造花街・吉原の陰謀-百鬼夜行-

 吉原の一番の見どころは通常営業中だろうがイベント中だろうが花魁道中だ。

 今日の勝山は雪女。

 昨日の扇屋・夕霧大夫は、中国では王を誘惑し、日本では上皇を(たぶら)かした九尾の狐。玉藻前(たまものまえ)

 以前、三浦屋・高尾大夫は中国の妖怪、僵尸(キョンシー)になっていた。

 花魁道中は妓楼によって特色が出るが、ハロウィン時の花魁道中はいつも以上に華やかで妓楼の特色が出ているため、観光客もそうだが、花魁道中を見慣れているスタッフや遊女たちも楽しみにしている。

 現在吉原にいる三人の遊女の花魁道中はどれもその度に規制がかかるほどの大盛況を見せていて、妓楼を出てから揚屋に向かうまでの道のりは長蛇の列となり、最初から最後まで熱気に包まれている。

 丹楓屋で初めて終夜と対峙した時、座敷から勝山の花魁道中を見て勇気づけられたことを思い出した。

 勝山は酒癖が壊滅的に悪く、人に気を使うという能力がないに等しい。

 しかし、彼女の姿を見るだけで勇気をもらえる。自分もしっかりしなければと思わせてもらえる。
 こんな風に生きたいと思える人間が近くにいる事が幸せだという事を、明依はよく分かっていた。

 やはりここ二年でたるんでいたのだと思うばかりだ。
 二年前。自分の手で松ノ位の称号をもぎ取った時は、旭と日奈が死んだばかりで明らかに今よりももっと辛い状況だった。

 あの頃に比べると、今はなんて平和な事か。

 臆病になっている。
 たくさんの事実を、世界の裏側を知って、それからほんの少しまた大人になって、勢いだけでは動けなくなっている。

 死に物狂いで駆け抜けた数か月間を明確に思い出した明依はゆっくりと息を吐き、勝山の行う花魁道中から視線をそらした。

 緊張感。
 旭が死んだと聞かされた時に、詳細を知らない主郭に走って行った時と似た感覚。

 あの時はきっと、駆け抜けていただけマシだった。
 今感じている緊張は、じわじわと人を生殺しにしているみたい。

 一発逆転を狙って、敵がいると分かり切っている巣穴に自分から近付いて行く獲物のような。
 そう俯瞰して考えると自分のしている事は他人からすると理解できない行動なのかもしれないと頭のどこかで考える。

 じゃあ珠名屋に行くのをやめるか、と言われればそんな気はさらさらなかった。

 明依は前を歩く梅雨を見た。
 梅雨が派手な羽織を羽織るのは、限定して高尾の前だけになった。あれは、視力の弱い高尾の前を歩くときだけ身に着けると自分の中で決めているのだろう。

 大通りからいくつかそれれば、照明を落としている大通りよりもさらに暗い。
 二人は細道に隠れ、梅雨は珠名屋のある通りを盗み見た。その後、明依も同じように顔をのぞかせる。本当の亡霊がいても何一つ不思議ではなさそうな道だ。

 珠名屋の前には、陰と思われる黒い服を着た男たちが夜に紛れる事もせずに立っている。

「よっぽど警戒しているんだな」
「どうして?」
「お前が終夜にバレたからだ」

 はっきりと言い切る梅雨に明依は言葉に詰まって、言葉に詰まったから無視をした。

「無視するな」
「ごめん」
「……それにしてもあからさまだな。ああやって姿を見せておけば、諦めると思ってるんだろう」

 そう言うと梅雨は珠名屋の方に視線を向けたまま喋らなくなった。
 おそらく何か考えているのだろうと思った明依は、梅雨を黙って見守った。

 今の沈黙は、こんな時本当に自分は何一つ役に立たないという悔しさを誘発する。
 人に頼る事しか出来ない現状に、二年前の抗争を思い出した。

 『今は運でさえ、科学で証明できる時代だ』

 力がなく運がよかっただけだという明依に、終夜はそう返事をした。

 最後の座敷を境に終夜に会わないと決断をした自分がもしどこか別の世界線にいるのなら、彼女は今、幸せなのだろうか。

 終夜がいない世界は、どんな色をしているんだろう。
 日奈と旭と宵と道を違えた人生。

 トクンと胸が鳴って、痛んだ。

 二年前の引退式の日。
 苦しみを分かち合おうと思ったのは、自分だけだったんだろうか。
 もしそうならすごく、悲しい。

「待つんだ」

 少し遠くから聞こえた声に、明依は我に返った。
 珠名屋に入ろうとした一人の男性客を陰が呼び止め、男に触れてボディーチェックをしている所だった。

「……あそこまでやるのか」

 梅雨はぼそりとそう呟いてから視線を上げて、珠名屋の外観を見渡した。

「……窓が全部ふさがれてる。噂通り。気が滅入りそうな妓楼だ」
「裏側はどうかな」
「陰はどうせ裏側にもいる。俺達の考えつくことは終夜が最初に思い浮かべる事だと思っておいた方がいい」

 確かにそうだ。
 一人で吉原という大きな街を守り通すだけの力を持っている終夜なのだから。

「という事は、表側が一番入れる可能性が高い」

 梅雨の中では答えが出ているらしいが、明依にはさっぱりわからなかった。全くわからないが「なるほど」と呟いておいた。

「作戦変更だ。来い、黎明」

 梅雨はあっさりした様子で言うと、明依をおいて道を引き返し始めた。
 道をいくつか曲がっても、相変わらず人通りはない。
 井戸の底のようにじめっとしていて、生気がない道だ。

「どうするの?」
「とりあえずだ」
「うん」
「脱げ」

 当然、明依の思考は停止した。

 ぬげ?
 いつどこで誰がなにをどうして?

 しっかりと5Wを思い浮かべた明依だったが、何一つとして解決しなかった。
 動きを止めている明依の手を掴んだ梅雨は、あからさまに距離を縮める。

「ほ、本気で言ってる……?」
「冗談だと思うか?」

 いたって真顔で言う梅雨。
 冗談じゃなさそうだから驚いている事を理解してほしい。

 思い出したのは蕎麦屋の二階で終夜に抱かれそうになった時の事だった。
 あの時は結局騙されただけで、今になっても本当にあの男は人をおちょくるのが得意分野だよなと思うのだが、梅雨は絶対にそんな低レベルなことで楽しむような人間ではないと断言できる。

 距離を詰める梅雨と一歩下がる明依の攻防戦が終了したのは、明依が木箱に足をぶつけてそのまま座り込んでしまい、身を起そうとする明依に梅雨が覆いかぶさった事が決め手だった。

「待って待って待って!! 殺されるさすがに多分!! 私が終夜に!!!」

 いや、殺されないかな。終夜は完全にもう気持ちが冷めきっていて、何となく仕方ないからそばに置いているだけだったりして。

「あれ……なんかすごい虚しい気持ち……」

 そこまで考えて明依は言い尽くせない気持ちになったが、そんな事よりも目の前の状況を何とかしなければ。
 そう思っていると、梅雨の手が明依に伸びた。

「嘘嘘……! ちょっと待って!! 気持ちの準備が!!!」

 明依はとっさに胸元に伸びる梅雨の手を両手で掴む。
 梅雨は一瞬動きを止めた。

「私でいいの!? 本当に私でいいの!? 梅雨ちゃん、意外と誰でもいいんだ!! そんな素振りなかったからさ!!!!」

 明依は思いつく限りを思考回路を経由せずに直接口にする。
 しかし梅雨は何を答える事もなく、明依の力を押し返して、明依の胸元の着物の重なりに触れた。

「いやあああああ!!!」

 夜の吉原に、再び明依の叫び声が響いた。