部屋に入ると、ほんのりと薬の匂いがした。
 夜の照明は柔らかく、二人の影が壁に寄り添うように映っていた。




「……患者さんのことですか?」

「ううん。」



 陽向先生は、静かに首を横に振った。
 そして、少し迷うように言葉を探していた。



「本当は、ただ会いたかっただけ。……結衣に。」




 結衣の胸が高鳴る。

 その声がやけに近く感じた。



「……陽向先生、ここ病院ですよ。」


「わかってる。」




 そう言いながら、彼は一歩近づいた。
 距離が、息一つ分まで縮まる。
 心臓の鼓動が早くなる。




「……でも、これだけは、我慢できなかった。」





 その言葉と同時に、陽向先生の手が
 結衣の頬にそっと触れた。

 指先が震えているのは、彼の方だった。




 結衣は何も言えなかった。

 ただ、その手の温かさに包まれて、
 呼吸をするのも忘れていた。





 そして――。

 唇が、静かに触れた。



 それはあまりにも優しいキスで、
 時間が止まったように感じた。


 消毒液の匂いと、陽向先生の体温。
 すべてが混ざって、世界が少しだけ甘く滲んだ。



 陽向先生が唇を離し、額を軽く合わせた。



「……結衣、ほんとに、可愛い。」



 結衣は顔を真っ赤にし、俯いた。

 心臓の音が、もう隠しようもなかった。



「もう、笑わないでください……。」



 小さな声でそう言うと、
 陽向先生は柔らかく笑いながら、彼女の髪を撫でた。



「ごめん。つい、意地悪したくなるんだ。
……でも、ちゃんと想ってるから。」



「……はい。」




 短く答える結衣の瞳には、
 もう不安よりも、確かな光が宿っていた。