造花街・吉原の陰謀-百鬼夜行-

「ちょ、ちょっと待って。さすがにそれはいろいろとまずくて……!」
「でも、一緒になろうって話した仲だよね?」
「いや、でも、だって、あれから二年以上時が流れてて……!!」

 おそらく本気で言っている訳ではないだろうという気持ちはあるが、では一体何のために宵がこんな戯れをしているのかわからなくて。

 だが思い返してみれば、宵は案外こういういたずらで人の反応を見るのも好きそうな気がする。

 しかしどうして今、という疑問は相変わらず解消されない。

 梅雨に迫られたかと思えば次は宵。
 そう言う年なのだろうか。もしかしてモテ期とかいうヤツなのだろうか。
 終夜から女としての関心を一切寄せられない代わりに神様が与えた感じなのだろうか。 
 複数人から迫られるという乙ゲーの幸運・偶発イベントみたいな感じなのだろうか。

 だとしたらなんだ。隠しイベントを見ないと終夜との関係が進展しないという縛りでもあるのか。
 しかし今はそんなことは二の次だ。

 本当にごめん、終夜。という感じなのだが、正直に言えば嬉しくないとも言い切れない。
 今まで訪れなかった、言い寄られて困る経験を一度でいいからしてみたいというミーハーで(よこしま)な気持ちが全て。
 そう思った明依だったが、いや、でもさすがに相手が悪すぎる。とすぐに冷静になる。

 なにも終夜と対立していた相手じゃなくていい。
 そして梅雨に関しては作戦の一部で全然モテ期は関係なかったので、偶然という言葉で片付けられそうで。

 そうなると一気に現実に引き戻された感じがして興ざめした。

「今度はちゃんと、だましてもいい?」

 暮相から悪意の全部を抜いた、宵の言葉。
 もっと(たわむ)れていて、それから甘い。そんな言葉。

 宵は明依の手を握る。
 宵はそう言うと、明依に唇を寄せた。

 宵に触れた感覚を覚えていたことを、今思い出した。

「きっと、終夜は来ないよ」

 嘘。終夜が来ると分かったうえでの、甘い嘘だ。
 だけど生前の宵のような毒々しい甘さじゃない。もっと切なくて、それから少し、悲しい。

 どうして宵は、こんな戯れをするのだろう。

 明依がそう思ったとたん、宵は軽く顎を上げながら、さっと顔を後ろにそらした。
 風が過ってすぐ隣の壁からドゴッ!! と鈍い音がする。明依は反射的に「ひ」と声を上げた。

「来るんですけど」

 自分と宵の間には腕が伸びていて、その手は壁を貫通していた。
 腕はすぐに貫通した壁から引き抜かれて、その勢いのまま宵の胸ぐらを掴んだ。

「触るな。もう一回殺すぞ」
「お前の中で〝俺〟はもう死んでるはずだ。現実主義者のお前らしくないな、終夜」

 宵は少し戯けた様子で終夜にそういう。

「……終夜」

 危機に直面した時、彼自身が危機だった時。何度この名前を呟いたか、もうわからない。

 ただ、終夜の姿を見ると心の底から安心する。まるですぐに見当たらなくなってしまう片方を見つけ出した時のような。
この感覚をどんな言葉なら語れるのか、わからない。

 先ほどよぎったミーハーで(よこしま)な気持ちなんてまるでなかったみたいに、終夜の事で頭がいっぱいになる。
 純愛とか愛着とか、思いつく言葉はどれも違う。

 終夜は明依の声を聴いて押し黙った後、舌打ちをして乱暴に宵から手を放した。

「助けてくれたの」

 明依が終夜にそう言うと、終夜はちらりと宵を見た。

「珠名楼に縛り付けようとしているだけだよ」
「だけど、周りの人から助けてくれたよ」
「それは、そうした方が味方感が出てだましやすいから」

 終夜は淡々と、それでいて一言一言にはっきりとした嫌悪感を込めて、明依の言葉を否定していく。

 終夜の気持ちも当然わかる。珠名屋の人間は地獄大夫の息がかかった人間なのだからみんな敵だ。
 しかし今の明依は、不安な中付き添ってくれた宵を敵と一概に評価することが出来なかった。

「でも、」
「いい加減さ、自分が騙されやすい事に気付いたら?」

 言葉をさえぎった終夜の声は、脳内の思考回路の全てを無視して、どこを経由することもなく明依の感情に触れる。

「なに、その言い方」

 ぼそりと呟くように言う明依の方へ、終夜が視線を向ける。

「終夜そういう所あるよ。自分がわかることを他人も必ずわかると思わないでよ」
「わかるんだよ、普通。宵に今まで何回騙されたの? 何度も何度も同じ騙され方してるって、ちょっと考えたらわかるだろ」
「騙されてないんだって!!」
「これから騙されるって言ってるんだよ!」

 珍しく少し声を荒げる終夜。普段なら年相応な様子だと嬉しく思うであろう終夜の様子にさえ気を向ける余裕がない明依は、ムッとした表情を作って歩き出した。

「じゃあ見てなさいよ」

 明依は、お前に言ってるんだからな、と念を押すように終夜を指さしながら歩く。

「は?」
「私は絶対に騙されないからね!」

 こんな状況でどうして喧嘩が始まってしまうのだろうと思いながらも、引き下がることが出来ずに明依は捨て台詞みたいに終夜に言う。

 見てなさいよ、と言ったはいいものの、何を見せたいのか自分にもわからない。しかし引き下がることも出来ずに、とりあえず宵の所へ歩いた。

「それは話が違う」

 終夜は明依の手を掴んだ。
 すこし焦った様子の終夜に胸がときめいたのもつかの間、二人はぴたりと動きを止めた。
 心臓の鼓動に連動した、胸の痛み。
 もしこんなところを日奈に見られたら。

 二人はピタリと固まって動かない。

 一部始終を外側から見ていた宵は二人を交互に見た後、終夜の方で視線を止めて笑顔を作った。

「嫉妬は見苦しいよ、終夜」
「お前は黙ってろ」

 終夜が嫉妬? 偽物の宵に? そういうものなのだろうか。恋愛って言うのは。
 もしかすると吉原という(だま)(だま)される場所にずっといたから感覚が狂っているのかもしれないし、自分がもともとおかしいのかもしれない。

 いや、でも頭がおかしいのはどう考えても終夜の方だから、この場合は終夜がおかしいという事になるんじゃないだろうか。

 いろいろと考えるが、大した答えは出なかった。

 宵の言葉にすぐさま反応した終夜は、ゆっくりと息を吐きだした。

「調子が狂う。もうお前どっかいけよ」
「珠名屋は配置が換わる。知ってたか?」
「……どういうこと?」

 宵の言葉を聞いた終夜は、しぶしぶと言った口調で宵に質問をする。

「あったはずの壁がなかったり、ないはずの壁があったりするんだよ。だから、ここにたどり着いた道を愚直に引き返しても出入口にはたどり着かないと思うよ」
「どうせまた見せかけの幻覚だろ」
「幻覚は幻覚なんだろうね。ただ、壁の代わりになる物質的な何かがあるのは確かだ」

 宵の言葉に終夜は少し考える素振りを見せた。

「見せかけと思ったその壁を調べたり壊したりしたことはないの?」
「あるよ。でも、手触りや音の響きは他の壁と何も変らない。判別はつかないよ。珠名屋の中には〝もともとここに壁があった〟って信じて疑わない人もいる。つまりここに居るだけで、薬が回って洗脳が深くなっていくんだよ。だから一刻も早くここから出た方がいい」
「……一刻も早くここから出た方がいいのはわかってるよ」

 二人の会話をただ外側で聞いているだけ。
 しかしもしも、宵という人間が独立で存在していて終夜と交わる世界線があるのなら、きっとこうやって会話をしているのだろう。

 どこかの世界線では、誰もいがみ合わずに時計の針が進んで、みんなが幸せに笑っている世界があるのだろうか。
 もしそんな世界が実現可能だったなら、どんな選択肢を選び取ればよかったのだろう。
 こればかりはきっと、終夜にもわからない。