至上最幸の恋

「とても紳士的な方だったわねぇ」

 確かに磯崎は、噂に聞くような軽薄な男には見えなかった。エリサとの距離も、必要以上に近いわけではない。あくまでひとりの芸術家として、敬意をもって向き合っているように感じられた。

 どのみち、オレは彼とエリサの関係に口を挟める立場ではない。
 余計なことは考えるな。いまはとにかく、絵を完成させることに集中しなければ。

「それじゃあ、僕たちはタクシーを拾うから」

 通りに出たところで、桂木さんが言った。

「はい。お気をつけて」

 軽く頭を下げ、踵を返そうとしたときだった。

「浅尾君」

 呼び止められて振り向くと、桂木さんが真っすぐこちらを見据えている。その視線には、どこか鋭い光が宿っていた。

「波紋もなく澄みきった水面だけが、美とは限らないよ」

 一瞬、意味を掴みきれずにいると、桂木さんは柔らかい表情で続けた。

「ゆらぎや濁りも含めて、ありのままを表現しなさい」

 その声が、胸の奥にゆっくりと沈んでいく。
 そうか。水面が揺れているからこそ、光は細やかに砕ける。完全な静謐である必要はないんだ。

 霧が、ゆっくりと薄れていく。こんな簡単なことだったのか。

 さすがは桂木さんだ。すべて、お見通しだったんだな。

「ほら、帰るぞ。描くんだろう?」

 慧が、気合いを入れるように背中を叩いてきた。

 小さく頷いて、西日が照らす道を歩き出す。
 頬をなでる薫風が、どこか新しい場所へ導いてくれる気がした。