓からは橙色に染まった空の光が差し込み、廊下の床を長く照らしている。このひっそりとした雰囲気が、秘密の話をするのにちょうど良かった。

「ヤコブ」

 小声で話しかけ、周囲から見て何気ないように見せる。今日の作戦が上手くいった労いをしたいのだ。私たち二人しか知らない作戦だ。

「リリアンナ嬢」

「今日はありがとう」

「……まあ、あれくらいなら良いですよ」

 今日、イザベラとアレクサンドをペアにさせるために一芝居打ってもらったのだ。実は学園祭のペア担当も、一回だけ二人がペアになるようにしてある。何かが起こればいいという期待と、何も起こらなければアレクサンドにその気がないと判断する材料のためにも。

「それに、イザベラ嬢のためでもありますからね。これで何事も無ければ、学園祭後に王妃教育への参加をやめさせて、お見合いをセッティングしてあげる。そう言われたら、断れませんよ」

「あはは……」

 ヤコブとしては、アレクサンドとくっつけさせるよりもイザベラが早く相手を見つけることが先決らしい。シヴァに調べてもらって、二学年目には他国の人とのお見合い(ほぼ確定)をさせるよう、イザベラの両親も動いていることは分かっている。もう、今しかチャンスが無いのだ。
 ヤコブは二人をくっつけるのは無理だろうと思っているようだが、私はそうは思わない。何度もシヴァを目当てに、アレクサンドの攻略はしてきたのだ。彼がどんな相手が好みなのかは知っているつもりだ。
 ゲーム内でアレクサンドは、完璧で優しい王子様を演じ続けていた。そんな中、好感度が上がった状態で「私だけには素顔を見せて下さい」と語りかけるヒロインに落ちてしまうのだ。ちなみに、そのイベントは学園祭で起こる。今まで何度もイザベラとは接触させてきた。彼女の優秀さも、利発さも見せつけた。ゲームで言うステータスなら、十分足りているはずなのだ。

「私は、あと一息だと思うんだけどなぁ」

「あのイベントは、ヒロインが心の内をさらけ出し、本心からアレクサンド様を心配していることを見せてようやく成立するんですよ。イザベラ嬢がそんな会話をしてくれるかどうかすら、分からないのに……」

 ヤコブが呆れた表情を見せる。確かに、これは一種の賭けに近い。

「それでも、よ。イザベラは大事な友人だから、幸せになってもらいたいもの」

「アレクサンド様は?」

「もちろん。イザベラって、良い王妃になりそうじゃない?」

「まあ、元々優秀な女性ではありましたけどね……彼としても、相手が王妃の器に相応しければ、それでいいと思っていそうですし」

「もう! ロマンが無い!」

「男の自分にそれを求められましても……」

 乙女ゲーム制作陣の一人が何を言うか。唇を尖らせて睨みつけると、ヤコブは困ったように笑っていた。そうこうしている内に、馬車まで着く。
 玄関ホールの向こうには、モンリーズ家の紋章を付けた馬車が停車し、その横にシヴァが立っている。彼の姿は夕闇に溶けかけていたが、綺麗な空色の瞳がこちらを向いていることは分かった。

「それじゃ、ここまで。また明日ね」

「ええ。また明日」

 手を振って別れる。シヴァの下へ行くと、彼は少し拗ねたような表情をしていた。

「お疲れ様でした。お嬢様」

「……あの、別に彼とは何もないからね?」

 そう言っても、彼は返事をしない。つんとそっぽを向く仕草が、何とも愛らしかった。





***





 今日は学園祭当日。天気は快晴で、開会式前ということもあり程よい緊張感が学園内を包んでいる。
 私達は少し早めに会議室に集合していた。今日のためにとバルバラが気合を入れて髪をセットしてくれている。薄紫の髪は珍しくアップにされていて、綺麗な編み込みがされていた。金でできたバラの髪飾りまでついている。
 ロミーナも気合が入っており、長くフワフワの赤茶色の髪をハーフアップにしてある。編み込まれた白いリボンが頬をかすめるように揺れている。伏し目がちに佇む姿はどことなく色気を漂わせていた。
 イザベラは髪を下ろしており、サイドの髪だけを結んでいるいわゆるハーフツインテールという髪型だった。幼く可愛らしい印象に思える髪型だが、意外にもきつめのイザベラの顔が抑えられて可愛く見える。蜂蜜色の髪に深紅のアクセサリーと黒いリボンが映えていた。
 時間が来るまで、私たち運営メンバーは会議室で和やかに雑談していた。仕事はほとんど片付いており、皆の顔に期待と興奮が浮かんでいる。部屋の奥には、放送用の機材が静かに置かれていた。

 とうとう時間が来た。設置されていた開会式宣誓のための放送用マイクをアレクサンドが掴む。彼の合図に合わせてヤコブが機材を動かすと、放送を知らせる音楽が流れた。

「今日は、ついに学園祭の本番がやって来ました。天気も良く、絶好のイベント日和です」

 アレクサンドはマイクを軽く持ち替え、静かに息を吸い込んだ。その声は全校生徒に届くよう、厳かな響きを帯びる。

「学園祭は、日頃の勉学の成果を披露する場であると同時に、親睦を深め、将来の協力関係を築くための重要な機会です。全ての生徒が、貴族としての矜持と、未来への希望を持って、この三日間を充実させることを望みます」

 彼の言葉は、学園内の緊張感を一段と高め、生徒たちの心に響き渡った。

「それでは、みんな。学園祭を思う存分楽もう!」

 彼の言葉に合わせて、学園中で拍手が鳴り響く。その音を聞いて、とうとう始まったんだというワクワクと興奮が私の中に訪れていた。武者震いしそうになるのを抑え、周囲を見るとみんな嬉しそうなすがすがしい表情をしていた。



 もう打ち合わせは終わっているので、各々が挨拶をして部屋を出る。最初にここで控えておくのは私とアレクサンドだ。
 広かった会議室にぽつんと二人取り残される中、部屋は途端に広々と、寂しく感じられた。長机の上には飲み干したカップが並び、役目を終えた後の静けさが満ちている。
 トントン、とドアがノックされる。早速何かあったかと構えているとやってきたのはシヴァだった。いつものメイド服に身を包み、紅茶や茶菓子を用意したカートを引いてくる。不要になった茶器を片付け、席に座った私達に紅茶を入れて机に置いてくれた。
 紅茶を一口飲んで気持ちを落ち着かせると、アレクサンドの方を見る。彼はいつもと何一つ変わりない様子だった。

「……えっと、昨日はどうでしたか?」

 沈黙に耐え切れず、というのもあるが聞きたかった質問を口に出す。

「イザベラ、三学年に行って緊張していませんでした?」

「ああ、そのことか」

「さすが、一学年目でヤコブに次いで二位の成績なだけあるよ。優秀だった」

「そ、そうですか……」

 あまりにいつも通りの様子に、これは脈が無いんだろうな……と察してしまう。いやいや、でもまだ初日だし! 始まったばかりだし! 何かチャンスはあるはずだと頭を振って考えを整理する。

「何やら画策しているようだけど」

 私が沈黙したことで、会話の主導権がアレクサンドに移行してしまったらしい。聡い彼には私があれこれしようとしていることはお見通しのようだ。バレてしまっていたことに、緊張で心臓がバクバクと音を立てる。

「我が婚約者殿は一体何がしたいのかな?」

 アレクサンドは身を乗り出し、薄い唇の端を吊り上げて見せた。 美しすぎる満面の笑みで見つめられると、口が緩んでしまう。キラキラが似合う王子様なんてズルすぎる。

「……べ、別に何もないですよ?」

「本当に? 誓って?」

 アレクサンドの顔が更に近づく。その空色の瞳は真っ直ぐ私を射抜き、まるで嘘を見抜こうとしているようだった。

「……あ、アレクサンド様だって」

 私はその圧力に耐えきれず、衝動的に話題をそらした。声はほとんど裏返っていた。

「結局、好きな人とかはできたんですか?」

 滅茶苦茶なことを言っている自覚はあった。何だこの会話になっていない返事は。そう思いながらもちらりとアレクサンドを見ると、彼はぽかんとした表情をしていた。

「……もしかして、昔言ってた私に好きな人ができたらって話? まだしてたの?」

「もちろんです!」

 私の勢いにアレクサンドは頭を抱えてため息をついた。後ろで控えているシヴァまでため息をつきそうになっている雰囲気が伝わる。幼い頃の話を、こんな大きくなってまでまだ叫んでいるとは。しかも、それを婚約者である本人に言ってしまうとは思っていなかったのだろう。

「別にいないよ」

 アレクサンドの表情は一瞬で真顔に戻り、瞳には職務への強い決意が宿っていた。

「作るつもりもないしね。そんなことで、次期国王としての仕事に支障が出ると困るから」

 その言葉は、どこか諦めと職責の重さを滲ませていた。彼は視線を落とし、無関心であるかのように紅茶を啜った。
 そうですよねー……うん、分かってはいた。 こう言われるなんてことは。
 気まずくて紅茶を一気に飲み干す。そうしていると、ドアがノックされた。入ってきたのは先生と小さな男の子だ。

「迷子らしくて……放送をお願いできますか?」

 アレクサンドはすぐに席を立ち、男の子の目線に合わせてしゃがみ込む。男の子は先生と手を繋ぎながら、急に現れた彼にびっくりしていた。

「こんにちは。お父さんかお母さんは?」

 私は慌てて機材の準備に取り掛かる。男の子と笑顔で話すアレクサンドの姿は、どこまでも優しく品行方正な王子様の姿だった。