荷馬車から降ろした食料を配給するため、テーブルを広げるよう指示を出す。広場には既に多くの人が集まっていた。こんなにたくさんの人々に見られるのは、婚約式以来だろうか。
 人々はいぶかし気な視線を向けてくる者、食料から目が離せない者、期待のまなざしでこちらを見る者、様々だ。ただ一貫して、栄養状態が悪いのか痩せている。
 シヴァは人目にさらさないよう、奥で荷物の上げ下ろしの手伝いや配給する食料の準備をしてもらっている。私は前に出て、声を張り上げた。

「ソプレス王国の皆さん! 私の曾祖母はソプレス王家の姫でした! その縁もあり、こうして助けに参りました! どうかゆっくり、列を作って並んで下さい! 食料は全員に行き渡るはずです!」

 私の声を聴き、人々は護衛の者達に誘導されて列を作る。さっそく、先頭に来た子供達に私はパンと野菜たっぷりのスープをあげた。笑顔で受け取ると、子供達は離れていく。

「二度並ぶのは控えて下さい! 明日もまた来ますから!」

 今までこんな大声なんか出したことがない。それでも必死に声を振り絞って、皆に食料が行き渡るよう動く。
 しばらくすると、小麦畑の視察を終えたルネが合流した。人混みを見て腕まくりをすると、勇み足でやって来る。

「必要な物資の集計が終わりました。次の種まきの時期には発芽用の小麦を持って来ましょう。道具も足りません。地質調査の方も手配しておきます。この土壌で育つ野菜を把握しないと」

 配給の手伝いをしながら、軽く説明してくれるルネ。やっぱり頼もしい。

「ありがとう。配給は明日と明後日までで、そしたら帰るのよね。今の分だけで足りるかしら?」

「そうなると見越して、毎日届けるよう手配済みです。明日にはまた、同じ量の食糧が届きますよ」

 働くのが好きなのだろう。ルネは生き生きした笑顔を見せる。彼女の笑顔に励まされて、私も手を動かした。そんな私達を、シヴァは作業しながら横目で見ていた。



 そうして毎日、私達は広場で食料を配った。疲れすぎて夜は気絶するように眠る。こんな日々は始めてかもしれない。
 そして最終日。配給に来る人は毎日増え続け、配るのは夕方までかかった。ようやく最後のパンを、男の子に渡し終えた時だった。

「リヒハイムも裏切者ばっかりじゃないんだね」

 笑顔で、男の子はそう口にした。裏切者とは、随分な言いようだ。確かに、大飢饉の時に助けられなかった歴史はある。しかし、それは裏切りと呼んでいいほどのものではない。

「別に、裏切ったりしてないわよ」

 つい、そう口にした。男の子は不思議そうに首を傾げる。

「ばあちゃんが言ってたよ。リヒハイム王国は、裏切者の国だって。友達だったはずなのに、何もしてないのに攻撃してきたって」

 男の子の言っていることは、どこかおかしい。私が聞いていた歴史と違う。
 ソプレス王国は、大飢饉で困窮した際にリヒハイム王国に助けを求めた。しかし、助けが得られず戦争派と反対派が対立して内乱になり、滅んだ。攻撃しようとしていたのは、ソプレス王国のはず。

「それ、どういうことなの?」

「ちょっと、早く行くよ!」

 詳細を聞く前に、男の子を母親らしき女性が呼ぶ。慌てて男の子は走っていき、人混みの中見えなくなった。
 それは、小さな違和感。でも、男の子一人の言葉なので、どれだけ信憑性があるかも分からない。

「……こういうのって、調べる必要があるのかな」

 どうやって調べたらいいか分からない。王家の者はすでに亡くなり、貴族も解体されてしまっている。アマトリアン辺境伯の言葉はあてになりそうにない。ここはソプレス王国内でも辺境。あの元貴族の方々に聞いても分からないだろう。
 これは、次の課題ね。何かが分かれば、旧ソプレス王国の人達と親交を深める助けになるかもしれない。
 まだまだやることはたくさんある。うんと伸びをして、広場を見渡すと私は帰りの馬車に乗った。





***





 帰りの馬車の中は、みんなぐったりしていた。さすがに疲れているのが分かっているのか。それとも本人もくたくたなのか。ルネまで静かになっている。
 少しうとうとする中、シヴァは帽子とウィッグを外した。強く手を握ると、私達を見て口を開く。

「リリー、ルネさん。ありがとう」

 終始女装をしていたせいで、シヴァだって疲れているはずなのに。緊張で少し声は上ずっていたけど、表情は明るい。

「オレの故郷を助けてくれて、本当に感謝してるんだ」

 薄暗い車内で微笑むシヴァの顔はとても綺麗で見とれてしまう。眠気なんてふっとんだ。今、目が覚めた。自分の顔がみるみる赤くなるのが分かる。ルネも同じ気持ちなのか、柔らかく微笑んでいた。

「私は当然のことをしたまでよ。それに、前から言っていたでしょう?」

 あまりの気分の良さに、私はガッツポーズで返事をした。


「私、絶対婚約解消してみせるんだから!」


 その発言に、ルネの表情が固まった。シヴァもルネを横目で見ながら呆れた表情をしている。え? 私、何かまずいこと言っちゃった?

「……その件に関しては、初耳なのですが」

 恐い笑顔で呟くルネに、私は思い出す。最初の頃に訴えた以降、婚約解消したいと思っていることはアレクサンドとシヴァにしか言っていなかった。

「仲が良いとは思っていましたが、まさかシルヴィオと……」

 ルネの視線がシヴァに向く。慌ててシヴァは顔を横に振った。ちょっと! 私はまだ一度も、直接シヴァから好きだって言ってもらったことないんだからね! 傷口えぐらないでよ!
 頬を膨らませて睨んでいると、空気を察したのかルネがこちらを向く。私を見てぽかんとした表情を浮かべた。

「えっと、お嬢様……それはどういった表情で?」

「わ、私とシヴァの関係を疑わないで! シヴァは関係ないの!」

「え、嘘だろ?」

 勢いで言った言葉に、ルネに胸倉を掴まれたままのシヴァが驚いたように呟く。ちょっと! 庇ったのに本気にしないでよ馬鹿!

「なんでここでそんなこと言うのよ! 本気にしないで!」

「いつも本音で話してたから、そんなこと言われたら驚くだろ!」

「建前ってものを考えてよ!」

「あのいつもの堂々とした態度はどうした!」

「他の人の前で言ったら変に疑われるから、言えるわけないじゃない! シヴァが好きだから婚約解消したいだなんて!」

「……お嬢様、シルヴィオ」

 ルネの声が騒然としていた車内に響く。一瞬で空気が凍り、私とシヴァは顔を青くしてルネを見た。
 彼女は、今までにないほど怖い顔をしている。

「この件、帰宅後に改めてお話しましょうか。公爵様の前で」

「「はい……」」

 ルネの剣幕に、それからの車内では怖くて一言も喋れなかった。





 帰宅してルネから話を聞いたお父様が頭を抱えたのは、言うまでもないだろう。

 旧ソプレス王国への支援の件は、素直に褒めてもらえた。惨状を説明すると、確かにこれは良くないとお父様は眉間に皺を寄せる。一通り話し終えると、ルネから私の婚約解消を目指している話をされた。眉間に皺をよせ、険しい顔をしていたお父様の表情がみるみる崩れていく。

「えっと、リリー? 何を言っているのか、分かっているのかな?」

「はい。今まで黙っていましたが、婚約解消したいんです。アレク様にも訴えて、ソプレス王国の件が落ち着けば可能だろうと、了承はもらっています」

 私の言葉に、お父様はため息をついて背もたれに体を預けて天を呷った。

「……うん、まあ。ずっとそう言っていたからなぁ。静かになった時点で、怪しむべきだったか」

「ごめんなさい、お父様。もしも婚約解消できたら、私この家を継ぎたいの。シヴァとルネとお父様とバルバラと、みんなで一緒にいたいのよ。シヴァとの結婚までは無理なのはちゃんと理解しているわ」

「申し訳ないとは思っていたんだよ。リリーの希望を無視して決めたから。それが、この結果か……」

 少し間を開けて考え込んでいたお父様は、姿勢を正して私とシヴァに視線を向ける。そこには、いつも通りの冷静そうなお父様が座っていた。
 何と言われるか分からず、私はぎゅっと拳を握り締めた。怒られるのか、シヴァと話されてしまうのか。緊張する中、お父様の声は優しかった。

「好きにしなさい」

「え?」

「王子とも話はついているなら、それが子供達の決めた道だろう。次代のやることだ。好きなように、足掻くだけ足掻いてみればいい。ただし、駆け落ちなどの不義理だけは許さないよ。約束できるかい?」

 お父様は真剣な顔で言ってくる。私もしっかりお父様を睨みつけて、力強く頷いた。それを見て、お父様は力を抜いて微笑む。

「分かった。もう部屋に戻りなさい。ただし、シヴァとの距離感には気を付けること。信じているからね」

「はい! お父様の信頼は裏切りませんわ」

 ずっと隠していたことが認められるのは、背中を押されたような感じがしてくすぐったい。ふわふわした気持ちのまま、私はお父様の執務室を出た。お父様に一礼して、シヴァが後を追って来る。そのまま二人で一言も交わさず、私の部屋までやって来た。
 久しぶりの部屋は、なんだかやっぱり安心する。笑顔で迎えてくれたバルバラにお願いすると、すぐに紅茶やお茶菓子を準備しに部屋を出て行った。部屋ではシヴァと二人きりになった。

「……悪かった。結局、全部喋らせて」

「シヴァ……」

 珍しくシヴァの方から、そっと私の手に指を絡めてきた。その指は熱くて、緊張したように汗ばんでいる。拒めなくて、私も手を握り返した。
 俯いている顔を覗き込むと、シルバーグレイの髪の隙間から真っ赤に染まった頬が見えた。彼がこんなに赤くなっているのを、はじめて見るかもしれない。

「なんか、リリーに否定されたら、頭に血が上って……」

 ああ、そっか。ちゃんと頭では、身分的に結ばれないことは理解している。それでも、これはシヴァなりの好意の表現なんだ。私から否定されて、不安になって、混乱して、反省して。昔は、ここまで感情を露わにするような人じゃなかった。今だって他の人の前では表情なんか崩れない。親しい私やルネの前だから、あんなに揺れていたんだ。なんて、不器用で、愛らしいんだろう。

「あのね、シヴァ。人前じゃ大きな声で言えないのは分かって欲しいの。誤魔化すことだってあるかもしれない。でも、でもね」

 本当は、良くないことだって分かっている。政治的にも身分的にも、アレクサンドと結ばれ王妃になるのが私の運命だ。ゲームのヒロインが現れて、アレクサンドを選択すればそんな未来は断たれるかもしれないけれど、そうでなければ全てのルートでリリアンナ・モンリーズはアレクサンド・リヒハイムと結婚し王妃となる。
 アレクサンドのことは嫌いじゃない。でも、結局は友人としか見ていないのだ。彼もそうだろう。私達の間に、恋愛感情という物はない。アレクサンドはそういうキャラだった。
 私は、佐藤穂香だった私自身は、そんなの嫌だ。ちゃんと好きな人と結ばれる未来を夢見ていたい。怒られるかもしれないけど、周囲からは否定されるかもしれないけど、それが本心だ。

「私はシヴァが一番好きよ。だから、ソプレス王国のことだって頑張れるの」

 シヴァの手を両手で包み込む。まっすぐに彼を見つめると、シヴァも少しだけ顔を上げていた。

「無理だったらちゃんと諦めるし、身を引くから。でも、最後まで足掻いてみせる。それまでは、私が人前で何を言っても気にしないで」

 綺麗な空色の瞳が私を射抜く。縋るような視線を、私も必死に受け止めた。

「信じて、待ってて」

 私の言葉に、シヴァは小さく頷いた。