偽物の終夜は畳を踏みしめて距離を詰めると、終夜に刀を振るった。
刀同士がぶつかり、終夜は上からかかる力を受け流す。金属同士が削れる音がする。鍔迫り合いで至近距離で力を込め合う二人は、似て非なる顔をしていた。
「自分なら容赦なく殺せる」
「俺も同じ意見だよ」
終夜の言葉に、偽物の終夜がニコリと笑った。
冷静な様子の終夜が本物で、笑っている終夜が偽物。
一目見ただけでどちらがどちらなのかすぐにわかる。しかしそれは時を経た成長というものではなくて、もっと奥が深い精神的な何かがそうさせるのだと明依は直感で感じていた。
終夜と敵対していた時の明確な恐怖。思い返してみれば最初は終夜にこんな風に恐怖心を抱いていたなと他人事のように思う。
いつの間に貼り付けた笑顔の終夜を見慣れなくなったのだろう。いつの間にか自分の中で終夜と言う男は優しい人間になった。
だけど最初からそうだったわけじゃない。昔の終夜はまさにこんな様子だった。いつも笑顔を貼り付けていて、何を考えているのかわからない。昔の終夜の様子を俯瞰して見ているだけのはずなのに、笑みを浮かべて戦う偽物の終夜をなぜか可哀想に思った。
しかし、宵の言った通り。やはり地獄大夫は終夜を完璧には造れないらしい。
戦闘においては本物の終夜の方が一枚上手に見える。〝自分なら遠慮なく殺せる〟という言葉通り、終夜は容赦なく自分の偽物に刀を振るっていた。
終夜は先ほど自分の太ももから引き抜いた針を三本、偽物の終夜に向かって投げた。彼はそのうちの二本を刀ではじき、残りの一本を握って止めた。
「身を引いた方が自分の為だよ」
「それはどうかな?」
偽物の終夜はそう言うと、握った針の一本を手放した。
針が畳の上で小さく跳ねる。
「今日一日で酷使したろ、この左腕」
偽物の終夜はそう言うと刀から手を放し、終夜の左手を掴んで強く握る。終夜は目を見開いた。終夜が右手で刀を振り下ろすよりも早く、偽物の終夜は左腕を引っ張り、その勢いに任せて終夜の左肩を押した。
終夜は痛みや苦しみに耐えるように、歯を食いしばった。
「〝情報〟は時に、技術よりも大きな力を発揮する」
左肩を抑える終夜をよそに、偽物の終夜は手放して畳に落ちた刀を拾った。
終夜の左腕に関する〝情報〟。明依は、二年前の抗争を思い出した。
「日常生活で問題なくても、戦いにおいてこの傷はあまりにも不利だ。抗争の戦闘で宵につけられた傷の痛み、思い出した?」
偽物の終夜は、見慣れた挑発的な顔で笑っている。
「終夜……!」
名前を呼ぶことしかできない自分を恨むより前に、明依は不快感に堪えて目を閉じた。
目を閉じている場合じゃないのに。
終夜が戦っている。目を閉じている間に状況が変わっていたら、一体どうしたらいい。
こんなところで死んでいられない。今ここで死ねばきっと、終夜は生きる事を諦めてしまう。
宵、暮相、旭、日奈の思いが無駄になる。
わかっているから絶対に死ねないのに。
苦しくて、痛みに身を任せてしまいたい。
不快感が去った後、ゆっくりと目を開く。
刀と刀がぶつかり合う音が、目を閉じているときよりも明確に聞こえてくる。
間隔が狭くなった不快感に、明依はまた目を閉じた。
「いいの? 苦しんでるよ」
偽物の終夜はあっさりとした様子で言うが、終夜は左腕をかばいながら攻撃の手を緩めない。
「楽にしてあげたらいいのに。無駄に苦しませないのはポリシーでしょ? 日奈と旭を殺せたんだから、明依を殺せないはずがない。無理なら代わりに俺が殺してあげようか?」
終夜が当たり前の顔をして言いそうな言葉を、偽物の終夜が言う。それなのに違和感があった。今の終夜はそんな言葉を言いそうにない。
「大切なものを握りしめている人間は大変だね」
何も答えない終夜を、偽物の終夜は鼻で笑った。
「そろそろ、本格的に毒が回り出すころ」
偽物の終夜が言い終わってすぐ、地獄大夫はただ事実だけを述べているみたいに終夜に言う。
その途端、終夜は小さく咳込んだ。終夜の口から血が溢れて、畳を真っ赤に染めた。終夜が息を呑んだ時には、偽物の終夜の刀が左肩を貫通していた。
「終夜……」
明依は声を絞り出す。しかしおそらく、終夜には聞こえていないだろう。
「この場所では絶対に、私には敵わない」
「何もしてないくせに態度だけはでかいね」
偽物の終夜は障子窓に腰かける地獄大夫に言うと、正面にいる終夜に視線を移した。終夜は刀が左肩を貫通したまま、ゆっくりと片膝をつく。
「この地獄に残る覚悟は出来た?」
偽物の終夜は笑顔を貼り付けたまま首をかしげる。
その表情には見覚えがあって、それなのにやっぱり違和感がある。
いつの間にか終夜は本質に近い部分を見せてくれるようになっていた。
本来ならそれだけで、幸せだったはずなのに。
終夜が、負けてしまう。
「お前は俺の劣化版だ」
「まだ言ってるの? いい加減諦めて、」
終夜はそう言うと、左手で自分の左肩を貫通している刀を握って引き寄せた。
刀は終夜の肩にさらに深く入り込み、刀を握っていた偽物の終夜はその勢いで前のめりになる。
終夜は偽物の終夜の腹に刀を深く沈ませた。腹部から血が噴き出した偽物の終夜は、傷口に触れながらゆっくりと後ずさった。
「戦闘において技術は大切だ。だけど一番必要なのは勘だ」
終夜は左肩に刺さっていた刀を引き抜くと、畳の上に放り投げてふらりと立ち上がった。
「勘が働く絶対条件。それは場数。つまり、戦闘には必ず〝叩き上げ〟って言うのが必要なんだよ。……大きな怪我をした時どうやって痛みを逃がすのか。体の一部が使えないなら、どう戦うのか。自分で学ぶしかない。切って貼っただけのコピーにはそこまでの精度がなかったって事だ」
偽物の終夜は、大量の血を口の中から吐き出した。
「毒が回ってきたね。アンタが握った針は毒針。あれは経皮毒、皮膚から体内に入り込む毒だ。刺さるより握る方が範囲が広くて吸収が早い」
終夜はそう言うと偽物から視線を逸らして、丸窓に座る地獄大夫を見た。
「足に三本分の針が刺さって、これだけ身体を動かしたのに毒の周りが遅かった。対面勝負になれば勝ち目のないお前はその場合、絶対に即効性のある毒を使うはずだ。だけど遅延性の毒を選んだ。どうして遅延性の毒でないといけなかったのか。もし、即効性の毒が俺と偽物の俺に同時に体内に入った時、耐性のある俺の方が長時間動けるからだ。そうなるとお前たちはもう打つ手がない。……こういうのを〝勘〟って言うんだよ。残念だったね」
片手で腹を抑えて右手で刀を振るおうとする偽物の終夜の刀を、終夜が弾く。
「孤独の中にこそ真理があると思う気持ち、わかるよ」
終夜はそう言うと刀を振り上げる。
「俺も同じだったから」
刀が、偽物の終夜の身体を深く深く切り裂いた。
刀同士がぶつかり、終夜は上からかかる力を受け流す。金属同士が削れる音がする。鍔迫り合いで至近距離で力を込め合う二人は、似て非なる顔をしていた。
「自分なら容赦なく殺せる」
「俺も同じ意見だよ」
終夜の言葉に、偽物の終夜がニコリと笑った。
冷静な様子の終夜が本物で、笑っている終夜が偽物。
一目見ただけでどちらがどちらなのかすぐにわかる。しかしそれは時を経た成長というものではなくて、もっと奥が深い精神的な何かがそうさせるのだと明依は直感で感じていた。
終夜と敵対していた時の明確な恐怖。思い返してみれば最初は終夜にこんな風に恐怖心を抱いていたなと他人事のように思う。
いつの間に貼り付けた笑顔の終夜を見慣れなくなったのだろう。いつの間にか自分の中で終夜と言う男は優しい人間になった。
だけど最初からそうだったわけじゃない。昔の終夜はまさにこんな様子だった。いつも笑顔を貼り付けていて、何を考えているのかわからない。昔の終夜の様子を俯瞰して見ているだけのはずなのに、笑みを浮かべて戦う偽物の終夜をなぜか可哀想に思った。
しかし、宵の言った通り。やはり地獄大夫は終夜を完璧には造れないらしい。
戦闘においては本物の終夜の方が一枚上手に見える。〝自分なら遠慮なく殺せる〟という言葉通り、終夜は容赦なく自分の偽物に刀を振るっていた。
終夜は先ほど自分の太ももから引き抜いた針を三本、偽物の終夜に向かって投げた。彼はそのうちの二本を刀ではじき、残りの一本を握って止めた。
「身を引いた方が自分の為だよ」
「それはどうかな?」
偽物の終夜はそう言うと、握った針の一本を手放した。
針が畳の上で小さく跳ねる。
「今日一日で酷使したろ、この左腕」
偽物の終夜はそう言うと刀から手を放し、終夜の左手を掴んで強く握る。終夜は目を見開いた。終夜が右手で刀を振り下ろすよりも早く、偽物の終夜は左腕を引っ張り、その勢いに任せて終夜の左肩を押した。
終夜は痛みや苦しみに耐えるように、歯を食いしばった。
「〝情報〟は時に、技術よりも大きな力を発揮する」
左肩を抑える終夜をよそに、偽物の終夜は手放して畳に落ちた刀を拾った。
終夜の左腕に関する〝情報〟。明依は、二年前の抗争を思い出した。
「日常生活で問題なくても、戦いにおいてこの傷はあまりにも不利だ。抗争の戦闘で宵につけられた傷の痛み、思い出した?」
偽物の終夜は、見慣れた挑発的な顔で笑っている。
「終夜……!」
名前を呼ぶことしかできない自分を恨むより前に、明依は不快感に堪えて目を閉じた。
目を閉じている場合じゃないのに。
終夜が戦っている。目を閉じている間に状況が変わっていたら、一体どうしたらいい。
こんなところで死んでいられない。今ここで死ねばきっと、終夜は生きる事を諦めてしまう。
宵、暮相、旭、日奈の思いが無駄になる。
わかっているから絶対に死ねないのに。
苦しくて、痛みに身を任せてしまいたい。
不快感が去った後、ゆっくりと目を開く。
刀と刀がぶつかり合う音が、目を閉じているときよりも明確に聞こえてくる。
間隔が狭くなった不快感に、明依はまた目を閉じた。
「いいの? 苦しんでるよ」
偽物の終夜はあっさりとした様子で言うが、終夜は左腕をかばいながら攻撃の手を緩めない。
「楽にしてあげたらいいのに。無駄に苦しませないのはポリシーでしょ? 日奈と旭を殺せたんだから、明依を殺せないはずがない。無理なら代わりに俺が殺してあげようか?」
終夜が当たり前の顔をして言いそうな言葉を、偽物の終夜が言う。それなのに違和感があった。今の終夜はそんな言葉を言いそうにない。
「大切なものを握りしめている人間は大変だね」
何も答えない終夜を、偽物の終夜は鼻で笑った。
「そろそろ、本格的に毒が回り出すころ」
偽物の終夜が言い終わってすぐ、地獄大夫はただ事実だけを述べているみたいに終夜に言う。
その途端、終夜は小さく咳込んだ。終夜の口から血が溢れて、畳を真っ赤に染めた。終夜が息を呑んだ時には、偽物の終夜の刀が左肩を貫通していた。
「終夜……」
明依は声を絞り出す。しかしおそらく、終夜には聞こえていないだろう。
「この場所では絶対に、私には敵わない」
「何もしてないくせに態度だけはでかいね」
偽物の終夜は障子窓に腰かける地獄大夫に言うと、正面にいる終夜に視線を移した。終夜は刀が左肩を貫通したまま、ゆっくりと片膝をつく。
「この地獄に残る覚悟は出来た?」
偽物の終夜は笑顔を貼り付けたまま首をかしげる。
その表情には見覚えがあって、それなのにやっぱり違和感がある。
いつの間にか終夜は本質に近い部分を見せてくれるようになっていた。
本来ならそれだけで、幸せだったはずなのに。
終夜が、負けてしまう。
「お前は俺の劣化版だ」
「まだ言ってるの? いい加減諦めて、」
終夜はそう言うと、左手で自分の左肩を貫通している刀を握って引き寄せた。
刀は終夜の肩にさらに深く入り込み、刀を握っていた偽物の終夜はその勢いで前のめりになる。
終夜は偽物の終夜の腹に刀を深く沈ませた。腹部から血が噴き出した偽物の終夜は、傷口に触れながらゆっくりと後ずさった。
「戦闘において技術は大切だ。だけど一番必要なのは勘だ」
終夜は左肩に刺さっていた刀を引き抜くと、畳の上に放り投げてふらりと立ち上がった。
「勘が働く絶対条件。それは場数。つまり、戦闘には必ず〝叩き上げ〟って言うのが必要なんだよ。……大きな怪我をした時どうやって痛みを逃がすのか。体の一部が使えないなら、どう戦うのか。自分で学ぶしかない。切って貼っただけのコピーにはそこまでの精度がなかったって事だ」
偽物の終夜は、大量の血を口の中から吐き出した。
「毒が回ってきたね。アンタが握った針は毒針。あれは経皮毒、皮膚から体内に入り込む毒だ。刺さるより握る方が範囲が広くて吸収が早い」
終夜はそう言うと偽物から視線を逸らして、丸窓に座る地獄大夫を見た。
「足に三本分の針が刺さって、これだけ身体を動かしたのに毒の周りが遅かった。対面勝負になれば勝ち目のないお前はその場合、絶対に即効性のある毒を使うはずだ。だけど遅延性の毒を選んだ。どうして遅延性の毒でないといけなかったのか。もし、即効性の毒が俺と偽物の俺に同時に体内に入った時、耐性のある俺の方が長時間動けるからだ。そうなるとお前たちはもう打つ手がない。……こういうのを〝勘〟って言うんだよ。残念だったね」
片手で腹を抑えて右手で刀を振るおうとする偽物の終夜の刀を、終夜が弾く。
「孤独の中にこそ真理があると思う気持ち、わかるよ」
終夜はそう言うと刀を振り上げる。
「俺も同じだったから」
刀が、偽物の終夜の身体を深く深く切り裂いた。



