至上最幸の恋

「前を失礼」

 開演時間直前、それまで空席だったオレの隣に、あの磯崎という男が滑り込んできた。

 ひと目で分かるほど上質な、それでいて嫌味のないスーツを纏っている。立ち振る舞いは、極めてスマートだ。真偽は不明だが、プレイボーイだと噂されるだけのことはある。

 年齢はオレと同じくらいだろう。しかし、まったく別世界の住人だな。エリサはこの先、こういう人間に囲まれて仕事をしていくのか。

 華やかな彼女にはそれが相応しいのだと納得する反面、あの屈託のない笑顔が、もうオレには向けられなくなるかもしれないという寂寥感(せきりょうかん)がこみ上げてくる。

 本当に、オレなんかが彼女を描いていいのだろうか。このカメラマンが切り取る一瞬のほうが、彼女の美しさを引き出せるのではないか。

 悶々と考えていると、場内がゆっくり暗転して、開演を告げるブザーが鳴った。

 ステージ袖から現れたエリサが、グランドピアノを前に深々と一礼する。その優美さに、隣で慧が小さく息を呑むのが分かった。
 情熱的な深紅のドレスが、彼女の肌を透き通るように際立たせている。普段とはまったく違う、圧倒的な存在感だ。

 エリサが鍵盤の前に座る。拍手の残響が消え、凛とした静寂がホールを満たした。

 そして、一瞬の間を置いて解き放たれた第一音。 心臓を掴まれたような衝撃に、思わず立ち上がりそうになるほど、全身が震えた。