「つまり、みんなで行動する。それから、明依と終夜がはぐれたら地獄大夫の部屋の前で待ち合わせって事だな」
旭はそう言うと、ドンと自分の胸を叩いた。
「絶対にお前らを珠名屋から出してやるからな! 大船に乗ったつもりでいろ!」
「うん。わかった」
終夜は明らかに一ミリも期待していない様子で返事をするが、旭は「終夜って、時々素直だよなー」と嬉しそうにしていた。
どうして旭はこうもアホなのだろう。そして終夜は完全に旭を相手にしていない。
明依は思わず日奈を見た。日奈も明依を見ていて、二人は視線が絡むと同じことを思っているのが通じ合って、それから笑った。
「もう本当にさ……なんでそうなるの……?」
「うん、わかるよ。わかるけど……」
こらえきれずに笑う明依に、日奈は笑いを殺そうとしている様子から、まだ旭への申し訳なさを伺う事が出来た。
終夜と旭はこんなにギリギリで成り立っていたとは思わなかった。
もう少し相手にされていると思っていたが、終夜は思ったより旭を相手にしていないらしい。
「なに笑ってんだよ?」
「ううん。別に」
旭は不思議そうな顔をして明依と日奈を見た。
「え? 俺、なんかしたっけ? まだちょっとしか喋ってない気するけど」
そのちょっとでドンピシャで笑いをかっさらえる所が満点で旭だ。
堪らなく懐かしい気持ちになって、笑っているのに、同時に胸が締め付けられる。
「笑ってる場合じゃないのにね」
日奈はそう言って目じりに溜まった涙を拭った。
「でもみんないるから、何とかなるんじゃないかって思っちゃうね」
日奈はそう言って明依に笑いかける。
花が咲いたみたいな、心を締め付ける笑顔で。
明依は「そうだね」とあいまいに返事をしてから、宵と終夜を見た。
終夜は座り込んで足をぶらぶらとさせていて、宵は旭と話をしている。
計画はあっさりと決まった。
あらゆる可能性を提示し、反対意見を出して最悪の自体を想定する。
それが終夜のやり方。そして宵ももしかすると生前、同じやり方をして考えを深めていたのかもしれない。
道が違えば二人は、いいコンビになっていたかもしれない。生前は思う事はなかったが、終夜と宵はなんだか似ている気がする。
急に目がくらんで、明依は目を閉じた。気分が悪い、とは違う。キャパオーバーした脳みそが、休止することを強制しているみたいな。
「明依……!」
日奈はすぐ隣にいる明依の身体を支えた。
「どうしたの? 体調が悪いの……?」
日奈は明依を支えながらゆっくりとその場にしゃがみこむ。
目を開けていても視界が定まらない。目を閉じていると、まぶたの裏を何かが這うように動いている。
「終夜……!」
日奈が、終夜の名前を呼ぶ。
「変わって」
終夜がそう言うと日奈はすぐに明依から離れた。終夜は日奈に代わって明依の身体を支えると、ゆっくりとその場で明依の足を崩して座らせる。
「どんな感じ?」
「……くらくらする」
終夜はいたって冷静な態度でいた。
座っている終夜と立っている宵は視線を合わせた。お互いに何か思う所が一致しているようだ。旭はきょとんとした顔で二人に視線を向けたが、二人のアイコンタクトの意味は分からなかったようで、また明依に視線を移した。
終夜は宵から視線をそらすと、俯く明依に口を開いた。
「……明依。もう少しだけ頑張って、」
「お前がはっきり決めろ。〝少し〟ってどれくらいだ?」
ぶっきらぼうで芯がある声。
明依にとっては聞きなれない。しかし終夜には明確にそれが誰の声なのかわかるらしい。
明依の肩に手を回そうとする終夜は、振り返って目を見開いた。
「おい、終夜」
見慣れない男の声色はぶっきらぼうで気だるげで、もしかすると至極呆れているのかもしれない。
「……暮相兄さん」
暮相。
それは〝宵〟のかつての名前。
終夜が〝暮相兄さん〟と呼ぶ男は優しそうで、だけどやる気はなさそうで。それなのにやけに真っ直ぐに人を見る男だった。
暮相と宵は同一人物だ。性格や言動は全く違うらしいが、それはあくまで暮相が演じていた〝宵〟という人間の話。
だからこの世界に宵が存在しているなら暮相がいるはずなくて、逆もまたそう。
本来なら同じ場所にいるはずがないのに、驚いているのは明依と終夜だけ。
「……なんで」
言葉を失うほど驚いている終夜を見たのは初めてだ。
宵がいる事で暮相がまさか別に存在していたなんて思いもしなかったのだろう。それはもちろん、明依も同じことだ。
暮相という自分が吉原に来るより前に死んだ男の顔を。吉原に引きずり込み、人生を呑み込んで綺麗な夢を見せようとした男の正体を、この目で見る事になるとは思わなかった。
暮相は終夜の前にしゃがみこむと、未だに唖然としている終夜にデコピンをした。
「お前は後な。……って言うか、野郎はどーでもいいんだよ、邪魔すんな」
暮相はそう言うと驚いている終夜をよそにくるりと身を返し、明依の肩に手を当てた。
「……気分が悪いか、明依」
心配している様子が混ざっているからだけじゃない。聞いていて安心する声だ。聞いているだけで元気が出るような、芯がしっかりとある人間にしか出せない音。
初めて名前を呼ばれたはずなのに、ずっとこの人を知っているような気がする。
「……大丈夫」
「気分が悪いかどうか、って聞いてんだよ。大丈夫な人間はふらつかねーの。どっかいつもと違うからくらくらすんだよ」
この気持ちは何だろう。
知らないはずなのに、初めて会った気がしない。
様子は全く違うのに、心底安心する。この人がいるならきっと大丈夫なんだろうと思わせてくれる人。
旭のような直接的な暖かさ。奥に潜むのは、終夜のような冷静さと、宵のような穏やかさ。
「きぶんは、悪くない」
「じゃあすぐ収まる。ゆっくりしてな。自分の楽な体勢でいいから」
似た者同士だと言われた時雨のようでもある。
ただ心の内側に入り込む感覚だけで言えば、宵とほとんど変わらないと思った。
だからだ。だから初めて会った気がしない。
目を閉じて、不調が過ぎるのを待つ。
まぶたの裏側には、光とも闇とも呼べる何かゆらゆらと不規則な動きをしている。
背中の一部分が温かい。きっと暮相が触れてくれているのだろうと、目を閉じていても、不調で身体中に割く意識は薄くても、直感でそう思った。
暖かい。そして、心強い。本当は不安だった気持ちが、無理矢理引きずり出される。
気を許して泣いてしまいたくなるような。だけどきっと彼なら全部受け入れてくれるという確信があるような。
まぶたの裏側が静かになって、明依はゆっくりと目を開けた。
宵とは顔つきが全く違う。顔を変えて吉原に来たと言ったが、細かな表情まで全く違うのだ。
一緒に視界に入り込んでも、とても同一人物とは思えなかった。と言っても本当に別人なのだが、みんなの完成度の高さを考えると、本当に暮相そのものなのだろう。
「どうだ? 視界は良好か?」
「……はい、良好です」
ふざけたように言う暮相は憂鬱な気持ちを吹き消すような顔で笑った。
この人が〝暮相〟。
先代裏の頭領・暁の息子。
まるで、万物を照らす太陽のような人だ。
こんなに暖かい人も、道を間違えれば闇に堕ちてしまうのか。
旭はそう言うと、ドンと自分の胸を叩いた。
「絶対にお前らを珠名屋から出してやるからな! 大船に乗ったつもりでいろ!」
「うん。わかった」
終夜は明らかに一ミリも期待していない様子で返事をするが、旭は「終夜って、時々素直だよなー」と嬉しそうにしていた。
どうして旭はこうもアホなのだろう。そして終夜は完全に旭を相手にしていない。
明依は思わず日奈を見た。日奈も明依を見ていて、二人は視線が絡むと同じことを思っているのが通じ合って、それから笑った。
「もう本当にさ……なんでそうなるの……?」
「うん、わかるよ。わかるけど……」
こらえきれずに笑う明依に、日奈は笑いを殺そうとしている様子から、まだ旭への申し訳なさを伺う事が出来た。
終夜と旭はこんなにギリギリで成り立っていたとは思わなかった。
もう少し相手にされていると思っていたが、終夜は思ったより旭を相手にしていないらしい。
「なに笑ってんだよ?」
「ううん。別に」
旭は不思議そうな顔をして明依と日奈を見た。
「え? 俺、なんかしたっけ? まだちょっとしか喋ってない気するけど」
そのちょっとでドンピシャで笑いをかっさらえる所が満点で旭だ。
堪らなく懐かしい気持ちになって、笑っているのに、同時に胸が締め付けられる。
「笑ってる場合じゃないのにね」
日奈はそう言って目じりに溜まった涙を拭った。
「でもみんないるから、何とかなるんじゃないかって思っちゃうね」
日奈はそう言って明依に笑いかける。
花が咲いたみたいな、心を締め付ける笑顔で。
明依は「そうだね」とあいまいに返事をしてから、宵と終夜を見た。
終夜は座り込んで足をぶらぶらとさせていて、宵は旭と話をしている。
計画はあっさりと決まった。
あらゆる可能性を提示し、反対意見を出して最悪の自体を想定する。
それが終夜のやり方。そして宵ももしかすると生前、同じやり方をして考えを深めていたのかもしれない。
道が違えば二人は、いいコンビになっていたかもしれない。生前は思う事はなかったが、終夜と宵はなんだか似ている気がする。
急に目がくらんで、明依は目を閉じた。気分が悪い、とは違う。キャパオーバーした脳みそが、休止することを強制しているみたいな。
「明依……!」
日奈はすぐ隣にいる明依の身体を支えた。
「どうしたの? 体調が悪いの……?」
日奈は明依を支えながらゆっくりとその場にしゃがみこむ。
目を開けていても視界が定まらない。目を閉じていると、まぶたの裏を何かが這うように動いている。
「終夜……!」
日奈が、終夜の名前を呼ぶ。
「変わって」
終夜がそう言うと日奈はすぐに明依から離れた。終夜は日奈に代わって明依の身体を支えると、ゆっくりとその場で明依の足を崩して座らせる。
「どんな感じ?」
「……くらくらする」
終夜はいたって冷静な態度でいた。
座っている終夜と立っている宵は視線を合わせた。お互いに何か思う所が一致しているようだ。旭はきょとんとした顔で二人に視線を向けたが、二人のアイコンタクトの意味は分からなかったようで、また明依に視線を移した。
終夜は宵から視線をそらすと、俯く明依に口を開いた。
「……明依。もう少しだけ頑張って、」
「お前がはっきり決めろ。〝少し〟ってどれくらいだ?」
ぶっきらぼうで芯がある声。
明依にとっては聞きなれない。しかし終夜には明確にそれが誰の声なのかわかるらしい。
明依の肩に手を回そうとする終夜は、振り返って目を見開いた。
「おい、終夜」
見慣れない男の声色はぶっきらぼうで気だるげで、もしかすると至極呆れているのかもしれない。
「……暮相兄さん」
暮相。
それは〝宵〟のかつての名前。
終夜が〝暮相兄さん〟と呼ぶ男は優しそうで、だけどやる気はなさそうで。それなのにやけに真っ直ぐに人を見る男だった。
暮相と宵は同一人物だ。性格や言動は全く違うらしいが、それはあくまで暮相が演じていた〝宵〟という人間の話。
だからこの世界に宵が存在しているなら暮相がいるはずなくて、逆もまたそう。
本来なら同じ場所にいるはずがないのに、驚いているのは明依と終夜だけ。
「……なんで」
言葉を失うほど驚いている終夜を見たのは初めてだ。
宵がいる事で暮相がまさか別に存在していたなんて思いもしなかったのだろう。それはもちろん、明依も同じことだ。
暮相という自分が吉原に来るより前に死んだ男の顔を。吉原に引きずり込み、人生を呑み込んで綺麗な夢を見せようとした男の正体を、この目で見る事になるとは思わなかった。
暮相は終夜の前にしゃがみこむと、未だに唖然としている終夜にデコピンをした。
「お前は後な。……って言うか、野郎はどーでもいいんだよ、邪魔すんな」
暮相はそう言うと驚いている終夜をよそにくるりと身を返し、明依の肩に手を当てた。
「……気分が悪いか、明依」
心配している様子が混ざっているからだけじゃない。聞いていて安心する声だ。聞いているだけで元気が出るような、芯がしっかりとある人間にしか出せない音。
初めて名前を呼ばれたはずなのに、ずっとこの人を知っているような気がする。
「……大丈夫」
「気分が悪いかどうか、って聞いてんだよ。大丈夫な人間はふらつかねーの。どっかいつもと違うからくらくらすんだよ」
この気持ちは何だろう。
知らないはずなのに、初めて会った気がしない。
様子は全く違うのに、心底安心する。この人がいるならきっと大丈夫なんだろうと思わせてくれる人。
旭のような直接的な暖かさ。奥に潜むのは、終夜のような冷静さと、宵のような穏やかさ。
「きぶんは、悪くない」
「じゃあすぐ収まる。ゆっくりしてな。自分の楽な体勢でいいから」
似た者同士だと言われた時雨のようでもある。
ただ心の内側に入り込む感覚だけで言えば、宵とほとんど変わらないと思った。
だからだ。だから初めて会った気がしない。
目を閉じて、不調が過ぎるのを待つ。
まぶたの裏側には、光とも闇とも呼べる何かゆらゆらと不規則な動きをしている。
背中の一部分が温かい。きっと暮相が触れてくれているのだろうと、目を閉じていても、不調で身体中に割く意識は薄くても、直感でそう思った。
暖かい。そして、心強い。本当は不安だった気持ちが、無理矢理引きずり出される。
気を許して泣いてしまいたくなるような。だけどきっと彼なら全部受け入れてくれるという確信があるような。
まぶたの裏側が静かになって、明依はゆっくりと目を開けた。
宵とは顔つきが全く違う。顔を変えて吉原に来たと言ったが、細かな表情まで全く違うのだ。
一緒に視界に入り込んでも、とても同一人物とは思えなかった。と言っても本当に別人なのだが、みんなの完成度の高さを考えると、本当に暮相そのものなのだろう。
「どうだ? 視界は良好か?」
「……はい、良好です」
ふざけたように言う暮相は憂鬱な気持ちを吹き消すような顔で笑った。
この人が〝暮相〟。
先代裏の頭領・暁の息子。
まるで、万物を照らす太陽のような人だ。
こんなに暖かい人も、道を間違えれば闇に堕ちてしまうのか。



