足音は二人分だった。
いくら部員の殆どが帰ったからと言ってこの状況は非常にマズイ。
私は海李先輩の肩を掴むと強引に水の中に入れた。
誰?
私だけそろりと顔を出し、幸いにも飛び込み台の陰になっていて私の顔は隠れてその人物たちには見えない状況だ。
「待ってよ!別れるってどういうつもり!?」
一人の声は沙羅先輩の声だった。ヒステリックに叫ぶ声は水の中に居ても聞こえそうだ。
「だから言ったろう、もう飽きたって」もう一人の声は―――コーチ!?
え!あの二人もう別れるの!?
「お気に入りができたっていうの?まさか横井さん!?」
え!私!?
「んなわけない。そもそもタイプじゃないし」
何だか告ってもないのにフラれた気分。私だってコーチはタイプじゃありません。ってよっぽど言い出したかったよ。
そのうち海李先輩の息が続かなくなったのか、水面に上がってこようとしたけれど、ごめんなさい、私は先輩の頭を足で押して『上がってこないで』の意思。
「ちょっと待ってよ!ちゃんと説明して!」
沙羅先輩の声が遠ざかっていき、やがて二人は更衣室の方へ向かっていった。
私は慌てて海李先輩から足をどけ、先輩はザバリと大きな音を立てて水面に上がってきた。
「美海!俺を殺す気か!」と先輩はちょっと眉を吊り上げてたけど、本気で怒ってはなさそうだった。
「ごめんなさい……ちょっと衝撃的な場面を目撃しちゃって」
「衝撃的?」
――――
――
「沙羅とコーチが別れる?」
いつもの少し離れたファミレスで夕食を食べながら、先輩が目を広げる。私はエビグラタン、先輩はミートソーススパゲッティ。
「そうみたいです、あたしも理由がよく分からないけど」
「どーせ沙羅の我儘に付き合いきれなくなったんだろ」と先輩はあまり興味がなさそう。
確かに……我儘そうではあるけど、コーチはしっかりと沙羅先輩に『飽きた』って言ってたし。理由はそこじゃない気がするけど。
「あのコーチもさ、あんまいい噂聞かなかったんだよねー、俺がまだ水泳部現役の時聞いたんだけど部員の女子に色々ちょっかいかけてるとか。それも割と沙羅タイプの目立つタイプ」
そうだったの!?
「まぁ、噂はあくまで噂だから俺も話半分で聞いてたけど、当たってたってことかな」
先輩はアイスコーヒーを飲みながら遠くを見ている。
先輩は……時々……視線を遠くへやる。それは私ではない誰か他に向けられた視線のような気がしたけれど、ずっと気づかないフリをしていた。
もし……ホントは沙羅先輩のこと、好きだったら―――?
「まぁ、あいつのやらかした数々の美海の仕打ちを考えたら自業自得だ」
あ……視線が戻った。でもその視線は優しいものではなかった。どこか憎しみが瞳の奥底で渦巻いているような濁った視線。
「こ、これでまた八つ当たりとかされたら…」
「そんときは今度こそ俺に言え。考えがある」
先輩の”考え”って言うのは何なのか分からなかったし、教えてくれなかったけど
「お前は泳ぐことだけ考えてればいいの。あと、俺のこともな」と向かい側から手が伸びてきて私の頭をぽんぽん。
も、勿論!先輩のこと毎日考えてるし。
「そう言えば明日からまた中間試験で部活休止になるんでけど、先輩勉強の方は大丈夫ですか?」話題を逸らす為、目を上げると先輩は痛いものを目にしたように額に手をやって
「やべー、忘れてた。相変わらずバイト詰め込んでるや」
「せめて試験期間だけでも休んだら…」
「そうは言ってられねぇんだよな、これが」と先輩は難しい顔を作ってアイスコーヒーを飲み干す。
先輩は…いつもバイトばかり。最初は誰かに貢いでるんじゃないだろうかと疑ったこともあるけれどそんな気配もなさそうだし、何か欲しいものでもあるんだろうか。
そう言えば、誕生日って言ってたよね。先輩の欲しいものはプレゼントできないかも、だけど何かあげたい。



