「……と、意気込んだはいいものの」

 私はイザベラについてあまり知らない。
 イザベラ・ナンニーニ。 国内でもトップレベルの財閥を所持しているナンニー二侯爵家の次女。ゲームでは高飛車で高慢で、学園内ではリリアンナと対立する勢力を保持していた。しかし、性格のためか敵が多く嫌われることも多い。基礎ステータスが全て平均以上と高く、彼女を超えられるかどうかで攻略対象との関係の進展具合が変わる。まあ、それだけ基本的には優秀なご令嬢のはずなのだ。
 教室内では取り巻きを連れながら、中心人物として君臨しているのをよく見る。私とは挨拶はする程度の関係性だ。

 とりあえず、大事なのは挨拶だ。そう思い、私は彼女に最高の笑顔で挨拶をするようにした。朝、教室に入ると午前の光が、彼女の豪奢な蜂蜜色の髪と華やかな宝飾品を眩しく照らしていた。眩しさに目を細めながらも、私は満面の笑みを作る。

「イザベラ嬢、おはようございます」

「あら、リリアンナ様。おはようございますわ」

 声を掛ければ、彼女も笑顔で応じてくれる。その笑顔は完璧で、隙がない。周囲は美少女二人の交流に感嘆の声を漏らすが、それ以上会話が続かなかった。
 何か話してみたいが、特に共通点も無ければ話題もない。そのため、毎日のように私は、わずか数秒の挨拶しかできなかった。



「……お友達作りって難しいわね。シヴァ」

 夕日が傾き、車窓からオレンジ色の光が差し込むいつもの馬車の中。私はクッションに体を預け、ため息とともにそう呟いた。馬車の揺れに合わせて、車内に吊るされた小さなランプが微かに揺れる。対するシヴァはあっけらかんとしていた。

「改めて思うと、貴族同士の交流で知り合った人間ばかりだからな。それ以外の交流となると難しいだろ」

「情報として、基礎的なことは知っているのよ。でも私、そういうお仕事的な話じゃなくてね、本当に純粋にお友達ってものが欲しいのよ」

 彼の言葉が正しいのは分かっている。貴族の交友はすべて、家格と利害が絡んでいるのだ。そこから純粋に親しくなれるかどうかは、その後の交流次第。問題は、イザベラ嬢とはその基本的なつながり自体存在しないということだ。

「マルグリータ嬢は?」

「学園に通ってると会えないし……普段から一緒にいられる子がいいの」

 わがままかもしれないが、私は少し拗ねた様子を見せた。夕日で影が濃くなったシヴァの顔は、真剣に私の言葉を聞いている。しばらく考えて、シヴァは提案してくれた。

「趣味とか、好みとか、オレの方で調べておこうか?」

「え?」

「話したいんだろ? イザベラ嬢と。なら、きっかけになりそうなことくらい、調べておくよ」

 その言葉に、私は一気に気分が上がった。諦めかけていた希望が、彼の提案によって再び光り輝く。

「ありがとう、シヴァ!」

 私の感謝の言葉に、シヴァはふっと安堵したように微笑んだ。馬車は、夕闇が迫る王都の石畳を、規則的な音を立てて進んでいく。これで、次の一歩を踏み出す手がかりができた。





***





 シヴァの情報は早かった。翌日にはもうある提示度情報を集めてくれていたのだから。
 イザベラはアクセサリーの目利きが得意で、外出が好きらしい。特に最近は、町中にあるカフェがお気に入りだという。これだ、と思った。興味のある話題を振り、学校外の活動に誘い出せば、取り巻きのいない場所で純粋な友人として話せるかもしれない。

 その日の教室移動の最中、私は意を決して、取り巻きと話しているイザベラの横に並んでみた。廊下は午後の日差しが差し込み、ステンドグラスの模様を床に落としている。取り巻きの女子たちは私を見るなり、すぐにひゅうっと潮が引くように会話をやめ、引いていった。公爵令嬢が話しかけようとしているのに、わざわざ間に割り込むような行動はしないということだ。

「あの、イザベラ嬢。ちょっとよろしいかしら」

 私の声に、イザベラは快活な笑顔を向けた。彼女の周りだけ、空気が一段と明るいように感じる。

「リリアンナ嬢。どうかしましたの?」

「イザベラ嬢は宝飾品に詳しいと聞きまして。相談に乗ってもらっても良いかしら?」

 私はシヴァの情報通りに話題を振った。イザベラの目が、好奇心と喜びでキラリと輝く。

「ええ、ぜひ!」

 彼女の明るい返事に、私は内心でガッツポーズを取った。これで上手くいく――そう思った瞬間、先ほど引いたはずの周囲の女子たちが、遠慮がちに近づいてきた。

「まあ。モンリーズ嬢も何か購入の検討を?」

「何かしら。楽しみだわ。きっと流行るから、私も購入したいですわ。ご一緒してもよろしいかしら?」

 しまった! 周囲に聞かれない場所で誘いたかったのに、大勢の前で相談したから、皆を誘うような形になってしまった。でも、イザベラの周囲は人が絶えないので他に手段がない。
 対して、イザベラは全く動じなかった。彼女は取り巻きたちを、冷静な自信に満ちた笑顔で制した。

「皆さん、ご相談は大勢のいる人前でするものではなくてよ」

 廊下の空気は、彼女の一言でピリッと引き締まる。そして、彼女は私に向き直り、快活に宣言した。

「わざわざ私に、こうして相談に来て下さったんですもの。他の方への情報漏洩などせず、きっちり相談を解決してみせますわ」

 提案を断られ、一部の女子は嫌そうな顔をする。きっと、公爵令嬢である私と接点を持ちたかったのだろう。こんなあからさまな態度は、やっぱり苦手だ。私が少したじろいでいると、イザベラはそんなことは一切気にせず私の手を取った。彼女の指は温かく、力強い。

「ご予定を教えて頂ければ、私が合わせますわ。リリアンナ嬢の方がお忙しいでしょうから。任せて下さいませ!」

 終始、イザベラは明るく快活な笑顔を浮かべていた。彼女の自信に満ちたオーラに圧倒されながらも、アプローチが成功したことに安堵した。



 アポイントメントを取り付けた興奮冷めやらぬまま、私はシヴァが待つ帰りの馬車に乗り込んだ。馬車が走り出すとすぐに、私は前のめりになる。

「シヴァ、ありがとう! 上手くいったよ」

「それなら良かった」

 シヴァは、私の興奮とは対照的に、いつものように落ち着いた声で返事をした。夕暮れの窓の光が、彼の整った横顔を静かに照らしている。

「今度の休日に、家に誘うことになったの。お茶会の準備、お願いしても大丈夫?」

「分かった。屋敷には声を掛けて、準備しておくよ」

 彼の返事に安堵しながら、私はふと、肝心なことに気が付いた。

「そういえば、宝飾品のことで相談があるって言っちゃったんだけど……私、バルバラに全部お任せしていて、何も知らないわ」

 私はほとんどファッションに興味がない。可愛いとは思うけど、ちょっと優柔不断で自分で選ぶ勇気が持てないのだ。そのため、全部バルバラ任せにしてしまっている。彼女は毎回楽しそうに選んでいるので、これでいいかと思っていたが、おしゃれが好きそうなイザベラと話を合わせるならそうはいかないだろう。

「相談するのに?」

 シヴァの視線が、わずかにこちらを向く。

「口から出まかせです……どうしよう、シヴァ。一緒に考えて!」

 私は勢いのまま、彼の腕に抱き着いた。前かがみになって正面に座る彼の腕に縋りつくと、すぐにシヴァは視線を逸らす。彼の頬が馬車内の薄暗がりの中で、かすかに赤くなっているように見えた。
 ハッと気づいて、すぐにシヴァの腕から手を放す。いくらメイドの格好をしていても、シヴァは男の人だもんね。さすがに距離が近すぎだ。この馬車の中での会話が心地よくて、すっかり油断していた。
 馬車は少しの気まずさが残ったまま、静かに揺れ続けた。



 なんとかシヴァと言い訳も考えて、後は約束の日を指折り数えるだけとなった。シヴァはさっそく、イザベラとの会話を乗り切るための基礎的な情報をまとめたメモを用意してくれた。彼の完璧なサポートに感謝しつつ、私は気持ちを切り替えていた。
 その日の休憩時間。お手洗いへ行こうと廊下を歩いていた私は、とある会話を耳にしてしまった。廊下の大きな窓からは、午後の強い日差しが差し込み、白い壁を眩しく照らしていた。小声で話しているつもりではあっても、落ち着いた静かな空間では、女子生徒たちのひそひそ話が反響して嫌でも耳に入ってしまう。

「……でね、結局モンリーズ嬢とろくにお話しできなかったのよ」

 自分の名前が出たことで、私は無意識に足を止める。

「まあ、またなの? いつも自分が女王様みたいに高飛車にふるまって。結局は、モンリーズ嬢の足元にも及ばないくせに」

「本当よ。あまりにお綺麗だし、レオナルド殿下も一緒だから近寄りがたくて、しょうがなく代わりに一緒にいてあげてるだけなのに」

「それそれ。本当、嫌になっちゃうわよね。イザベラ嬢の相手って」

 私はハッとした。この声は、確か以前イザベラに話しかけた時に取り巻きの中にいた令嬢だ。1つ下のレベルのクラスで、よく休憩時間にイザベラに構っていたのを見かけた。
 やはり、私に近寄れないからイザベラをスケープゴートにしていただけだったわけだ。彼女たちは、リリアンナという高位貴族に近寄れなかったから、次点であるイザベラを一時的な標的にしていた。貴族としての立ち振る舞いとしては、当たり前なのだろうが気分が沈んでしまう。イザベラの周りの賑わいは、純粋な親愛ではなく打算的な集まりに過ぎなかった。それを薄々分かっていて、それでもあの場の中心に凛と立っているイザベラは本当にすごい。ゲームの悪役令嬢として見ていた時は、こんな風に思わなかった。でも、こんな風に現実に体験してみると彼女の凄さと強さを実感する。
 嫌なものを聞いてしまったと、私は眉を顰めた。廊下の明るい光が、突然、彼女たちの陰湿な悪意を際立たせる冷たい色に変わったように感じられた。