蝶々結び【完結】



陽向先生は、少し真面目な顔に戻り、カップを手に取った。



「でも……来てくれてありがとう。正直、断られると思ってた。」




 その言葉に、結衣は目を瞬いた。


「え? そんな……別に断る理由なんて……。」


「だって、避けられてたこともあったし。」


 陽向先生は、少し寂しそうに笑った。



「正直、しばらく僕とは話してくれないんじゃないかって思ったりもした。」



 結衣は慌てて首を振った。



「そんなこと……ないです。あの時はちょっと、混乱してただけで。」


「混乱?」


「……はい。」



 結衣は視線を伏せ、指先でカップの縁をなぞる。



「陽向先生が、いつもと違ってたから。皆の前では優しいのに、私の前ではなんか……ずるいというか。」


「ずるい?」


「……人の気持ち、試すようなことするから。」



 陽向先生は、少し驚いたように目を瞬かせたあと、また笑った。




「あははっ、ごめんね。」


「(はぁ…この人は…。)」



 結衣は軽くため息をつきながらも、少しどこか嬉しそうだった。




 しばらく二人の間に、柔らかな沈黙が流れた。
 外では風がビルの隙間を抜け、カフェの木の扉をやさしく揺らしている。






 陽向先生が、そっと言葉を落とした。




「……橘さん。あの夜、僕が一番言いたかったのは、ただのからかいなんかじゃないんだ。」





 結衣が顔を上げると、
 陽向先生の瞳はまっすぐで、少しだけ切なそうだった。





「本当は、ちゃんと話をしたかったんだけどね。でもあの時は、言葉より先に……橘さんの顔見たら、冗談みたいにして誤魔化したくなっちゃって。」





「……陽向先生。」






 心臓がまた、静かに鳴り出す。




 けれど今度は、あの夜のような戸惑いではなく――
 少しだけ、温かくて優しい音だった。