造花街・吉原の陰謀-百鬼夜行-

「なんの用?」

 獄中だろうと地獄大夫の平穏は崩れないようだ。抑揚のない平坦な口調。しかし、音の響きは恨みを持った人間に呟いているようだった。

 派手な化粧をしていない今の地獄大夫には、今の着物と髪が自然に調和している。
 繋がれていない右の手はクリーム色の着物の袖に隠れているが、晴朗に手首から下を落とされたのだから、そこにはもう手はないのだろう。

 明依はなるべく静かに、体内の籠りを吐き出すつもりでゆっくりと息を吐きだした。
 冷静に話がしたい。それは明依にとって他人からの影響ではなく、自分自身の言いたいことが絡まったり、まとまらなくなったりといった自分に起因するものばかりだった。

「あなたは強い人だと思う」

 明依の言葉の真意を見抜いてやろうという気持ちを隠しもせずに、地獄大夫はほのかに余裕のある面持ちでじっと明依の目を見ていた。

「珠名屋の中の日奈は、あなたと満月屋で過ごしたことをよく覚えてないって言ったの。だけど、宵兄さんは覚えてた。ずっと考えてた。どうして日奈は忘れてしまったんだろうって」

 明依は地獄大夫の目をしっかりと見つめながら、なるべく自然に地獄大夫の様子を伺っていた。地獄大夫は何の気もない様子でいたが、数秒と経たずに視線をそらした。

「あなたは自分がいなくなっても辛くないように、薬で日奈と旭から自分の記憶だけを奪った」

 明依の言葉は確信を突いた一言だったのか、地獄大夫が息を呑む。それから誤魔化すようにギュッと口をつぐんでから、平然と口を開いた。

「それのどこが、〝強い人〟なの」
「技術を持っていたとしても、私にはそんなことは出来ないから」

 明依の頭の中には終夜の顔が浮かんでいた。地獄大夫はどこか、終夜と似ている。自分が決めた道ならば、悪魔にだって平然と魂を差し出すことが出来る。修羅の道を歩むことが出来る。

「私なら、日奈と旭にずっと覚えていてほしいって思う。吉原を出ようとした時も、終夜に私の事を忘れないでほしいって思った。だから私は、あなたを強い人だと思う。私とは違う。だけどこれは私と同じ――」

 日奈と旭の笑顔が浮かぶ。大好きだった二人の、大好きだった笑顔だった。

「――私もあなたも、日奈と旭に救われたの」

 地獄大夫は息を呑み、目を見開いて明依を見た。

 地獄大夫の心の底に触れられる。そう確信した明依は、地獄大夫から目をそらさないようにして笑顔を浮かべた。

「地獄を照らす太陽みたいな、日奈と旭に救われた。私も、あなたも、終夜も。……あなたのいた満月屋には、終夜はいなかった。それなのにあなたがどんな手を使っても終夜が欲しかった理由は、日奈と旭のため。あなたの造る〝理想郷〟には、あの二人が大切にしていた〝終夜〟と〝明依〟が必要だった。私には、どれだけあなたが日奈と旭を大切に想っていたのか伝わるよ。二人と、それから宵兄さんが世界の全てだった私と一緒だって、そう思うの」

 地獄大夫はおそらく、見開いた目にうっすらと涙がたまっていることにまだ気付いていないだろう。

 形が違っただけだ。
 地獄大夫も日奈と旭に救われて、だからこそ大切に思っていた。大切に思っていたからこそ自分のせいで悲しんでほしくなくて、記憶を奪っていった。死後、二人の為の理想郷を作る事に夢中になった。

「私が、日奈と旭が死ぬ直接的な原因を作った」

 そう言ってすぐ、明依は気分がすっと落ちる感覚を覚えたが、短く息を吐いて真剣な表情を作った。

「星乃ちゃん、お友達になりませんか」
「は?」

 地獄大夫はきょとんとした不思議そうな顔をした。
 こんな表情もするんだ、と思って感じたのは、嬉しさだった。だから絶対に、この言葉も気持ちも間違いじゃない。

「今の話で……どうして、そうなったの?」

 地獄大夫は唖然とした様子で明依に問いかける。明依の中では万事解決の言葉だったが、確かに突拍子もない事を急に言い出した自覚が今生まれてきた。
 梅雨が「旭かよ」と小さな声で言う。旭と一緒にされるのは心外だが、確かに旭はこういう所があったよなと他人事のように思い、明依は気を取り直した。

「私はお前を苦しめて、殺しかけたのに」

 瞳を揺らす地獄大夫は、自分がそれを経験したのではないかというくらい表情を曇らせている。

 どんな言葉を言おうか、どんな言葉なら後悔しないか。
 そう思うのは宵が死ぬのだと分かった時と同じ。だけど様子は全く違っている。明依の中ではもう自分の基準で判断した言葉がしっかりと浮かんでいて、後悔しない自信があった。

 地獄大夫はやっぱり、本当は優しい人だ。

「悪い事ばっかりじゃなかったからだよ」

 自分の内側から出る、はっきりとした意思を持った言葉。地獄大夫は明依の言葉の真意を探ろうと、真剣な表情をしている。

「だって私、初めて暮相さんを見た。終夜はこんな人に育てられたんだって知ることが出来て嬉しかったの。終夜と似ているところも見つけた。それに、宵兄さんへの自分の気持ちもはっきりした。私が終夜を知ったのは旭が死んだ後だったから、終夜と旭がこんな風に話していたんだって思うと嬉しかったし、日奈にも会えて、気持ちも聞けた。それって、すごい事じゃない?」
「……すごい事?」
「そう。本当だったら私はもう、あの四人には二度と会えなかった。話を聞いてもらう事も、聞くことも出来なかった。だけど私は星乃ちゃんのおかげで会う事ができたの。一生くすぶり続けるはずだった言葉を聞いてもらえた。私は星乃ちゃんに出会えて、運がよかったんだとおもう」

 明依はもう一度ちゃんと、地獄大夫に笑いかけた。

「私なら星乃ちゃんの気持ちがわかるよ。私は日奈に教えてもらったの。友達って、そういうものだよ」

 しかしそれでも地獄大夫は、この女の真意が全く分からないと言った様子で驚いた表情を崩さなかった。そんな彼女をよそに、明依はしっかりと息を吸った。

「友達になりませんか」

 明依はもう一度真剣な表情でいう。しかし不思議と、次には笑顔がこぼれていた。

「大好きだった二人が死ぬ原因を作った私を、星乃ちゃんが許してくれるなら」

 地獄大夫はきっと自分を恨んでいないという確信が明依にはあった。何よりも誰よりも、日奈と旭が大切だった。だからこそ日奈と旭が選んだ道を責めたりしない。

 明依がそう言うと地獄大夫は驚いた表情を引っ込めて、今度は息を吐きだしながら目を閉じて、やっと柔らかい表情で笑った。
 ほらやっぱり、本当は他人想いの優しい人だ。

「……バカじゃないの?」
「バカなんだよ」

 地獄大夫の一言を確定させたのは、終夜の声。
 驚いて明依が後ろを振り返ると、すでにやられた梅雨が地面に伸びていた。

「本当に学ばないね、梅雨」

 〝梅雨ちゃんごめん〟と明依は心の中だけで呟き、それから終夜と目が合うより前に地獄大夫のいる牢獄の中をまっすぐに見つめた。なるべく呼吸をしないようにして空気なれと自分自身に言い聞かせながら。

 地獄大夫のいる牢獄の真正面ド真ん中で、この期に及んで気付かないふりを決め込もうとしている明依の背中を見ながら、終夜は呆れた様子の笑顔を浮かべると牢獄の中でさっと涙を拭う地獄大夫を見た。

「後で話、聞くからねー」

 このまま空気になっておこうと思った明依だったが、圧をかける様な終夜の言葉に背筋を伸ばした。

「珠名楼・乙星。今からお前の処分について説明する」

 地獄大夫は興味がなさそうに俯いている。
 〝友達になろう〟と言ったのにもし死刑になんてなったらどうしよう。

 終夜が次に口を開くまでの時間、ずっと自分の心臓の音が体内に響いていた。