人魚のティアドロップ


「かい……!」”り”と言い終わらないうちに先輩の方が先に気づいて

「やっと気づいた?」とかいり先輩は意地悪そうに笑う。

「何で……」水泳部辞めた筈じゃ……

「美海こそ何でこんな時間に一人で?」かいり先輩の質問にふと顔を上げ、温室内の時計を見上げると夜も8時をちょっと過ぎていた。温水プールのガラスの天井から星が煌めく夜空が見える。その星空がかいり先輩とはじめて会ったときと同じように水面をきらきらと輝かせていた。

「退部したとはいえ、たまに誰も居ないプールちょっと借りることがある。あ、でも誰にも言ってないから秘密だよ」とかいり先輩は唇に手を当てしーと言う仕草。

私はぶんぶん頭を上下させ「分かった」と意思表示。何だかちょっと嬉しかった。かいり先輩との小さな秘密の共有。

「あ、あたしは成績最下位だったから、片付けを命じられて」

「コーチに?あのコーチそうゆうことするタイプには見えなかったけど」とかいり先輩は首を傾ける。

「いえ…」沙羅先輩に…とは流石に言えない。彼氏の前で彼女の悪口言っちゃダメだよね。

「タイム、伸びないの?」

この質問には恥ずかしくて顔が上げられない。

「分かってるんです……好きなだけで才能ないのは…」

「はは、俺だって最初は散々だった。才能とかあるヤツはあるけどほんとごくわずかだぜ?」とかいり先輩は笑った。

「嘘、だってあんなに早くてきれいなフォーム」

「水泳バカだったから研究しまくっただけ」かいり先輩は立ち上がり、軽く腕を伸ばすと「よし、ちょっとレクチャーしてやるよ」と言って笑いかけた。

レクチャー?

と考える暇もなく競泳用の飛び込み台に立つと、ザバッと水音を立てて先輩は飛び込んだ。水深は5メートル程。先輩が飛び込んだ場所から細かな泡が浮き上がってくる。そして先輩はそのまま浮き上がってくると、

「ほら、美海も」と言って手を差し出してきた。

私はおずおずと手を差し出すと、突如ぐいと手を引かれて思いっきりプールの中に引きずり込まれた。足がつかないプールの中もがきながら何とか水面から顔を出すとかいり先輩の笑顔が私を出迎えていて、

「まずはフォームの改善から入るか」と言って「5メートル程泳いでみて」と先を見る。

泳いでみて、と急に言われても……てか水泳帽も取っちゃった後だから髪が張り付いてそれだけで重いし泳ぎにくい。

「せめて帽子」と言うと

「いいから」と強引に背中を押され、仕方なしに私は言われたままクロールで5メートル程泳いだ。

立ち泳ぎをしながら顔を上げるとかいり先輩がスタート地点で「ふむ」と口に手を当てながら首を横に捻り

「肘の角度が良くないな。あと水を蹴るときの足の位置も」

先輩は静やかな音を立てて私に近づくと隣のレーンからレーンロープをくぐり私に近づいてきた。

前置きもなく私の腕を取ると

「水面に入るときの肘の角度はこれぐらいの角度がベスト。これで一気に水を掻く。これだけでだいぶ早くなる。さらに水面に入るときの手の角度はこのぐらい。あまり力を入れずに」

突如触れた手の感触はやはり温かく、私の胸が早鐘を打つ。立ち泳ぎをしたままかいり先輩の言う通り「こう?」と先輩に言われた通りの動作で水を掻くと自分の体がふわりと前に進んだ。まるで自分の体じゃないようにその体は水の抵抗もなく軽くなった。