女装メイドの従者と、婚約破棄された悪役令嬢は、幸せな結末を目指します

 翌日の天気は快晴。眩しいほどの太陽が、学園で一番大きい中庭を照らしつけていた。
 アレクサンドから集まるよう指定された中庭は、中央の芝生が朝露を吸って生き生きとした深い緑を広げていた。芝生を囲うように植えられた木々の葉が、風にさやさやと揺れる。学園の石造りの建物に囲まれたその場所は、まるで都会の中の秘密のオアシスのようだった。中央には鮮やかなチェック柄のピクニックシートが敷かれ、端には既に白いリネンの被せられたランチボックスや、陽光を受けて輝く銀のティーセットの置かれたカートが準備されていた。

「私の軽い提案にここまでして下さりありがとうございます」

「たまにはこういうのも良いかと思ってね。今日だけはこの中庭は貸し切ったから、不躾に見てくる人もいないはずだよ」

 アレクサンドは太陽のように温かい笑みを浮かべて答える。周囲を囲う建物の二階や三階の窓から微かな視線を感じることもあるが、遠いので気にしないようにしよう。いくら注意されていても、学園内の権力者たちが一堂に会する様子は気になるに決まっている。ちょっとくらい見てしまうのもしょうがない。実際、集められた面々は誰も彼も美男美女。権力関係が無くても、一枚絵になっていたら欲しい人が出てもおかしくない。実際、ゲームのファンだった私も見てみたい。
 そんなことを考えて立っていた私の隣で、イザベラが淑女らしくお辞儀をした。今日の趣旨に合うように、髪型は三つ編みにリボンのみと素朴にしている。その控えめな姿は、いつも教室で見せる華美なファッションリーダーのそれとは別人のようだ。

「お呼び頂きありがとうございます」

「大事な婚約者の友人だからね。ぜひ、また話がしたいと思っていたんだ」

 アレクサンドの優しい笑みに、イザベラははにかみながらも笑みを返す。少し慣れたのか落ち着いてはいるせいか、どちらかと言うと派手目な綺麗系美人のはずのイザベラが可愛く見える。恋する乙女というのは偉大だ。

「どこに座ってもいいんですか?」

 確認しながら元気にレオナルドはシートの中央付近にどっかりと座り、ヤコブは「靴を脱ぐのもあれなので」と、カートのある近くに足をシートから出す形で座っている。従者達が控えているとはいえ、この場で圧倒的に低位な彼としては、すぐに動けるようにしておきたいのだろう。
 ロミーナもステファンも隣り合って、ヤコブとは反対の端の方に座る。中央はレオナルドとアレクサンドが座っていた。私はアレクサンドの隣の広く空いたスペースに腰を下ろす。反対隣りにイザベラが座った。
 シヴァたち使用人から配られたランチボックスを早速開けてみる。思えば、この世界でお弁当を食べるのは始めてだ。わくわくしながら蓋を開けると、焼きたてのハーブチキンと、色鮮やかな野菜を挟んだサンドイッチが綺麗な三角形にカットされて詰められている。色どりのためか周囲にはみずみずしいレタスとトマトがあり、端っこにはデザート用なのかいちごが添えられていた。バターの芳醇な香りとハーブの爽やかな香りが立ち昇り、良い香りだ。
 持っていても熱くならないよう魔法がかけられた専用のカップにはシンプルなじゃがいものスープが注がれ、ランチボックスとは別に配られる。まさに至れり尽くせりだ。

「提案ありがとう。たまにはこういうのも良いものだね」

 スープを飲みながら、アレクサンドが穏やかに言った。

「いいえ、私ではなくイザベラの話がもとですわ。たまにこうして外で食べていたそうで」

「まさか、こんなに豪勢なものではありませんわ」

 話を振られてイザベラは照れたように笑う。

「別に食堂に不満があるとかではなくて、私が外を好きなんです。ほら、太陽の光を目いっぱい浴びれて、気持ちが良いでしょう?」

 イザベラの視線に合わせて、私も空を見る。雲一つない深く澄んだ青空が、頭上にどこまでも広がっている。芝生を撫でる柔らかな風が吹き抜け、木々の葉が心地よい音を立てていた。

「屋敷の中ばかりですと、息が詰まりますもの」

「確かに、そうかもしれないね。私も、いつも目の前の仕事に追われてこうしてゆっくり空を見る暇もなかったよ」

 アレクサンドも一緒に空を眺めていた。遠くを見る彼の黄金を纏った瞳は、太陽の光に照らされて輝きを増している。海のように青い髪は、空の色とよく馴染んでいた。目を細めて微笑む横顔は、やはり非の打ち所なく美しい。

「殿下はお忙しい方ですから、しょうがないですわ。でも、疲れたらこうしてゆっくりする時間を設けるのも、仕事の効率を上げるには大切でしてよ?」

 ふふっとイザベラがお茶目に笑う。その言葉に、アレクサンドの視線がイザベラに向いた。

「うん、そうかもしれないね。今度からそうしてみるよ。ありがとう、イザベラ嬢」

 柔らかく微笑むアレクサンドの笑顔を真正面から見てしまい、イザベラが顔を真っ赤にして硬直する。さすがにこの状態で見つめ続けられるのはかわいそうだと思い、私は慌てて間に入り込みアレクサンドの視線を代わりに受けた。ちらりとイザベラの方を見ると、耳まで赤くなって俯いている。

「で、殿下が……殿下が……」

 落ち着くにはもうしばらくかかりそうだ。ため息をついて改めてサンドイッチにかぶりついていると、ふと良いことを思いつく。
 私がアレクサンドとの婚約を解消すれば、アレクサンドの婚約者の座が空く。ちょうどイザベラは婚約者がいないことだし、もしかしてアレクサンドの婚約者に収まってしまっても良いのではないかと。
 お見合いをセッティングしようかと思っていたが、身分を考えてもイザベラは王子の婚約者として申し分ない。適当な男をあてがわれるより、好いた男性と一緒の方がイザベラも幸せになれると思う。なにより、私とは違い社交もしっかりできて、はきはきと物を言うイザベラは王子の婚約者に相応しいように思えた。
 一気に頭の中が整理された私は、少し急いで食事を食べ終えると立ち上がった。

「ちょっと急用を思い出しましたわ。先に教室に戻りますね」

 皆と軽く挨拶を交わし、その場を離れる。何も言わずにシヴァは私について来てくれた。建物に入ると、そっと窓から中庭を伺って見る。

「何してるんだ?」

「ちょっと良いことを思いついたの。帰りにでも話すわね」

 私がいない分空間が空いているものの、アレクサンドとイザベラが隣り合って座っている。気を利かせてかアレクサンドはなるべくイザベラに話を振り、彼女も照れながらもなんとか話をしている。時折嬉しそうに微笑むイザベラの姿は幸せそうだ。

「なんか、面倒なことを考えてそうな……」

 そんなシヴァの呟きは、今は聞こえていないふりをした。





***








 授業前にヤコブに声をかけておいた。放課後、私の馬車で話をするためだ。
 約束通りやって来たヤコブと馬車の中に入る。一度シヴァには外で待機してもらった。革張りの座席に腰掛けると、馬車には防音魔法が施されているので、外の喧騒が遠い微かな振動に変わるのを感じた。

「こうして呼ばれたということは、ゲームについて何か聞きたいことでもあるんですか?」

 落ち着いた様子でヤコブは聞いてくる。大人の男性を相手にしていると思って、私は自然と姿勢を正した。

「はい。イザベラのことなんですけど」

 私は昼食時に考えたアレクサンドとイザベラを婚約させるアイデアを説明した。

「……それで、そういえばイザベラってアレクサンドのことが好きって設定だったかなって。私には記憶が無くて、確認したかったんです」

「なるほどね……確かに、イザベラは特に婚約者も設定しなかったし、好きな人とかもいないはずだよ。悪役令嬢としてヒロインに突っかかっていたのも、高位貴族としてのプライドとモテるヒロインへの嫉妬って感じだったし」

「じゃあ」

 どうして、今のイザベラはアレクサンドのことが好きなのだろうか。そう口にしようとしたが、それよりも先にヤコブが鋭く口を挟んだ。

「佐藤さん」

 急に過去の名前で呼ばれて、ドキッとしてしまう。ヤコブの……いや、上野明彦として対峙している彼は真剣な顔をしていた。

「君と僕、二人も本来とは違う人間がこの世界に関わっています」

 その言葉に、私は静かに頷いた。防音魔法による無音が、この密室の圧迫感を強くする。

「バタフライエフェクトと言う言葉をご存じでしょうか? 小さな蝶の羽ばたきだけで、大きく何かが変わってしまうことがある。それと同じように、僕らが知らない所で、僕らが変わってしまったことで起きる変化もあるのですよ」

「でも、シヴァは……ゲームと変わらず女装をしています」

「それは、親しくなった貴女の身を案じてでしょう? それに、レオナルドとマルグリータの件だって」

 上野さんは私を安心させるように微笑んだ。

「貴女が動かなければ、レオナルドはふてくされて女遊びをするキャラのままだった。彼が愛する人と幸せになれたのは、確実に貴女のお陰ですよ」

「大丈夫だと……思いますか? 私が何か大事なことを見落としたことによって、何か凄く悪い方向に変わらないか。それだけが心配なんです」

「どうあがいたって、悪くなる時は悪くなるものです」

 私の不安に、上野さんはため息をつくように続けた。

「でもね、佐藤さん」

 彼の目が、優しさと諭すような光を帯びる。

「悪くなった後は、ちゃんと物事が良い方向へ転じるはずですよ」

 そう諭す姿は、ヤコブのままとはいえ、ずっと年上の男の人に思えた。

「……まあ、それよりも本当にアレクサンドと婚約解消できるのか、の方を先に考えるべきですけどね」

 その言葉に、現実の重さがのしかかり、私は一気に体の力が抜けたのだった。