あなたの声は想いを奏で、私のペンは希望を紡ぐ~社交界を追放された令嬢が常勝将軍の最愛になるまで~

 ジュリエットがグリーンウッド将軍の朗読兼代筆係として仮勤めを始めてから、四日が過ぎた。

 この荘園は町から離れているので、郵便物は週に一度、郵便局に受け取りに行くことになっている。今日はその他に細々した用事や買い物もあったので、早めの昼食を済ませるとマーシャは庭師兼御者のエリックに馬車を用意させ、屋敷を出て行った。

 朝食のスタイルを変えてから、グリーンウッド将軍はきちんと食事を摂るようになった。目が見えないとはいえ、彼は元々軍人なので注意深く、空間認知の能力にも長けていて、身体能力も抜群に良い。だから一度こういう形でと決め打ちしてしまえば、即座に反応できた。さすがに好物のエンドウ豆の塩煮をフォークですくって食べることまではできなかったが、そこはビクターが知恵を絞ってポタージュにして持ち手のついたカップで出してくれた。病人扱いするなとまた癇癪を起されるか心配だったが、特に何事もなく、トレイを下げに来たジュリエットに向かって将軍はこう言った。

「ビクターに礼を言っておいてくれ。それと、今まですまなかったと」
 
 もう一つ変わったことがあった。初日に専門用語がよく理解できず困ったジュリエットがマーシャにそのことを相談すると、マーシャはそっけない口ぶりで図書室に本があると教えてくれた。敵に塩を送るのかとジュリエットが笑いながら尋ねると、マーシャは人の親切をなんだと思っているのだとぷりぷりしながらどこかへ行ってしまった。
 それで翌日の午後、ジュリエットは将軍の私室の隣にある図書室に行ってみた。果たしてそこにはジュリエットが探していた海軍関連の書物がたくさんあったのだが、あいにく初心者のジュリエットにも読める本がどれなのかわからない。困り果てて書棚の前をうろうろしていると、突然、部屋の奥から声がした。

「……そこにいるのはクインズビー嬢か?」
「え? 閣下?」

 ジュリエットが驚いて声のする方向を見ると、ベイウインドウの張り出しを利用して作られたベンチにグリーンウッド将軍が腰かけて、窓から草原を眺めていた。いや、眺めていたといっても厳密には見えていないのだが。ジュリエットは将軍がなぜここにいるのか、どうして見えないのに自分だとわかったのか皆目見当がつかないまま、慌てて膝を折ってお辞儀をした。

「閣下……し、失礼いたしました。こちらにおいでとは思わず……あの、なぜわたくしだと……?」
「見えなくなってから耳がよくなって、誰の足音かなんとなく聞き分けられるようになった。それにこの屋敷にはあなたとマーシャとビクターしかいないし、マーシャは出かけているからな」

 相変わらず冷淡な口調ではあったが、初対面であからさまにジュリエットに投げかけられた嫌悪と侮蔑はかなり影を潜めていた。

「左様でございますか。それでその……」

 私室に籠ってばかりいると思っていた将軍がなぜこの図書室にいるのか、質問して良いのか悪いのかわからずジュリエットが口ごもっていると、将軍は見えない目でゆっくりと部屋全体を見回して、自嘲するように少し笑いながらこう言った。

「しばらく離れていたのだが、今日ふと思い立って壁伝いに手探りで来てみた。……昔からこの部屋が好きなのだ、この乾いた、紙とインクの匂いの漂う空間が。もう本を読むことなど叶わないのに、往生際が悪い」

 その侘しさの滲む声に、ジュリエットの胸が痛くなった。どう声をかければ良いのかわからず黙り込んでいると、今度は将軍がジュリエットに質問した。

「あなたはなぜここへ?」
「マーシャさんが教えて下さったのです、ここに海軍の本があると……昨日、よく理解できない単語がいくつかあって閣下のお手を煩わせてしまいましたでしょう? それで、勉強させて頂こうと思いまして。あの、勝手に入ってはいけなかったでしょうか?」
「いや、構わない。本は見つかったか?」
「いえそれが、これだけ本がありますとどれを読めば良いのか見当もつかなくて、困っておりました」
「そうだろうな」

 ジュリエットが首を左右に振りながら答えると将軍は頷いて、指である方向を示した。

「その一番端の書棚の上から三番目の棚の隅のところに、私が士官学校で使っていた教本があるからそれを読みなさい。古い本だが、だいたいの単語ぐらいは理解できるようになるだろう」
「ありがとうございます。でもそんな大切なご本を貸して頂いて良いのでしょうか、わたくしなどに……」

 だが将軍は全く問題ないというように手を振ったので、ジュリエットはありがたくその本を書棚から取り出して隅から隅まで読んだ。確かに初心者にはわかりやすい内容だった。翌日、本を返そうとしたジュリエットはふと思いついて、将軍に何か読みたい本はないかと訊いてみた。怪訝そうな将軍に、ジュリエットはこう説明した。

「わたくしは閣下の朗読係ですから、何でもお読みします。小説でも、詩でも、新聞でも」

 最初、将軍はそれは契約外だと渋ったが、ジュリエットのそんなことは構わないという言葉に押され、また将軍自身も実は少々退屈していたこともあって、彼女の提案を受け入れた。それで二人は午後の数時間を図書室で過ごすようになり、ジュリエットは将軍の求めに応じていくつかの本を読んで聞かせた。

 ということがあって今日も二人は図書室にいたのだが、なぜか今日は将軍の様子がおかしい。明らかにソワソワして、窓のほうばかり気にしている。何度かそういうことが続いたあとで、ついにジュリエットがシェークスピア全集を閉じて将軍に言った。

「閣下、どうなさいました? 何かご心配ごとでも?」
「い、いや、何でもない」
「ご気分がすぐれないようでしたら、お部屋で休まれたほうが」
「大丈夫だと言ってるだろう!」

 イライラした様子の声に、しまったとジュリエットが思ったのとほぼ時を同じくして、玄関のドアが開く音がした。すると将軍が突然立ち上がっておぼつかない足取りで図書室を出て行こうとした。慌ててジュリエットが後を追うと、将軍は吹き抜けの廊下の手すりから玄関ホールで手袋を脱いでいるマーシャに焦った様子で声をかけていた。

「マーシャ! 手紙は、手紙は来てないか! なあマーシャ!」
「そんな大声を出されなくても聞こえております。少しお待ち下さいまし、旦那様」

 マーシャはやれやれといった様子で手袋を外すと、次に胸の前で結んだリボンをほどいてマントを脱ぎ、玄関脇のハンガーにかけて皺を伸ばした。その間も将軍は待ちきれないといった様子で手を握ったり開いたりを繰り返していた。

 ようやく階段を上ってきたマーシャに、今度こそとばかりに将軍が再び同じ質問を繰り返した。

「で、マーシャ、手紙は、手紙は来たか?」

 マーシャは黙って将軍の前まで来ると、抑揚のない声で言った。

「いいえ、()()()来ておりません」
(え? 手紙は来てない? でもあのマーシャさんが手に持っているものは手紙……でしょう?)

 ジュリエットは自分の目が信じられなかった。なぜならマーシャが手にしているものは、麻紐で括られた封筒の束だったからだ。あれはどう見ても手紙なのに、なぜマーシャさんは()()()()()()()()と言うの? 閣下が渇望している()()とは誰からの手紙なの? ジュリエットが口を開こうとするとマーシャがこちらを向いているのに気がついた。とっさにジュリエットはマーシャに向かって小さく頷いた。大丈夫、わたくしは何も口出ししませんから、の意思表示だった。

「来てないって、本当に来てないのか? 見落としてはいないのか? もう一度見てくれ、マーシャ」

 将軍の声はほとんど叫びに近いほどだった。だがマーシャは静かに首を左右に振って、同じことを繰り返した。

「いいえ、手紙は来ておりません、旦那様。きっと来週には……」
「もう良い!」

 マーシャの返事を遮って、将軍の大声が廊下に響いた。そのまま将軍は向きを変え、よろよろと私室に消えた。そして私室のドアが閉まる瞬間、ジュリエットの耳に将軍の呟きが聞こえた。

「なぜだ……なぜ手紙をくれないのだ……」

 午後ずっと将軍が上の空だった理由が、ようやくジュリエットにも理解できた。グリーンウッド将軍は、手紙を待っていたのだ。それが誰からの手紙で、何が書かれているのかはジュリエットには知る由もなかったが、救国の英雄と呼ばれる男が我を忘れて取り乱すほど、彼にとって大きな意味を持つものだということだけは明らかだった。

 ジュリエットは階段を降りていくマーシャの後を追おうとしたが、その時、背後から呼び止められた。振り向くとグリーンウッド将軍がドアから顔を出してジュリエットの気配を探している。ジュリエットは将軍に近寄るとそっとその腕に触れて自分の存在を彼に知らせた。

「クインズビー嬢、手紙を書いてもらいたい。頼んで良いだろうか」
「もちろんです、閣下」

 ジュリエットは将軍について私室に入り、ドアを静かに閉めた。