ロバート・グリーンウッド将軍とジュリエット・クインズビー子爵令嬢はこの時初めてお互いに顔を合わせたのだが、実はそれ以前から二人の間にはある共通点があった。
当時、ヨーロッパは激動の時代を迎えていた。
事の発端は一七八九年にフランスで勃発した革命だった。それはちょうど、ジュリエットが大英帝国の中堅貴族、クインズビー子爵の一人目の娘としてこの世に生を受けてしばらく経った頃のことである。
武器を手に立ち上がった平民たちは権力を手にするにつれて過激になり、ついには国王ルイ十六世夫妻を断頭台に送って、旧体制を破壊するに至った。
この革命のうねりは、ヨーロッパの他の絶対王政の国々にとっては脅威でしかなかった。自国への飛び火を恐れてほとんどの国がフランスに宣戦布告し、長く混乱の時期が続いた。
だが、唯一その影響をそれほど受けない国があった。それがここ、大英帝国である。ドーバー海峡という海に隔てられた島国であることが幸いして、ロンドンにはパリから逃れてきた亡命貴族が大挙して押し寄せた。
ロンドンの社交界は一変した。それはまずはファッションから始まった。革命の嵐を避けて集まった、貴族社会のエレガンスを体現するフランスの貴婦人のおかげで、巷には最新のパリモードがあふれた。皆、それまでの窮屈なコルセットとパニエで膨らませた大仰な絹のドレスを脱ぎ捨てて、薄く透ける白モスリンや木綿で作られたハイウエストのシンプルなドレスを身に纏い、髪には月桂樹の葉を模した黄金の冠をつけて、ギリシャ神話の女神のような古典的な美しさを競い合うようになった。
また当然のごとくロンドンの社交界は王党派のメッカとなり、タウンハウスで、コーヒーショップで、またある時は街角で男たちが昼夜を問わず国際情勢を巡って議論を戦わせていた。
やがてそんな混沌と戦乱の世を治めるべく、一人の英雄が現れる。
コルシカ島生まれのナポレオーネ・ブォナパルテという風変わりな名前の男が、クーデターで権力を掌握するとまずフランス軍の最高司令官という位に就き、瞬く間に破竹の勢いで諸国連合軍を蹴散らしていった。彼はそのままヨーロッパのほぼ全てを支配下に収め、一八〇四年にはナポレオン・ボナパルトとフランス風に名を改めて共和国の皇帝に即位した。
これに対し、海上の支配権は依然としてイギリスが掌握していた。海上封鎖を行ってフランスの海軍力を抑止し、本土侵攻を許さないイギリスに、ボナパルトは苛立ちを募らせる。
そしてついに一八〇五年十月二十一日、英仏両軍はスペインのトラファルガー岬の沖合で対峙することとなった。「トラファルガーの海戦」の幕開けである。
イギリス海軍は、ネルソン提督率いる戦艦二十七隻をもってフランス・スペインの連合艦隊を迎え撃つ。
そのネルソン提督の右腕として既に名を馳せていたのが、ロバート・グリーンウッド将軍その人だった。
歳は今年三十、背が高く、堂々としたいかにも軍人然とした逞しい体躯。燃えるような赤毛に漆黒の瞳。戦場でひときわ異彩を放つその姿を、人々はある時は人間の姿を借りた伝説の獅子、またある時は軍神マーズの化身と褒め称えた。
また、代々グリーンウッド伯爵家は軍人の誉れ高き家柄として王家に忠誠を誓っており、ロバート自身の豪放磊落でありながら繊細で心優しい性格も相まって、彼は常にロンドン社交界の寵児であった。
今後のヨーロッパの勢力図を塗り替える可能性もあった海戦の結果は、イギリス海軍の勝利で終わった。もともとフランスは陸軍が強く、海軍は弱い。だからこそ陸軍の砲兵隊出身だったボナパルトがめきめきと頭角を現すことができたのだが、ネルソン提督率いるイギリス海軍には到底歯が立たなかった。
フランス・スペイン連合艦隊の撃沈1隻、捕獲破壊十八隻、戦死四千名、捕虜七千名という被害に対して、イギリス海軍の被害は喪失艦ゼロ、戦死四百名、戦傷千二百名とはるかに軽微なものであった。だが当然無傷であったわけではない。本土防衛の報せにイギリスの社交界は歓喜に湧いたが、やがて十七歳の誕生日を迎えようとしていたジュリエットは悲しみのどん底に突き落とされた。
戦死者名簿の中に、ジュリエットとの婚約発表を間近に控えていた青年士官、ウィリアム・クーパー子爵令息の名があったのだった。
そして、最愛の人の葬儀の席で、更なる悲劇がジュリエットを襲った。
ある行動が原因で、ジュリエットは一瞬にして社交界で噂の的になってしまったのだ。
当時、ヨーロッパは激動の時代を迎えていた。
事の発端は一七八九年にフランスで勃発した革命だった。それはちょうど、ジュリエットが大英帝国の中堅貴族、クインズビー子爵の一人目の娘としてこの世に生を受けてしばらく経った頃のことである。
武器を手に立ち上がった平民たちは権力を手にするにつれて過激になり、ついには国王ルイ十六世夫妻を断頭台に送って、旧体制を破壊するに至った。
この革命のうねりは、ヨーロッパの他の絶対王政の国々にとっては脅威でしかなかった。自国への飛び火を恐れてほとんどの国がフランスに宣戦布告し、長く混乱の時期が続いた。
だが、唯一その影響をそれほど受けない国があった。それがここ、大英帝国である。ドーバー海峡という海に隔てられた島国であることが幸いして、ロンドンにはパリから逃れてきた亡命貴族が大挙して押し寄せた。
ロンドンの社交界は一変した。それはまずはファッションから始まった。革命の嵐を避けて集まった、貴族社会のエレガンスを体現するフランスの貴婦人のおかげで、巷には最新のパリモードがあふれた。皆、それまでの窮屈なコルセットとパニエで膨らませた大仰な絹のドレスを脱ぎ捨てて、薄く透ける白モスリンや木綿で作られたハイウエストのシンプルなドレスを身に纏い、髪には月桂樹の葉を模した黄金の冠をつけて、ギリシャ神話の女神のような古典的な美しさを競い合うようになった。
また当然のごとくロンドンの社交界は王党派のメッカとなり、タウンハウスで、コーヒーショップで、またある時は街角で男たちが昼夜を問わず国際情勢を巡って議論を戦わせていた。
やがてそんな混沌と戦乱の世を治めるべく、一人の英雄が現れる。
コルシカ島生まれのナポレオーネ・ブォナパルテという風変わりな名前の男が、クーデターで権力を掌握するとまずフランス軍の最高司令官という位に就き、瞬く間に破竹の勢いで諸国連合軍を蹴散らしていった。彼はそのままヨーロッパのほぼ全てを支配下に収め、一八〇四年にはナポレオン・ボナパルトとフランス風に名を改めて共和国の皇帝に即位した。
これに対し、海上の支配権は依然としてイギリスが掌握していた。海上封鎖を行ってフランスの海軍力を抑止し、本土侵攻を許さないイギリスに、ボナパルトは苛立ちを募らせる。
そしてついに一八〇五年十月二十一日、英仏両軍はスペインのトラファルガー岬の沖合で対峙することとなった。「トラファルガーの海戦」の幕開けである。
イギリス海軍は、ネルソン提督率いる戦艦二十七隻をもってフランス・スペインの連合艦隊を迎え撃つ。
そのネルソン提督の右腕として既に名を馳せていたのが、ロバート・グリーンウッド将軍その人だった。
歳は今年三十、背が高く、堂々としたいかにも軍人然とした逞しい体躯。燃えるような赤毛に漆黒の瞳。戦場でひときわ異彩を放つその姿を、人々はある時は人間の姿を借りた伝説の獅子、またある時は軍神マーズの化身と褒め称えた。
また、代々グリーンウッド伯爵家は軍人の誉れ高き家柄として王家に忠誠を誓っており、ロバート自身の豪放磊落でありながら繊細で心優しい性格も相まって、彼は常にロンドン社交界の寵児であった。
今後のヨーロッパの勢力図を塗り替える可能性もあった海戦の結果は、イギリス海軍の勝利で終わった。もともとフランスは陸軍が強く、海軍は弱い。だからこそ陸軍の砲兵隊出身だったボナパルトがめきめきと頭角を現すことができたのだが、ネルソン提督率いるイギリス海軍には到底歯が立たなかった。
フランス・スペイン連合艦隊の撃沈1隻、捕獲破壊十八隻、戦死四千名、捕虜七千名という被害に対して、イギリス海軍の被害は喪失艦ゼロ、戦死四百名、戦傷千二百名とはるかに軽微なものであった。だが当然無傷であったわけではない。本土防衛の報せにイギリスの社交界は歓喜に湧いたが、やがて十七歳の誕生日を迎えようとしていたジュリエットは悲しみのどん底に突き落とされた。
戦死者名簿の中に、ジュリエットとの婚約発表を間近に控えていた青年士官、ウィリアム・クーパー子爵令息の名があったのだった。
そして、最愛の人の葬儀の席で、更なる悲劇がジュリエットを襲った。
ある行動が原因で、ジュリエットは一瞬にして社交界で噂の的になってしまったのだ。
