さっそく私は変装魔法について学び始めた。
 しかし、どうやら習うのは二学年だった上、応用が必要なのでそう簡単にはいかない。この魔法は魔力量よりも精度が大事なようだ。家で何度か練習してみたものの、学園祭に間に合いそうにはなかった。

「む、難しい……光魔法で体全体を覆うのは分かるけど、その変質させる方向性を一定にするのがなぁ……」

「何が難しいって?」

「シヴァ!?」

 私室でこっそり練習中、音もなく部屋に入ってきていたシヴァに様子を見られていたようだ。今の私は不格好な変装魔法のせいで、髪は黒と赤のマーブル模様。肌の色も一部青くなっていて、何ともみっともない。恥ずかしくなって、慌てて魔法を解除した。

「こっそり入ってくるなんて珍しい……」

「最近、何かこそこそしてるようだったから。何してんのかなーと」

 ここは私の部屋。壁には淡い薔薇柄のタペストリーが飾られ、部屋の隅には練習用の姿見が置かれている。シヴァは扉に軽く寄りかかって立っており、いつもの黒い手袋をはめたまま、空色の瞳で私を観察していた。

「で、それは」

「変装魔法」

 私は意を決して、恥ずかしさを押し殺しながら目的を伝えた。

「ど、どこかの時間で……シヴァと一緒に学園祭回りたくて」

 照れながら呟く私の告白に、シヴァは少し驚いたように目を見開いた。

「簡単な変装だと見破られそうだし、一番は魔法がいいかなって思ったんだけど難しくて……」

 足音を立ててシヴァが私の方へ近づく。それを私は、恥ずかしくて直視できなかった。
 ぽん、と頭にシヴァの手が置かれる。温かな感触と共に、一気にシヴァの魔力が私を包み込むのが分かった。驚いて彼を見てみると、何事もなかったような顔をしている。

「これでどうだ?」

 ちらりと見ると、肌の色が少し日に焼けている。髪の色は日本人だった時を思い出させる漆黒だ。
 慌てて私は鏡へ向かった。そこには、真っ黒な髪にピンク色の目の美少女が立っていた。服装まで魔法で変えられており、シンプルなワンピースを着ている。どう見ても商人の娘にしか見えない。
 すぐにシヴァを振り返ると、心なしかドヤ顔していた。満足のいく出来だったのか、その仕草は可愛い。

「シヴァ! 凄い! ありがとう!」

 飛び上がって私は彼に抱き着いた。だって、こんな繊細で大変な魔法をあっさりやってしまえるのだ。本当にシヴァは凄い。

「いつの間にこんな魔法覚えたの⁉」

「昨年くらいの訓練の時に……ルネさんも、正体をごまかすのにちょうどいいからって」

 そういえば、シヴァは誰かから逃げているんだっけ。確かに、見つからないようにするにはこんなうってつけの魔法はない。

「まさかこんなことに使うとはな……」

「そういえば、なんでこの見た目なの?」

 特に指定しなかったが、黒髪にピンクの目だなんて……シヴァってこんな女の子が好みなの? そう想像してしまい、モヤモヤした感情が溢れてくる。
 シヴァは私の頭から手を離し、質問に答えた。

「こういう色にしたいのかと思って。さっき、黒と赤だっただろ?」

「ああ、そっか」

 少しがっかりしたような、安堵したような複雑な気持ちになる。

「じゃ、シヴァはどんな女の子が好み? 黒髪? 茶髪? 髪は長い方が良い?」

「淡い髪の色に、薔薇色の目がいい」

「え?」

 まっすぐ私の方を見て言うシヴァの言葉は、どう考えても私のことだった。嬉しいと同時に照れてしまい、一気に顔が熱くなる。

「別に、いつも通りのリリーでいいよ」

「そ、そう……」

 顔が熱い。さらっとこういうことを言ってくるのだから、シヴァはズルい。恨めしそうに彼を睨みつけると、口の端で笑いながら再び私の頭に手を置いた。それと同時に、一瞬で魔法が解除される。

「うん、やっぱりこの方がいいな」

「私をからかってるでしょ⁉」

 シヴァは私の頭を軽く叩くと、悪戯っぽい笑みを浮かべたまま静かに部屋のドアへと向かう。私は顔の熱を冷まそうと両手で頬を覆いながら、その広い背中を見送った。ドアが閉まり再び静かになった部屋で、私は心臓の高鳴りを必死に抑えつけていた。





***






 長期休暇も終わり、いつもの日常が帰ってきた。とはいえ、学園祭を控えているので授業は半日のみ。残りは学園祭の準備に当てられている。

 各クラスは決められた予算が割り当てられている。その予算内で、何を運営し、周囲とどう協力していくのか。この学園祭では、それが問われている。自分の家の伝手を辿って、安く素材を仕入れるのも良いし、その分職人や従業員を雇ってしまうのもアリ。潤沢ではない予算は、どこかは削らなければやっていけない状態になっていて、金額設定は至って妥当だ。
 その予算で運営し、いかに金額を増やせるか。領地運営や企画作り、イベント設営。それらの経験を養い、貴族としての手腕を見せつける。それが、学園祭のメイン目標だ。そこに、どこのクラスのものが良かったか、面白かったかと言う一般客のアンケートやコメントが反映される。勉学の面を見せながらも、楽しくやりたいという趣旨を忘れてはいない。

 そんな学園祭での私達の一番の仕事は、予算運営に不備がないかを逐一目を通してチェックしていくことだ。自分のクラスの運営にも目をかけ、大量の書類に目を配らなければならないので目が回るほど忙しい。通常クラスどころか騎士、文官、淑女のクラスもそれぞれ何かを運営する。それにも目を通す必要があるのだ。

「も、もう限界……目が痛い……」

 さすがに二時間以上もぶっ通しで書類とにらめっこしていれば疲れる。私は机に突っ伏して目を閉じた。机の冷たさが、熱した頭を冷ましてくれて気持ちが良い。

「お疲れ様。少し休憩を入れようか?」

 アレクサンドの言葉に、皆は一斉に手を止めた。
 私達が使わせてもらっているのは、職員室横の会議室だ。大きなオーク材の長机が二つ並べられ、上には山積みになった書類が混沌を生み出している。部屋の隅には黒い真鍮のストーブが置かれ、時折、ヤコブがそれを気にしている。普段は特に誰も使わないこの会議室も、今ばかりは複数の生徒たちの緊張した溜息や、ペンを走らせる音、そして紙をめくる音で慌ただしい執務室のようになっている。書類の山に顔を埋めていたいつものメンバーは、皆疲労の色を隠せないでいた。

「三学年が二クラスも劇を希望だってさ」

「最近、流行っている劇がありますかラ。令嬢が多いクラスハ、そうなってしまうんでしょうネ」

 体を伸ばしながら呟くレオナルドに対し、ロミーナはため息をつくようにそう答えた。

「役者はご自分たちで? それとも、誰かを雇うのでしょうか?」

「役者を雇ったら、予算がなくなって舞台すら作れなさそうですが……」

 イザベラの疑問にヤコブが答える。女性陣の熱気で舞台をするにしても、完璧な役者を揃えれば済むわけではない。どうするのかは本当に疑問だが、見てみたくはある。
 各クラスの教室と場所は決まっている。その中をいかに改装するのかが大切だ。もともと机やいすはあるので、カフェにしてしまうのが一般的だが、それでは面白みに欠けるし、差別化する工夫が必要。かといって、ちょっと変えて舞台にしてしまうと予算が大幅にかかる。なんとも難しい選択だ。

「レオナルドのクラスは何をするんだい?」

「無難にカフェですね。魔法が得意な者が多かったので、魔法での演出を取り入れてみようかと」

「デザートや軽食のために、プロの料理人を雇うんです。宙に浮くテーブルや椅子なども企画にあり、安全配慮のため王宮魔導士を一人呼ぶつもりです。予算はそこで尽きてしまうので、従業員は自分たちでするしかありませんね」

 レオナルドの説明にヤコブが補足を入れてくれる。宙に浮くテーブルや椅子は、私のアイデアだ。どうせ魔法を使うならやってみたいと意見を言うと、案外すんなり通ってしまった。兄弟がいる生徒曰く、どうやら過去そういった催しをしているカフェは無かったらしい。それをメインコンセプトにするのに、反対意見はなかった。公爵令嬢と言う身分を使ってしまったような気もするが、気にしないでおく。
 物を浮かせる魔法をテーブルや椅子に付与するのだが、生徒によっては魔法が不安定になるかもしれない。そのため席は二人掛けの席が二つしか用意できない上、一つの物を複数人の魔法で持ち上げる。それで魔法が安定することは確認済みだが、安全確保のための王宮魔導士はかかせない。さすがに事件は起こしたくないものだ。

「給仕服は私の家の物を借りる予定ですの。うちは新しい給仕服ができたら、すぐに昔の物を売ってしまうのでそれを借りるくらいなら構いませんわ」

 魔法が苦手な者は給仕係に回ってもらう。その時の服は、流行のたびに従者の服を総とっかえするイザベラに頼んだ。おかげでなんとか予算内に間に合いそうだ。

「アレクサンド様達のクラスは何を?」

 私の言葉に、ロミーナが口を開いた。

「確カ、商店を開くはずでス」

「昨年の殿下の忙しさを加味して、我々はほとんどクラス運営には関与していません。商店を小売業者にやらせてしまえば、手間も予算もほとんどかかりませんから」

「何なラ、場所代を請求する程度で済みますシ」

 なるほど。さすが昨年この忙しさを捌いてきた先輩たちだ。大きな苦労はせずに、それらしく運営はして、尚且つ場所代として安定したお金は入ってくる。貴族の学園で商売をできるなんて、商人なら誰もが食いついてくるだろう。楽しさや面白みと言うのには欠けているが、よく考えられていた。

「無難すぎて、つまんなそー」

 そんなレオナルドの呟きが聞こえて、私は慌てて机の下から彼の足の脛を蹴飛ばした。