「そういえば…」

私は冷蔵庫の中から100円コーヒーゼリーを、食器棚から銀色のスプーンを取り出した。

ローテーブルにコーヒーゼリーとスプーンを置いて、ふたをぺりぺりとはがす。

ぐっとスプーンでコーヒーゼリーをすくいとり、大きく頬張った瞬間、ポケットに入れていたスマホがぶるぶると震え始めた。

コーヒーゼリーのほろ苦さとクリームの甘さを味わう間もなく、急いでゼリーを飲み込んでスマホを確認する。

沈んだような灰色の背景に、白い字で『お母さん』と書かれていた。

緑色の『着信』ボタンと、赤色の『拒否』ボタンの間で指をさまよわせる。

覚悟を決めて、私は緑色の『着信』ボタンを押した。

『もしもし、千影?』

「もしもし。さっきはごめんね。電車乗ってたから」

『ぜんぜんええよお。あ、そうや。もうすぐ年明けやろ、そろそろ帰ってきなさい』

お母さんの関西弁は懐かしく、それでいて逃げるのを許さない檻のようにも感じられた。

「それはわかったけど…仕事があるから日帰りか、1泊2日になるかも」

『去年もそう言ってたやん。仕事すんのもええけど、恋人も作りーや。』

半笑いの声が電話口から届き、「あははー」と愛想笑いをするのが精いっぱいだった。

『若いうちが華なんやから、後悔せんように、な!』

「あーうん。まあ今度帰省するよ」

テレビを見ながらぼんやりそう答えると、『お父さんがぶり焼いてくれてるから、ちょっとでも食べにきてな。あんたが好きな黒豆も用意しとくから』と電話口から返事が返ってきた。

「おやすみ」

母親が何か言った気がしたけど、私は赤い『切断』ボタンを押してロ―テーブルにスマホを伏せて置いた。

私の1口分だけが欠けたコーヒーゼリーは食べる気が起きなくて、ラップをかけて冷蔵庫の中にしまった。